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2007年12月2日 - 2007年12月8日

2007年12月 7日 (金)

駄弁、日本の近代について。

 中学生の頃、電車に乗って本を開いていたときのこと。タイトルは『大東亜共栄圏』。岩波ブックレット、昭和史シリーズの一冊ですよ。この美名の下、日本がいかにアジアを侵略したかという内容だった。車内でふと視線を感じて顔を上げると、おばさんが私をにらみつけていた。タイトルは見えても、岩波書店の本だとは分からなかったのだろう。子供のくせに右翼のパンフレットを読むなんてけしからん、明らかにそんな険しさがあった。

 家では朝日新聞をとっていた。高校生の頃、天声人語だったか、日本は日清戦争で賠償金を取り立てたことを忘れてはいけない、と書かれていたのを覚えている。日清戦争も中国侵略の一環だったと言わんばかりの口調である。しかし、当時の日清間の関係は非対称的なものではなく、一国と一国との正規な交戦であった。賠償金の取り立ては国際法的に正当であったにも拘わらず、なぜ日本が悪いという言い方になるのかが理解できなかった。

 日本の過去を否定するにせよ、肯定するにせよ、歴史的なコンテクストを無視して一方的な思い込みで断罪する態度というのはたまらなく不快だ。ベネデット・クローチェは、歴史を見る視点そのものに現在の価値意識が込められているという意味で、「あらゆる歴史は現代史である」と言った(たとえば、『思考としての歴史と行動としての歴史』上村忠男訳、未来社、1988年)。歴史への言及の仕方を見れば、その人の価値観、さらには現代という時代を覆う価値意識のありようが浮き彫りにされてくるのだろう。

 日清・日露戦争を通して日本の果した役割の世界史的な意義はやはり大きいと思う。

 日清戦争当時、中国は“眠れる獅子”と呼ばれ、最新鋭の軍艦、定遠・鎮遠をはじめとした東洋一の軍事力を擁していた。しかし、西太后の私的な浪費の帳尻合わせのため軍事費は大幅に削られ、せっかくの軍備も実戦ではあまり役に立たなかった。支配者は国家を自分の私有物という程度にしか考えていなかった。国民は国家への帰属意識を通して忠誠を誓うはずがない。そうした国民意識の乖離に清朝弱体化の問題点があった。康有為らによる清朝の枠内における政治改革もつぶされた(戊戌の政変)。満州人という異民族によって支配されていることが問題だとして漢民族ナショナリズムが高まり、そうした中から孫文が注目を浴びた。清朝は遅まきながら憲法公布・議会開設の約束をしたものの、誰からも信用されないまま辛亥革命によって倒されることになる。

 皇帝であるか、一般庶民であるかという立場の違いを超えて、一人一人の人間が自らの国と直接につながっているという自覚が近代社会における国家意識であり、それはフランス革命以来、全国民の政治参加を求める民主主義と同胞意識を強調する国民主義(ナショナリズム)とが手を携えあって確立されてきた。啓蒙思想のエースたる福沢諭吉は“独立自尊”を説いたが、これは個人としての権利意識と同時に、独立した個人がそれぞれ並列的に国家を担っているという政治的自覚を促すものでもあった。国民全ての政治的自覚のためには議会とそれを保障する憲法が必要である。日本は1889年に大日本国憲法を制定し、これに基づき翌1890年には第一回帝国議会を開催した。明治天皇や後の昭和天皇は憲法の枠内における立憲君主として振舞う慣習を定着させた。現在の視点からすればこの憲法体制に欠陥は目立つものの、少なくとも国民の意思を集約する政治システムが始動したことは確かであり、だからこそ国民の忠誠心を動員することができた。そこに当時の日本の強さがあった。

 日露戦争の勝利は全世界の被抑圧民族から喝采を浴びた。イギリスの女性探検家ガートルード・ベルはアラブ人たちの間で日露戦争の話題でもちきりだったことを記している(『シリア縦断紀行』田隅恒生訳、平凡社・東洋文庫、1994年)。船に乗ってスエズ運河を通りかかった孫文は「お前は日本人か?」とたずねられた。「違う、中国人だ」「そんなのは関係ない、日本がロシアに勝ったぞ!」(『孫文・講演「大アジア主義」資料集』陳徳仁・安井三吉編、法律文化社、1989年)。

