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2007年10月21日 - 2007年10月27日

2007年10月27日 (土)

「ショコラの見た世界」

「ショコラの見た世界」

 七年前にこの世を去った姉、ショコラこと初子(竹内結子)にお話をせがんでいた頃のことをテンコこと典子(大塚ちひろ)は今でも夢に見る。ある雨降りの日、ショコラの恋人だったジダンこと治男(和田聰宏)と偶然出会った。なつかしくて喫茶店で語り合ううちに、ジダンは携帯に残されたショコラの映像を見せてくれた。不思議な世界を旅していたショコラにテンコは再会する。

 もともと携帯電話のCMとして作られた映像をストーリー的にふくまらせて映画として再構成したそうな。行定勲の映画を観るのは久しぶりだが、やはり映像はきれい。ショコラとテンコの住んでいた不思議な造りの家は好きだなあ。雨降りの日、空間的には薄暗いんだけど、沈んだ感じもなく落ち着きある喫茶店で語り合う二人の雰囲気や、虹の生まれる木がある海辺のシーンのうっすらとセピアがかった色合いなども結構良い。

 セリフまわしはちょっとわざとらしいし、ストーリーも冷静に考えればしょぼい。家でDVDで観るとたぶん興ざめしてしまうだろうが、こういうファンタジックに美しい映像は映画館の大きなスクリーンで堪能すると悪くない。

【データ】
監督:行定勲
出演:竹内結子、大塚ちひろ、和田聰宏
2006年/50分
(2007年10月26日レイトショー、新宿バルト9にて)

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2007年10月26日 (金)

團藤重光・伊東乾『反骨のコツ』

團藤重光・伊東乾『反骨のコツ』(朝日新書、2007年)

 團藤重光といえば最高裁判事も務めた刑法の第一人者。私のような法律の素人ですらその高名は知っている。昨日、この本は面白いと友人からメールをもらった。出ているのは知っていた。実は食指が動かなかったのだが、読まないとコメントできないので買った。結論から言うと、読んでも読まなくてもどっちでもいい本だな。

 興味を持ったのは次の二点。第一に、美濃部達吉、牧野英一、平泉澄、三島由紀夫などじかに接触のあった人々の思い出話。第二に、決定論と自由意志論との相克は、時代が違っても姿を変えつつ永遠のテーマなんだなあという素朴な感想。だけど、こんな枠組みに捕らわれている時点でどつぼにはまったようなものだと思うけどね。どちらの立場に立つにせよ、実証的に解明できる問題じゃないんだから。なお、團藤の主体性論の根っこは陽明学にあるらしい。

 ざっと通読したところ、大枠として異論はないんだけど、特に感心するようなこともないなあ。“反骨のコツ”ったって、突き詰めればただの精神論に終わるだけだし。死刑廃止論にも異論はない。ただし、人間の判断の可謬性→死刑は取り返しがつかない、という論点に私は賛成だが、團藤が「人殺し!」と言われて死刑反対の確信を深めたという点についてはどうしても首を傾げてしまう。

 伊東は、法を所与のものとして解釈作業に没頭するのではなく、自ら法を作っていく態度が必要だという。聞こえはいいけれども、個々のレベルにおける法解釈の恣意性を容認しかねないわけで、そこの問題はどのようにクリアするのか読んでても分からなかった。伊東は色々な論拠を持ち出してきて、それはそれで面白いんだけど、結論の導き出し方が情緒的で、私は説得力を感じない。佐藤優が伊東乾『さよなら、サイレント・ネイビー』を激賞していたので読んだことがある。決して悪い本ではない。だけど、そんなに感心するほどかなあ、と?が消えなかった。そもそも私は、ヒューマニティーの普遍性を前提に置いた議論というのがどうにも受け付けられない。良い悪い、ということではなく、好き嫌い、というレベルでね。伊東が言うように、理性よりも先に感情が意思決定するわけですから。

