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2007年10月7日 - 2007年10月13日

2007年10月13日 (土)

「冬冬の夏休み」

「冬冬の夏休み」

 冬冬(トントン)はもうすぐ中学生。お母さんは病気で入院しており、休みの間、妹の婷婷(ティンティン)と一緒に田舎のおじいさんのもとで暮らすことになった。引率してくれたちょっと頼りない叔父さんがはぐれてしまうというハプニングから始まったものの、駅前で出会った少年たちと意気投合、楽しい夏休みの予感。

 豊かな緑が広がる中、茶目っ気たっぷりな少年たちと素っ裸になって水浴び。台北に暮らす冬冬にとって田舎暮らしの一つ一つが新鮮なようだ。その一方で、大人の世界も少しずつ垣間見えてくる。知恵遅れの女性の妊娠。あの頼りなかった叔父さんの自立。「親ができるのは、子供が一人立ちできるための準備くらいだよ」──頑固で恐かったおじいさんのしみじみとした述懐を冬冬はかたわらで聞く。

 二十年以上前の作品なので映像は少々粗いが、田んぼが広がり、木々が青々と茂る夏の田園風景はのどかに美しい。紙貼りの障子、畳の部屋で寝転んだり、ちゃぶ台に向かって勉強したりしているシーンが映り、この頃の台湾にはまだ日本風家屋が普通に残っていたのをしのばせる。三、四十年くらい前の日本でもこうした生活光景が見られたのではないか。そんな親近感もわく。

【データ】
原題:冬冬的假期
監督:侯孝賢
脚本:侯孝賢、朱天文
1984年/台湾/98分

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2007年10月12日 (金)

「めがね」

 とにかく食べ物がうまそうに見える。と言っても、たいていは普通の食卓に並ぶありふれたもので、グルメ向けの映画ではない。

 荻上直子監督の前作「かもめ食堂」(2006年)はフィンランドという異国の地で和食の味わいを見た目にもよく引き出していた。今回は南島の何もないがゆったりとした風景が舞台。ロケは与論島で行なわれたらしい。

 何も深く考える必要はない。ぼんやり“たそがれ”て、体を動かしたければ“メルシー体操”踊って(笑)、食うもん食ってビール飲んでカキ氷かきこんでれば素直に生きていける、そんな映画です。こういうのんびりした時間感覚はすごく良いなあ。

 光石研の不器用そうな善意も良い感じだし、市川実日子のいつもふてくされたような表情も結構好きなんだけど、やはり真の主役はもたいまさこということで衆目は一致するだろう。正体不明のミステリアスな存在感が意外に自然に見えてしまうあたり、何とも表現しがたい味がある。

【データ】
監督:荻上直子
出演:小林聡美、もたいまさこ、市川実日子、光石研、加瀬亮、薬師丸ひろ子。
2007年/106分
(2007年10月11日レイトショー、銀座テアトルシネマにて)

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2007年10月11日 (木)

「サッド・ヴァケイション」

 「Helpless」(1996年)、「EUREKA」(2000年)に続く、青山真治自身の故郷を舞台とした“北九州サーガ”の第三作。「Helpless」からもう十年が経つのか。私自身の年齢もそれだけ重ねていることを思うと、色々な意味合いで感慨深い。乾いたように苛立った、やり場のない焦燥感がこの「Helpless」の静かな映像の中に浮かび上がっていたのが今でも鮮明な印象として残っている。

 「Helpless」で健次(浅野忠信)が先輩の妹で知的障害を負ったユリ(辻香緒里)を連れて消息を絶ってから十年。彼が中国人密航者の手引きをするなど裏社会に生きているシーンから「サッド・ヴァケイション」は始まる。その後、運転代行の仕事にかわったところ、ふとしたきっかけで自分と父を捨てて家出した母・千代子(石田えり)の姿を見かけた。健次は母への復讐を胸に秘めて、彼女の再婚先である間宮運送にもぐり込む。