 私が世界史的意義というのは、単にアジアの弱小国がヨーロッパ随一の軍事大国に勝ったということばかりではない。立憲体制を整えた国がツァーリズムを倒したという意味合いで世界中に受け止められたことに目を向ける必要がある。つまり、弱小国であっても憲法と議会を通して全国民を結集させるのに成功すれば大国にだって立ち向かうことができる、そうした意味での希望を全世界の被抑圧民族にもたらしたのである。日露戦争が終わった1905年を分岐点として、世界中で大きなうねりがおこったことは注目に値する。イランでは立憲革命の動きが始まった(1905~11年、ただしイギリスとロシアの共同干渉でつぶされた)。1907年には、一時停止されていたミドハト憲法の復活を求めて青年トルコ革命がおこった。ロシアに支配されていたポーランドやフィンランドでも独立運動の気運が高まった。インドでもイギリスがヒンドゥーとムスリムの離間を図ったベンガル分割令への反対運動が盛り上がった。孫文、章炳麟、黄興など中国革命の立役者たちが東京に集まり、中国革命同盟会が結成されたのも1905年のことである。

 しかしながら、日本の近代化はすなわち欧化でもあり、行動パターンもそっくりそのまま真似をし始める。遅ればせの帝国主義ゲームに参加しようとして周辺アジア諸国への侵略を本格化させた。晩年の孫文は神戸での「大アジア主義」講演で「日本はアジアと共存する王道を行くのか、それとも西欧と同じ覇道を行くのか?」と問いかけたが、日本は孫文の期待を無視して覇道を選び、その果てに自滅的な対米戦争へと突き進んだ。

 日本の近現代史におけるプラスとマイナス、それは大きな流れの中では複雑に絡み合った一如のものであり、良い悪いという評価は安易には下せないというのが私の考え方だ。

 「新しい歴史教科書をつくる会」はいまや四分五裂の状態らしい。その最初のきっかけとなった藤岡信勝と西尾幹二との対立は重要なポイントだと思っている。藤岡は司馬遼太郎『坂の上の雲』までの時代は良かった、それ以降の侵略戦争は悪かったという二分法をとっている。対して西尾は、良いも悪いもすべてをひっくるめて日本の歴史であって、どこまでは良い、どこからが悪いと区切る発想そのものが間違っているという趣旨の批判をしていたように思う。私は西尾に共感する。

 私は高校生の頃に西尾幹二『ニーチェとの対話』(講談社現代新書、1978年)を読んで以来、ニーチェ研究者としての西尾に好意的だ。彼の歴史教育批判はニーチェを読み込んだ人ならではのものだと私は理解している。“進歩派”といわれる人々は、日本人であるという現実の立場性を無視して自らを高みに置く。現実を超越したところに“正義”の基準を設け、“正義”の高みから他者を断罪することで、高みに立つ自らについては免罪する。建設的な真実を求めて批判するのではなく、生身の実在を、断罪という行為を通してあたかも生身でないかのように錯覚させる精神構造、つまりルサンチマンを西尾は進歩派知識人に見出した。その具体的な検証事例として歴史教育問題を取り上げた。

 良い悪いという基準を設けて生身の歴史を裁断するのは、結局のところ、その基準の設定者として自らを特権的な立場に置くことで免罪符を与えるという意味での自己満足に過ぎない。その点では進歩派だけでなく、藤岡の論法もまた同断であった。良い悪い、その一切をひっくるめて日本人としての歴史を引き受け、その上で自己肯定すること。こうした西尾の発想はやはりニーチェ的だと思っている。理解できる人はなかなか少ないのだが。

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2007年12月 4日 (火)

無意味な雑談、音楽

 朝の通勤電車ではいつもCDを聴いている。すし詰め状態で本も新聞も開けないから。語学のリスニングでもやればいいのかもしれないが、今のところ、そんな気力はない。i-Podなどというシャレたものも持っていないので、まだ壊れずしっかり動いてくれるポータブルCDプレイヤーを背広のポケットにねじこんでいる。

 前にも書いたが、ヨハン・デ・メイ(Johan de Meij)の交響曲第3番“Planet Earth”が最近のお気に入り。作曲者はブラスバンドの方で有名な人らしく、このCDもブラスバンド的な編成のオーケストラで演奏。第一楽章Lonely Planetは初めにビュン、ビュンと電子音が響き、微惑星の衝突から地球が生まれる瞬間を表現しているようだ。第二楽章Planet Earthの中盤以降、小太鼓のリズムに合わせた金管楽器のうなり声、そして第三楽章Mother Earthでのオーケストラと女声合唱の高まり、何とも言えずたまらない。交響曲第1番は『指輪物語』をテーマとしているらしいが、日本では入手が難しいようだ。小学生の頃からの愛読者だけに気になる。