 朝日新書が創刊一周年を迎えた。はっきり言って、ハズレが多い。別に、朝日新聞社に対して悪意はないよ。以前、このブログで『リバタリアン宣言』なる愚書を酷評したことがあるが、あれなんかむしろ“朝日”的な論調とは正反対の論旨だった。賛否を論ずる以前に、内容的な密度が薄い。ラインナップにも魅力がない。保阪正康とか三浦展とかのも読んだけど、他社で出た本の二番煎じじゃないか。私は新書は重宝しているので書店に行くたびにチェックするが、朝日新書の棚はいつもスルーしている。

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2007年10月25日 (木)

「風を聴く~台湾・九份物語~」

「風を聴く~台湾・九份物語~」

 台湾島北岸、古びたたたずまいにかつての賑わいの跡をとどめる街、九份。もともと九戸しか家がなかったことが名前の由来だという。ところが、1890年に砂金が発見され、一旗挙げようという人々が押し寄せ、街の規模は急速に拡大。顔雲年という人物が日本側から九份の金鉱経営をまかされ、顔氏一族は今でも台湾の五大名家の一つに数えられている。一青窈、この映画のナレーションを務める一青妙姉妹の父はこの顔氏らしい(一青は母方の姓)。

 かつて金鉱で働き、現在は語り部としてハキハキとした日本語を使う汪兩旺さん(80歳)を軸として、九份に暮らす人々へのインタビューを重ねたドキュメンタリーである。日本統治時代、公学校での思い出。台湾をも見舞った空襲。国民党軍がやって来てやがて起こる二・二八事件。ゴールドラッシュ、1971年の閉山後の街の衰退。そして、鉱山の粉塵で肺をやられて亡くなった人々のこと。最初は80歳前後の老人たちの思い出話が中心だが、徐々に若い人々の話も織りまぜられ、土地の美しさへの愛着が語られていく。

 一攫千金に成功した者の欲望を満たすべく活況を呈した九份の繁華街は「小上海」「小香港」と呼ばれたという。山の中腹に段々状に並ぶ酒楼の風景は侯孝賢監督「悲情城市」(1989年)で見かけた。古い映画館が保存されており、そこには同じく侯孝賢監督「恋恋風塵」(1987年)の看板が掲げられている。侯孝賢映画の脚本で知られる呉念真の故郷が確かここ九份だったはずだ。彼の父もやはり鉱夫をしており、自身が監督した「多桑(=トウサン)」(1994年)で、鉱夫生活のつらさと時代に適応できなかった孤独感とを愛憎相半ばした視点で描き出していた。

 海辺に山がすぐ迫り、その山すそを這い上がるように街が広がっている。木々が青々として、空や海の色とのコントラストが際立って美しい。山の中腹、すすきの茂る中に散らばっているお墓が、街の歩みを見守っているようで印象的だ。

【データ】
監督・脚本:林雅行
ナレーション:一青妙
2007年/日本/117分
(2007年10月24日レイトショー、渋谷、ユーロスペースにて)

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2007年10月24日 (水)

NHKスペシャル「学徒兵 許されざる帰還~陸軍特攻隊の悲劇」をみて

 10月21日(日)放映のNHKスペシャル「学徒兵 許されざる帰還~陸軍特攻隊の悲劇」をみた。飛行機の整備不良等で生還した特攻隊員が少なからずいたが、彼らを隔離収容する振武寮というのがあったのは初めて知った。寮の責任者だった陸軍の元参謀が戦後になって受けたインタビューのテープが流されていた。みんな突っ込んで帰ってこないという前提だった、と彼は語る。だけど、何であなたは生き残っているの?という素朴な疑問は視聴者すべての頭に浮かんだことだろう。

 特攻は志願によるという建前がありつつも、実際には選択の余地などなかったことは番組中の証言者も語っていた。「俺も後から続く」と言って送り出した指揮官のほとんどは戦後も生き残った。敗戦後、特攻の発案者とされる海軍の大西瀧治郎は自決し、沖縄で航空戦の指揮を取っていた宇垣纏は最後の特攻に出て散ったが、番組に登場した菅原道大も含め陸軍で責任を取って自決した者は皆無である。