 母性がテーマの一つとなるらしい。健次の恋人(板谷由夏)との関わり方、借金取りに追われて怯える後藤(オダギリ・ジョー)の頭をなでる梢(宮崎あおい)の姿も描かれているが、何よりも大きいのは千代子の存在感だ。一度捨てた息子をあっけらかんとした表情で受け入れていく千代子の態度は、身勝手とかいうのとは違って、ちょっと不可解なすごみすらある。健次は「親でも子でもない」と捨てゼリフを吐く。しかし、復讐という形であっても母との関係にこだわるあたりには、彼自身の意識の奥底に絡め取られている呪縛が微妙に垣間見えてくる。

 母性は一方では受け入れの原理である。しかしながら他方、ユング的なグレート・マザーのイメージは、そこから自立しようともがく彼をのみこんでしまいかねない恐ろしさの象徴でもある。反発しつつ受け入れを求める、というアンビヴァレントな葛藤を浅野忠信のすずやかな表情はよく浮かび上がらせていた。

 そうしたアンビヴァレンスは間宮運送というコミュニティのあり方にもつながってくるように思う。この会社には社会生活からドロップアウトして居場所のない流れ者が集っている。社長(中村嘉葎雄)は「やめてしまったら、ここにいる人たちはどこに行ったらいいんだ」と慮る。妻の千代子も、健次ばかりか彼が連れてきたユリや中国人孤児までも何の屈託もなく受け入れていく。事情も様々な人々が寄り合って、互いの素性を詮索はしないながらも、借金取りに追われる者がいればみんなで守り合う共同体。そうした緩やかなのに密な人間関係にはどこか暖かみがある。

 ゲゼルシャフト(利益社会)なんて社会学用語を使うと大げさだが、目的合理的に集った社会関係では、反発しつつ受け入れを求めたり、緩やかなのに密接という矛盾した態度の取り方は難しい。これとは違う社会関係の枠組みとしてはどのような形があり得るのか。

 資格を剥奪された元医者の木島(川津祐介)は「偶然なんてのはない、会うべき人には会うべくして会うんだよ」と言う。親子関係にしても、共同体関係にしても、自身の意図とは関係なくその場に自らが組み込まれ、同時に相手も一緒に組み込まれている、そのようにお互いの関係性が“必然”だという感覚が、自覚的かどうかはともかくとしてある。血縁がそうだし、間宮運送のような寄せ集めであっても「会うべくして会った」という自覚が生まれればそれもまた一つの運命共同体となり得る。

 もちろん、こうしたあり方は安心感がある一方で、うっとうしい束縛でもある。しかし、安心か束縛か、どちらに重きを置いても、それなりに人生態度の起点として作用する。束縛→反発→自立というベクトルもあれば、失敗→受容→安心というベクトルも双方向的に働き得る。いずれの態度をも許容する柔軟さとして最も特徴的なのが母性であろう。理念的な話に過ぎないことは重々承知しながらも、このような母性的曖昧さを投影して、千代子という女性の存在感と間宮運送という会社とを重ね合わせながらこの映画を観ていた。

【データ】
原作・脚本・監督:青山真治
出演:浅野忠信、石田えり、宮崎あおい、板谷由夏、オダギリ・ジョー、中村嘉葎雄、川津祐介、光石研、嶋田久作、他。
2007年/136分
(2007年10月10日レイトショー、新宿武蔵野館にて)

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2007年10月 9日 (火)

東海道品川宿から京浜工業地帯へ

 10月6日、土曜日。思い立って町歩き。今日は旧東海道、品川宿へ。

 午前10時半頃、JR品川駅下車。新幹線停車に合わせて駅構内も周辺もだいぶ変わった。第一京浜(国道15号)沿いに南下。途中、工事で道が分かりづらかったが、無事、北品川商店街の入口にたどり着いた。

 入っていくとすぐにお休み処という看板のかかった店がある。店先から顔を出していたおばさんから「町歩きの方ですか」と声をかけられた。小物入れポケットのたくさんついたベストを着てリュックサックを背負い、いかにも町歩きといういでたちだったので正体を隠すのは難しい。別に隠密行動を取る必要もないのだが。

