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2007年8月26日 - 2007年9月1日

2007年9月 1日 (土)

スメタナ「わが祖国」を思い出して

 チェコの文化といったら誰を思い浮かべるだろうか? 思いつくままに並べると、スメタナ、ドヴォルザーク、カレル・チャペック、アルフォンス・ミュシャ、ヤン・シュヴァンクマイエル。チェコ人ではないがカフカの名前もはずせない。

 例によってCDショップの試聴コーナーをふらついていたら、スメタナの連作交響詩「わが祖国」をみかけた。ラファエル・クーベリック指揮によるCDが廉価版で出されていた。“ビロード革命”で共産党政権が崩壊し、亡命先から四十年ぶりに帰国したクーベリックの凱旋ライヴを収録した名盤である。なつかしくて、思わずヘッドホンを耳に当てていた。

 私がチェコという国を最初に意識したのはスメタナの「わが祖国」だった。この中の第二曲「モルダウ」の美しいメロディーはあまりにも有名だが、他は意外と知られていない。全六曲を通して聴いたのは高校生の頃だったと思う。第一曲「ヴィシェフラト」はプラハの城を描いている。ハープで始まるメロディーはゆったりとして居丈高なところがなく、しかし荘厳さを失っていない。なかなか良いと思った。「モルダウ」以外は評価されていないと何かで読んだことがあったのだが、ウソつきやがってと腹立たしかった。

 初めて聴いたときは第五曲「ターボル」と第六曲「ブラニーク」がお気に入りだった。CDのライナーノーツに、フス戦争の闘士が甦ってチェコ民族の独立を勝ち取るというテーマが込められていると書かれていた。曲そのものよりも、民族解放というドラマチックなイメージに私は胸を湧き上がらせていた。

 19世紀、ロマン主義の流れをくむ国民楽派はナショナリズムの音楽的表現でもある。フランス革命およびナポレオン戦争をきっかけとしてヨーロッパ全土にいきわたったナショナリズムは、抑圧されてきた小民族の政治的解放の要求を喚起した。それは同時に、自分たちの伝統を見直そうという文化運動と結びついた。アカデミックには言語学や民俗学が成立し、さらに民族的感情を直截に訴えるものとして文学、美術、そして音楽も時代の風潮の例外ではなかった。そうしたパッションはやはり胸を打つ。たとえば、シベリウスの「フィンランディア」も私の大好きな曲である。

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2007年8月30日 (木)

昔の鉄道路線図を眺める

 小学校にあがるかあがらないかくらいの幼い頃、子供向けの鉄道百科シリーズが好きだった。車両には全く興味がなく、もっぱら全駅の写真付きデータを読みふけっていた覚えがある。行ったことのない土地について想像をふくらませ、胸をワクワクさせていた。

 だが、その頃からすでに赤字路線の第三セクター化、場所によっては廃線という流れが始まっていた。鉄道路線網の総距離という点での最盛期は1970年代くらいだろうか。あの当時の雰囲気のよすがでも知りたいと思い、種村直樹『時刻表の旅』(中公新書、1979年)、『終着駅の旅』(講談社現代新書、1981年)、『駅を旅する』(中公新書、1984年)といった本を読んでみた。全線乗車の体験をもとにローカル駅の情景が書き留められている。無論、行ったことはないのだが、知っている駅名を見るだけでなつかしく感じる。

 鉄道路線網の興廃は、日本現代史の一側面を映し出している。『廃線入り 全国鉄道路線案内図』(人文社、2006年)を眺めていたら、廃線がとりわけ目立つのは北海道、ついで福岡。炭鉱地帯の路線が多い。鉄道が敷設されるには地域に応じてそれぞれの事情があるわけだが、廃線された路線をみると、①石炭・木材など資源運搬用、②軍事用、といった目的で敷かれ、戦後の情況変化によって不採算路線に転落したケースが多いようだ。

 そもそも軍事目的の場合、経営的な採算性は最初から度外視されている。先日、広島に行ったとき、広島駅と広島湾の軍港を結ぶ宇品線の廃線跡に立ったが、この路線は日清戦争直前にわずか16日間の突貫工事で完成されたものだ。しかし、戦後は旅客輸送に転用されたものの、市電に競り負けて廃線となった。