 保阪正康『「特攻」と日本人』(講談社現代新書、2005年)によると、特攻第一号は昭和19年10月の台湾沖航空戦で、海軍の第二十六航空軍司令官・有馬正文。46歳だった。彼はもともと年齢の高い順に死ぬべきだと語っていたらしい。しかし、彼のことが一般向けに喧伝されることはなかった。彼を称揚することはすなわち、高位の軍事指導者から率先垂範すべきということになってしまうからだ。平気で若者を使い捨てにして、それを志願という建前で正当化する態度には卑しさを感じてしまう。

 特攻のためには短期間で複雑な操縦方法をマスターせねばならないため、学徒出身者が多くを占めた。番組で流れたテープの中で例の元参謀は「学徒出身者には、口には出さないが、特攻には承服しかねるという態度を取る者が多かった。学問をやると死ぬのが怖くなる」という趣旨のことを語っていた。無論、死ぬのは怖い。しかし、彼らはだからイヤだというのではない。同じ死ぬにしても、何のためなのか、その意味を納得させて欲しいという当然のわだかまりを抱えていたはずだ。

 吉田満『戦艦大和ノ最期』(講談社文芸文庫、1994年)に同様の話があったような気がして、本棚から引っ張り出した。46~48ページに線を引っ張ってあった。何のために死なねばならないのか? 海軍兵学校出身者は、国のために死ぬのは当然だと言う。対して学徒出身士官は、自分の死を普遍的な価値と結び付けたいと反論し、殴り合いになった。その場を収拾した臼淵大尉のこんな言葉を吉田は書きとめている。「進歩のない者は決して勝たない。負けて目ざめることが日本の為だ。…敗れて目ざめる、それ以外にどうして日本が救われるか。…俺たちはその先導になるのだ」。このあたり、読みながら目頭が熱くなって、手もとにあったシャーペンで印を付けておいたのを思い出した。

 保阪の前掲書では、特攻で突撃した学徒・上原良司の遺稿への思い入れが語られている。上原はこう記していた。権力主義の国家は最後に必ず敗れる。イタリアのファシズムも、ドイツのナチスも倒れた。自分の信念が正しかったことが証明されるのは祖国にとって恐るべきことだろうが、自分自身にとっては限りなく嬉しい。こんな思いを持ちながら彼は死んでいった。

 臼淵大尉にせよ、上原にせよ、拒否することのできない、それこそ不条理としか言いようのない自らの宿命に対して、自分をいったん離れた視点から意味付けをしようというもがきが見て取れる。戦争を、肯定・否定というロジックで後知恵でくくるのは簡単だが、それでは上っ面だけになって見えてこない苦衷をこそ汲み取るべきだろうし、そうした問題意識で保阪の前掲書も書かれている。

 しかし、正直なところ、もどかしくも感じる。彼らの死を率直に受け止めたい。だが同時に、戦後教育を受けた私の頭の中には、戦没者の慰霊→軍国主義賛美になりかねない、という飛躍した感覚がしみついてしまっている。そうした刷り込みを振りほどくには手間がかかりそうだ。

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2007年10月23日 (火)

どうでもいい雑談、音楽。

 新宿に出たついでにタワーレコードに寄った。例のごとく視聴コーナーをうろちょろ。

 バーンスタインの芸術というタイトルの復刻盤を二つ見かけた。一つは、チャイコフスキー「交響曲第六番 悲愴」。旧盤は私も持っており、今でも繰り返し聴いている。ジャケットも全く同じなのだが、「イタリア奇想曲」が付け加わった上に、1,200円と安くなっていた。バーンスタインの演奏を聴いていると、「あれ、こんな所で打楽器が入ったかな?」と不審な一瞬がたまにある。この「悲愴」にしてもそう。演奏風景を映像で見ると答えはすぐに分かる。あの人、興がのるとピョンピョン飛び跳ねながら指揮するので、ドン!と着地した音までも録音されているという次第。