 おばさんはボランティアでガイドをしているとのことで、品川宿の見所を色々と教えてくれた。このお休み処も本来は居酒屋で、日中だけ借りているという。「東海道品川宿まち歩きマップ」を10円で購入。説明入りの詳細な地図でなかなか役に立った。旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会の発行。京浜急行電鉄、北品川駅から新馬場駅、青物横丁駅あたりの商店街が加盟している。なお、品川駅の南に京急北品川駅がある。昔の品川宿は目黒川で南北に分かれており、その北側という意味である。

 ボランティアのおばさんに教わった通り、利田(かがた)神社の鯨塚なるものを見に行くことにした。旧東海道から脇にはずれて海方向に坂道を下り、運河にかかった北品川橋を渡る。なにやら行進曲と歓声が聞こえると思ったら、台場小学校の前に出た。運動会の季節である。幕末、江川太郎左衛門の命令で作られた砲台跡がそのまま現在は小学校の敷地となっているらしく、それが校名の由来。鯨塚というのは11代将軍徳川家斉の時代に品川沖に迷い込んだ鯨の骨を葬ったところだそうな。このあたりは利田新地という。もともと海だったが、江戸時代に埋め立てられたので新地と呼ばれている。

 北品川橋に戻った。屋形船の繋留所となっており、7、8メートルほどの幅の運河に船がごった返していた。L字型に曲がったその向こう岸には古い木造民家が密集している。さらに向こうを見はるかすと、二つのタイプの建物が目に入る(写真1写真2)。手前に古びた都営住宅。その向こう、再開発された品川駅前、左側の品川グランドコモンズ及び右側の品川インターシティ。三世代の建物が一つの構図に収まるのが面白い。そういえば、先日観た「恋するマドリ」でこのあたりが映っていたように思う。新垣結衣のかわいらしさ以外には見所のない映画だが、街並みの風景をきちんと収めていたので私としてはそんなに不満はなかった。

 旧東海道に戻る。ぼんやりと歩いている分には普通の下町の商店街だが、品川宿を意識した町づくりがされているので、私のような町歩き人と結構すれ違う。いかにも古そうな商家を見かけるたびに町としての古さを実感する。たとえば、写真3写真4。藤森照信言うところの看板建築である。関東大震災後の復興過程で広まった建築様式だという。写真5は空地の奥にレンガ壁が見えたのが気になった。写真6はあまりのぼろさに感動して思わず撮影してしまった。写真7は街角の廃屋。表通りばかり歩いていてもつまらないので路地裏に入ったら手押しポンプがさり気なく残っていた(写真8)。

 宿場町だったのだからお寺や神社が多いのは別に不思議なことではない。ただ、ちょっと面白いと思ったのは、それが街道筋から内陸方向に一定の距離をおいて並んでいること。たとえば、写真9の奥に諏訪神社が見えるが、これくらいの距離。中沢新一『アースダイバー』(講談社、2005年)は、縄文海進時の東京近辺の遺跡や貝塚をマッピングし、それが当時の海岸線と重なっていたことを示し、その上に現在の神社仏閣といった“聖地”があるのを指摘していた。品川宿近辺の昔の海岸線を考えると、こうしたお寺や神社の配置とほぼ重なるように思う。それだけの歴史的堆積の上に現在の街並みがあるのだ。

 南下するにつれて、商店よりもマンションが増えてくる。中には、マンションに“身売り”したこんな神社もあった(写真10)。鮫洲を過ぎるともう街並みに面白さはない。やがて旧東海道は第一京浜と合流するのだが、そのV字型となった地点に、江戸の最果てに来たことを示す遺跡があった。鈴ヶ森刑場跡である(写真11写真14)。現在は大経寺というお寺の境内になっている。磔刑台(写真12)、火炙台(写真13)の礎石が残っているのには少々驚いた。なお、江戸の北の最果て、小塚原の刑場跡も訪れたことがある。現在は南千住駅の近く、高架となった常磐線と東武伊勢崎線とが並行するすき間に位置するのだが、殺風景な線路に挟まれて草がぼうぼうに生い茂った様子はいかにも荒涼とした雰囲気を漂わせていた。