 デ・メイはホルストの組曲「惑星」を意識して第3番を作曲したらしい。この組曲には水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星はあるが、地球はない。なお、冥王星もないが、作曲当時はまだ発見されてなかったから。最近、“惑星”の地位から転落したばかりだから、帳尻は合うことになったな。ホルストは占星術に凝っていたらしいが、そういうのはよく知らない。私はいつも第一曲「火星」と第四曲「木星」ばかり繰り返し聴いていて、他の楽章は無視していた。Marsの行進曲風の出だしはやはり胸が高鳴る。

 第四曲「木星」は、出だしの盛り上がりと、その後のなめらかな旋律とで、聴く人によって印象が違うようだ。以前、有線放送の流れるお店に入ったとき、後者のメロディーにのせた歌声が聴こえてきた。この曲自体が好きだということもあるが、歌声の細めだけど落ち着いた響きがとても良いなあと思った。傍らにいた友人に尋ねて、平原綾香の名前を初めて知った。「Jupiter」の収録されたアルバム「ODYSSEY」を早速買った。「あなたの腕のなかで 」の高らかな歌声がとくに好き。

 このCDには「蘇州夜曲」も入っている。服部良一作曲、西條八十作詞による昭和初期のヒット曲だ。ふと、机の脇、“ツン読”状態の本の山を見やると、筒井清忠『西條八十』(中央公論新社、2005年)が目に入った。読もう読もうと思いつつ、放ったらかしのまま。なのに、昨日は同じく筒井清忠の新刊『昭和十年代の陸軍と政治──軍部大臣現役武官制の虚像と実像』(岩波書店、2007年)を衝動買いしちまったばかりだぜ。

 これも前に書いたが、world’s end girlfriendの曲が大好きだ。私の周囲には知っている人がいなくて寂しい。ジャンルは何と言ったらいいんだろう? テクノ系だと思うが、色々な要素が入っていて一口でまとめられない。大型CDショップのアンビエント・ミュージックのコーナーに置いてある。なめらかなメロディーにノイジーなきしみがかぶさった、不思議な音響世界が実に独特で、おもいっきりはまってしまった。「The Lie Lay Land」で初めて知ったのだが、最近は「Hurtbreak Wonderland」を繰り返し聴いている。ちなみに、“Hurtbreak”はスペルミスではありませんよ。他にも「dream's end come true」(夢の終わりが実現する)とか「Palmless Prayer」(手のひらのない合掌)とか、タイトルが意味深げに凝っている。

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2007年12月 3日 (月)

網野善彦『東と西の語る日本の歴史』

 私は小学生の頃から歴史好きで、日曜夜八時からのNHK大河ドラマはよく観ていた。大抵はダラダラして退屈なのだが、唯一、いまだに忘れられないのは「炎(ほむら)立つ」だ。原作は高橋克彦。前九年の役から奥州藤原氏滅亡に至る東北の歴史を描き出していた。“蝦夷”と蔑まれる安倍頼時(里見浩太郎)の屈辱。兄弟同士憎しみ合う清原(藤原)清衡(村上弘明)と清原家衡(豊川悦司)。前九年の役では理想に燃える颯爽たる若武者として登場しながらも、後三年の役では古狸として戻ってくる源義家(佐藤浩市)など、人物造型のメリハリが明確で、彼らの散らす権謀術数の火花がぬるま湯のようないつもの大河ドラマとは全く異質だった。

 ストーリーの面白さだけでなく、東北という“辺境”に舞台設定されたのが新鮮に感じられたのだと思う。前九年の役、後三年の役にしても、日本史の教科書では地方の反乱という程度の扱いだ。しかし、“蝦夷”の視点に立ってみると、その地域が抱えざるを得なかった葛藤が大きく浮かび上がってくる。“蝦夷”の実力者として立つ清原実衡(萩原流行)は、京の貴族から養子を迎えて家督を継がせようとする。中央の権威と結びつくことで自らの立場を固めようという計算だが、清衡がこうつぶやいたのが印象に強い。「自らの血を否定するとは、何とも忌まわしいことではないか。」中央権力との同化、地域的自立の模索、両極的な思惑が交錯したアイデンティティーの分裂が日本の歴史にもあり得たことをドラマに仕立て上げていたというのも、大河ドラマとしてはやはり異例だった。