 もう一つは、ショスタコーヴィチ「交響曲第七番 レニングラード」と「交響曲第九番」の二枚組。一枚目にレニングラードの第一、二楽章、残りを二枚目に収録。視聴機には二枚目が入っていた。「レニングラード」の第三楽章を久しぶりに聴いたが、弦楽合奏の美しさに改めて感じ入った。ショスタコは、それこそ硝煙が立ち昇りそうな激しさがあるかと思うと、第九番のように皮肉っぽい軽やかさもあったりと多面的なスタイルが面白い人だが、弦楽もなかなか良い。第五番と第十一番「1905年」の第二楽章も美しいし、第十二番「1917年」の出だしの低音合奏は重厚にズシンと響く。ルドルフ・バルシャイがショスタコの弦楽四重奏曲をアレンジした「室内交響曲」も好きだ。

 なお、私が持っている「レニングラード」はロストロポーヴィチ指揮の輸入盤。買ったのは高校生のとき。あの頃はまだショスタコの日本製CDはあまり出回っていなかった。辞書を引きながら英文解説を読んだのもなつかしい。レニングラード攻囲戦の最中に作曲され、スコアはマイクロフィルムにして海外に持ち出され、ムッソリーニとケンカしてアメリカに亡命していたトスカニーニの手で海外初演されたというエピソードを覚えている。シュワルツネッガーと宮沢りえが「チーンチーン、ブイブイ」と歌っていたアリナミンVドリンクのCMはいつだったか。あのメロディが「レニングラード」の第一楽章。ドイツ軍がヒタヒタと押し寄せる様子が描かれていた。

 フロアを移り、スピッツ「さざなみCD」を買った。透明感があって、胸がすくように心地よい。そういえば、以前、スピッツの曲をフィーチャーした「海でのはなし。」という映画を観たことがある。DVDがスピッツ特集コーナーに並んでいた。宮崎あおいと西島秀俊というキャスティングはスピッツの曲のイメージにぴったりだし、二人ともお気に入りなので期待満々で観に行った。ところが、薄っぺらな駄作。がっかりと言うよりも、怒りがこみ上げたことを思い出した。

 YUKIがソロ活動を始めて以降の曲を集めたシングル・コレクション「five-star」も気になったのだが、予算がつきた。のびやかに元気で、時に切なさも表現できる歌声が好きだ。初めて聴いたのはジュディ・アンド・マリーの頃の「イロトリドリノセカイ」。普段、ポップスは聴かないのだが、たまたま耳にして、それがその時のフィーリングというか、心理状態にぴったりシンクロしてしまったようだ。一度シンクロするとずっと気になってしまう。

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2007年10月22日 (月)

「多桑」

「多桑」

 「多桑」とは「父さん」のこと。日本語から台湾語に入った言葉にこんな字があてられている。

 ブンケンの「多桑」、セガは大の日本びいき。年齢を聞かれると「昭和四年生まれ」と答え、台湾の新聞はあてにならないと言っていつもラジオの日本語放送を聴いている。気に食わないことがあると「バカヤロ」と日本語で怒鳴り、妻や子供に手をかけるのも日常的。鉱夫をしていたが、時代状況の変化と共に職は徐々になくなり、村も消えてしまった。長年の鉱山生活で肺をやられて、引退後は入退院を繰り返すことになる。

 時は流れ、ブンケンも一人前の家庭を持つ。家には家具があふれ、生活水準が大幅に上がったことが分かる。孫は北京語を使うので、セガとは話が通じない。集中治療室に担ぎ込まれたセガは、先に死んだ友人のことに触れてこう言った。「あいつとは約束してたんだ。子供たちに手がかからなくなったら、一緒に日本へ行って皇居や富士山を見に行こうって」