 大森海岸駅で京浜急行に乗車。子供の頃から時刻表の地図を見るたびに、京浜工業地帯に枝葉のようにのびる路線が気になっていた。そこで、京急川崎駅で大師線に乗り換え、終点の小島新田で降りた。工場地帯のど真ん中のはずだが、意外と住宅街がある。多摩川岸に出ると、河口近くだけあってさすがに川幅は広い。サイクリングロードとなっており、結構人が行きかっている。対岸には羽田空港があり、時折、飛行機の爆音が響く。小関智弘『大森界隈職人往来』(岩波現代文庫、2002年)の冒頭、空港用地としてアメリカ軍に接収され、追いたてられた羽田の住民たちの悲運から書き起こしていたのを思い出した。

 川岸は電線も何もない。広々と感じられて気持ちよい。空の写真を適当に撮影(写真15写真16写真17写真18写真19)。

 川崎に戻って今度はJRに乗り、鶴見駅で鶴見線に乗り換えた。ここも京急大師線と同様、工場地帯にめぐらされた路線である。企業にちなんだ駅名が多く、たとえば浅野駅は浅野セメント、昭和駅は昭和電工、安善駅は戦前の安田財閥(現在は芙蓉グループ)の創立者・安田善次郎に由来する。なお、大師線の鈴木町駅には味の素の工場があり、戦前は鈴木商店という名前だったことにちなむ。財閥の鈴木商店とは違うらしいが、詳しいことは知らない。

 目指す海芝浦駅は東芝の敷地内にあり、私有地とのことで一般客は下車できない。ホームが海上にせり出していることで知られ、私の他にも結構な人数が見に来ていた。黄昏色になずむ海芝浦駅(写真20写真21)。運河の対岸は昭和シェルの石油基地である(写真24)。写真22写真23は高速湾岸線の鶴見つばさ橋で、さらに進むと横浜ベイブリッジにつながっている。

 折り返し電車に乗り、鶴見の一つ手前、国道駅で降りた。ホームが半分くらい国道15号(第一京浜)の上にかかっているのでこんな妙な名前がついている。それにしても、実に面白い構造をした駅だ。ホームの下に広い空間が設定され、そこに商店街がある。ホームから階段を降りる途中、この空洞にかけられた橋を渡り、商店街を見下ろす形となる。ただし、現在開店しているのは焼鳥屋一軒のみ(写真25)。この店だけは大繁盛だが、他の店舗はすべて閉鎖されていた(写真26)。近いうちに取り壊されるのだろう。川本三郎『我も渚を枕に』(晶文社、2004年)では川本がここで酒盛りをしているのだが、こうやって街並みも変わっていく。

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2007年10月 8日 (月)

与那原恵『街を泳ぐ、海を歩く』

与那原恵『街を泳ぐ、海を歩く』(講談社文庫、1998年)

 目が覚めたら、東京にしては珍しいほどの美しい青空が広がっている朝だった。ああ、こんなきれいな空を沖縄の諸島で見ていたいなあと思った瞬間、沖縄に行くことに決めてしまった──。そんなノリで世界を歩き回った旅の記録である。

 カルカッタで会った日本人旅行者のビンボー自慢。彼から、君はどうしてカルカッタにいるの、と聞かれた。「私はカルカッタに意味など求めていない。混沌(カオス)だの生だの死だの、どうでもいいのだ。私はひとりでいたいだけだ、そう言った。」

 与那原さんの文章は割合と感傷的だけど、わざとらしい嫌味のないところが私は好きだ。インドでは貧困を見なければいけない、中東では紛争を見なければいけない、そういった類いの構えたフィルターがない。もちろん、問題の背景ははきちんと分かっており、十分に書き込んでいる。むしろ、歩いた場所、出会った人々をみつめるまなざしが自然体で優しいだけに、それぞれに抱え込んでいる葛藤が共感的に描き出されている。思い入れたっぷりなのだがしつこい重たさはなく、読んでいて心地よい。