 網野善彦『東と西の語る日本の歴史』(講談社学術文庫、1998年)は、京都の朝廷に視点を固めた“ひとつの日本”という前提を崩すべく、それぞれに特性ある地域同士のダイナミズムを通して近世に至るまでの日本を描こうとしている。

 平将門は東国で独自の政府機構を作り上げ、いわば事実上の独立国家を出現させた。これを討つ平貞盛・藤原秀郷らは、京の朝廷からすれば反乱討伐軍だが、東国の視点でこの戦いを捉えるならば、東国自立路線か、それとも西と結びつく路線を取るのかという方針をめぐる争いだったと言える。東国はこの二つの路線対立に揺れながら、朝廷の命を受けて東北の“蝦夷”を討つ(前九年の役、後三年の役)一方、源氏を武家の棟梁と仰ぐ形で独自の力を蓄えていく。これは同時に、東国と東北との宿命的な地域対立にもつながった。

 西国も独自の動きを見せていた。平氏は宋との交易活動を重視して海洋国家としての方向を目指しており、朝廷の意向に反して福原に遷都したのも当然の選択であった。ところで、九州は西国とは一線を画しており、足利尊氏は東国の正統な継承者としての姿勢を示すと同時に、九州にも足場を置いた。後醍醐天皇はこれを牽制するように義良親王を東北に派遣して小幕府をつくらせようと目論む。こうした東国―九州ラインに対する西国―東北が対抗するという構図が南北朝の動乱期に現れたという。

 このように東西の政治力学が働いた背景には、それぞれの地域的な社会構造の違いが大きく根ざしている。東国は総領を中心に主従関係を結ぶイエ的社会なのに対し、西国は横につながる「傍輩」の関係が軸となる。東国出身者が地頭として西国に赴任すると、こうした人間関係意識のズレから摩擦も起こったらしい。何よりも、西国の水田優位、東国の畠作優位という経済構造の違いも大きい。米を日本文化のシンボルとする考え方が今でも根強いが、実際には庶民の生活は米以外の食物に支えられていた。律令期の班田制から近世の石高制に至るまで米は支配者による賦課の基礎であり続け、水稲耕作に重きを置く捉え方は畿内中心史観に偏っていると網野は批判する。

 食物、言葉、社会関係、様々なレベルで日本社会は地域ごとに多様であり、そのことが政治史的なダイナミズムとも密接につながっているのを描き出そうとしているところに本書の面白さがある。

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2007年12月 2日 (日)

「ミッドナイト・イーグル」

「ミッドナイト・イーグル」

 元・戦場カメラマンの西崎は、目の前で子供が爆死するのを見てトラウマを抱え、山に引きこもっていた。北アルプス山中で航空機の墜落を目撃、後輩の新聞記者に引っ張られる形で吹雪の中を現場へと歩く。周囲には自衛隊が厳戒態勢を敷いており、ただならぬ緊迫感。墜落したのは米軍のステルス戦闘爆撃機“ミッドナイト・イーグル”で、極秘に核爆弾が搭載されていたのだ。墜落地点へと某国の特殊工作員が集結しつつあり、戦闘状態に西崎たちも巻き込まれてしまう。

 ここ最近、安全保障問題について、かつてのイデオロギー的な呪縛による原則論の応酬にとどまっていた時代に比べると、かなりオープンな議論が行なわれるようになってきた。それに伴い、「宣戦布告」(2002年)、「亡国のイージス」(2005年)など、安保問題を題材に取りつつもイデオロギー的な硬直とは離れたところで娯楽映画が製作されるようになってきたのは健全なことで、映画ファンとして歓迎している。この「ミッドナイト・イーグル」にしても出来は悪くないと思う。

 日本で戦闘状態が勃発するとしたらどんな設定があり得るか、そんなシミュレーションにこうした映画の面白さがある。日本の安全保障には、憲法第九条による諸々の制約、国民世論としての軍事行動への嫌悪感、対米依存という不安定な立場、そして朝鮮半島情勢など、様々な問題がある。これらは勿論、深刻ではある。ただ、映画づくりという点で割り切って考えると、こうした制約的要素をうまく織り込んで脚本を練り上げれば、ハリウッドのポリティカル・サスペンスとはまた違った形で、ストーリー展開に奥行きが出てきて面白そうだ。

【データ】
監督:成島出
原作:高嶋哲夫(文春文庫、2003年)
音楽:小林武史
出演:大沢たかお、竹内結子、玉木宏、吉田栄作、藤竜也、袴田吉彦、石黒賢、他
2007年/131分
(2007年12月1日、新宿ミラノにて)

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