 私がリアルタイムで初めて観た台湾映画はこの「多桑」だった。たしか新宿歌舞伎町のシネマスクエア東急だったと思う。実はその時、個人的な心配事で居ても立ってもいられず、映画の内容は全く頭に入っていなかったのだが。

 改めて見直してみると、いつも粗暴なセガが時折見せる、ものおもいにふけった哀愁漂う横顔が印象的だ。セガはブンケンに「お前はしっかり勉強しろ、俺みたいな人間になるなよ」と言い聞かせていた。時代は変わって社会全体が豊かになりつつある中、そこに適応できなかった孤独感。自分の力ではどうにもならない自らの置かれた立場に対する苛立ちを、日本びいきという形で吐き出すしかなかった。そうした苦衷が粗暴な振舞いの中から見えてきて痛々しい。

【データ】
監督・脚本:呉念真
製作:侯孝賢
1994年/台湾/144分

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2007年10月21日 (日)

台湾について二冊

田村志津枝『台湾人と日本人──基隆中学「Fマン事件」』(晶文社、1996年)

 殴った者は忘れても、殴られた方はわだかまりをひきずってしまうことがある。個人レベルもそうだが、植民地における支配者・被支配者という関係においてそれは一層際立つ。

 1942年2月、基隆中学。すでに三ヶ月前の真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まっている。台湾人生徒たちが寄せ書きしたサインブックを日本人生徒が取り上げ、そこに「Fマン」と書かれていたことから一波乱おこる。「Fマン」とは「フォルモサ・マン」、つまり台湾人ということらしい。十六世紀に来航したポルトガル人が「イラ・フォルモサ」(美しい島)と言ったことから、台湾島は「フォルモサ(Formosa)」、もしくは中国語訳で「美麗島」と呼ばれるようになった。日本人生徒はこの「Fマン」から独立運動をたくらんでいると難癖をつけて台湾人生徒を殴り、さらには5人の台湾人生徒が警察に留置される騒ぎとなった。一週間で釈放されたものの、たかが落書きくらいで大げさな事態に発展してしまうあたりに植民地における矛盾が垣間見えてくる。本書は当時の関係者への聞き書きを通して、台湾人と日本人それぞれの植民地支配に対しての受け止め方の違いを浮き彫りにする。

 台湾で育った日本人が内地に帰ると、駅の売り子、港湾労働者、農作業をしているのが日本人であることに、当たり前のことだと頭では理解しつつも驚いたという。台湾人の労働の上にあぐらをかいた日本人という構図がうかがえる。他方、事件で台湾人生徒につらくあたった特高の刑事は沖縄出身者だった。留置所にぶちこまれた当人が、沖縄出身者は内地では差別されていたのだから他の日本人よりは台湾人の気持ちを分かっていたはずだ、と語るのもまた複雑である。

 台湾人の対日感情というのは安易に即断できないデリケートなものをはらんでいる。先日、伊藤潔『台湾──四百年の歴史と展望』(中公新書、1993年)を読んだ。通史としてよくまとまっているのだが、現代史に入ると日本に対して好意的な記述が目立つのが印象に残った。伊藤自身は日本を美化するつもりはないとことわってはいるのだが。たとえば、日本の官吏や警官は高圧的だったが、教師は熱意があって真面目な人が多く、彼らへの尊敬が親日感情のもとになっている。日本は少なくとも法治国家だったので政治犯を投獄することはあっても殺しはしなかったが、国民党は平気で政治犯を殺した、という具合に。伊藤は戦後の日本に留学し、台湾独立運動の支持者として国民党政権が続く限り帰国はかなわないと考えたのか、日本に帰化して日本名を名乗っている。

 台湾には日本と国民党、二つの過酷な支配を受けた経験がある。このどちらに反発するかに応じて、その反転として他方への好意が強まるという感情面での力学が働くのだろうか。どんな日本人に出会ったかという個人的な体験によっても違うだろうし。いずれにせよ、難しい。

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