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2007年10月 7日 (日)

藤原保信『自由主義の再検討』

藤原保信『自由主義の再検討』(岩波新書、1993年)

 現代社会は資本主義と議会制民主主義とを二つの柱として成り立っており、いずれも個人の自由を保障することを基本原則としている点で自由主義と呼び得る。本書はそうした自由主義の背景に功利主義を見出し、古代ギリシアのプラトン・アリストテレスから現代のリバタリアン・コミュニタリアン論争まで西欧政治思想史の流れを踏まえながら、功利計算に基づく自由主義の限界を検討しようと試みる。個人化の進展による人間疎外という状況に直面し、人間本来のあり方としての類的紐帯の回復を目指したマルクスに共感しつつ、社会主義の欠陥に触れた上で、結論としてコミュニタリアニズムの立場を打ち出している。

 マキャベリ・ホッブズ以後の近代思想の特徴を端的にまとめるなら、個人を単位とした機械論的な社会モデルと言えるだろう。つまり、人間は快楽を追求し、苦痛を回避しつつ自己保存を図る存在として把握され、こうした人間観を出発点として社会契約説も市場社会の論理も導き出された。

 社会をアトム的個人に細分化する趨勢は封建社会の桎梏から人間を解き放ち、その権利を保障する上で大きな役割を果たした。ところで、プラトンは『国家』において、人間の魂を理性的部分、気概的部分、欲求的部分の三つに分けたことはよく知られている。個人中心の社会モデルにおいては、プラトンが最下層に位置づけていた欲求的部分に他の二つの部分は従属することになった。つまり、享楽的な世俗性を全面的に肯定する形で価値のヒエラルヒーが転倒したと言える。

 世界は大きなコスモスであり、人間はその中に包摂されている、それがプラトン的な世界観であった。ところが、人間をアトム的に細分化してその寄せ集めとして社会を構想するようになったとき、善悪の判断は個々人の行為の比較考量の問題と単純化され、その意味で社会の問題ではなく、あくまでも各自の主観の問題に過ぎないとみなされた。各自の自然的な欲求、より洗練された表現で言うと“選好”がまず前提とされ、その総和イコール社会善と考えるようになった。その仕組みを法則的に解明するのが社会科学であり、個別の矛盾点を調整するのが政治の役割となった。

 しかしながら、以上で想定されている自己充足的な“自我”モデルが果たして実際にあり得るのか。自由主義の前提となっている人間観に対し「負荷なき自我」、社会関係から「遊離した自我」として疑問を呈したのがコミュニタリアニズムである。コミュニタリアニズムは人間をナラティヴ(物語的)な存在として捉える。つまり、ある言語共同体に帰属し、過去・現在・未来をつなぐ中に自らを位置づけ、共同体内の他者との対話を通じて不断に自己解釈を繰り返していく。そこから“共通善”としての規範意識が一定の客観性を帯びることになるという。

 以下は私見。個人主義と“自律”の感覚は不可分なものだが、“何か”との結びつきを自覚できない人間にとって“自律”は極めて困難である。自分が踏みしめている立脚点が分からないとき、そもそも何のために生きるのか、目標を立てようがない。そうした者は自らの存在意義を無理やりにでも作り上げようとして、過激政治運動や新興宗教など、アイデンティティ・ポリティックスの罠にはまりやすくなるように思われる。そうしたことを考えたとき、人間をナラティヴ=自己解釈的な存在と捉える本書の視点に私は共感する。つまり、時間軸として過去・現在・未来という流れの中に、空間軸として一定の社会関係の中に自らの立ち位置を見出すことは、それを一種のものさしとして、常に自己を客観化する、すくなくとも一つの契機となる。その点で、藤原の意図にはそぐわないかもしれないが、私自身としては歴史感覚としての“伝統意識”や共同体としての“ナショナリズム”に肯定的である。もちろん敢えて“”をつけたことから分かるように様々な留保をつけた上でのことだが。

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