 戦争中の復刻地図が収められている『昭和19年の鉄道路線図と現在の鉄道路線図』(塔文社、2004年)を買い求め、曽田英夫『時刻表昭和史探見』(JTB、2001年)を参考書として傍らに置きながら眺めた。面白いと思ったのは、第一に現在の鉄道路線網の基本形は昭和19年の時点でほぼ出来上がっていること。第二に、樺太、台湾、朝鮮半島、そして旧満洲国の路線図まで収録されていること。

 宮脇俊三『時刻表昭和史』(角川文庫、2001年)だったと思うが、東京から旧満洲国の新京までを一本に結ぶ時刻表が掲載されているのを見て驚いたことがある。特急つばめ号で下関へ、そして関釜連絡船で釜山に出て朝鮮鉄道・満鉄直通列車という乗り継ぎ。当時の日本は大陸国家だったんだと不思議に感慨深い。

 蛇足ながら、俊三の父・宮脇長吉は陸軍出身の政治家で、政友会所属の代議士だった。退役軍人ではあるが軍国主義の風潮には批判的で、後の翼賛選挙では非推薦で立候補、しかし落選。戦局もおしせまった時期に俊三が父と一緒に列車に乗った折のこと、偉そうに座席を占領する若い将校を長吉が苦々しげに一喝するシーンが『時刻表昭和史』に描かれている。ちなみに、長吉は“黙れ事件”の当事者である。国家総動員法案の審議に政府委員として答弁にあたっていた陸軍省の佐藤賢了が、議員たちの野次に対して「黙れ!」と怒鳴りつけて問題化した事件だが、実はこの時、佐藤は「黙れ、長吉!」と言ったらしい。佐藤は、宮脇が陸軍士官学校教官だった時の教え子だった。

 昭和19年の路線図を眺めていて、淡路島と沖縄にも鉄道があったのは意外だった。沖縄は平成15年に開業したモノレールが初の鉄道とばかり思い込んでいたのだが、沖縄県営鉄道が昭和20年4月まで運行していた。しかし、沖縄戦のあまりの激しさで鉄道施設は完全に壊滅し、米軍占領下に入っても復興されることはなかったという。

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2007年8月27日 (月)

「ベクシル──2077日本鎖国」

 舞台設定は2077年の日本。10年前に徹底した“ハイテク鎖国”を断行し、日本の内情は海外に一切分からない。日本を事実上牛耳る大企業・大和(ダイワ)重鋼の不審な動きをキャッチした米国特殊部隊SWORDは、政府上層部の意向を無視して日本への潜入作戦を実行に移した。日本側の堅いガードを辛うじて生き残った工作員ベクシルは、それまでベールに包まれていた日本の恐ろしい事態を目の当たりにする。

 原作なしのオリジナル作品らしいが、なかなかよく出来ていると思う。世界から隔絶された日本に荒廃した空間が広がっているという設定は大友克洋「AKIRA」を思わせる。人間の機械化への抵抗というモチーフは松本零士「銀河鉄道999」をはじめ古典的なテーマだ。

 曽利文彦監督は、松本大洋原作の「ピンポン」を映画化するにあたり所々でCGを駆使して面白い映像を作っていた記憶があるが、今回は本格的なアニメーションである。3Dで人物の微細な動きまで再現するリアルな映像は、最初ちょっと違和感があったが、観ているうちに目に馴染んできた。以前、テレビアニメシリーズ「攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX」を観たとき、オープニングだけ3D映像で気持ち悪く感じた覚えがあるのだが、今回のように目に馴染んでしまうと、従来のアニメ映像がチャチに見えてきてしまう。音楽のノリも悪くない。

【データ】
監督:曽利文彦
脚本:半田はるか、曽利文彦
声の出演:黒木メイサ、谷原章介、松雪泰子、大塚明夫、他
2007年/109分
(2007年8月25日、新宿ジョイシネマにて)

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2007年8月26日 (日)

升味準之輔『昭和天皇とその時代』

升味準之輔『昭和天皇とその時代』(山川出版社、1998年)

 昭和天皇が亡くなったとき、私はまだ中学生でそろそろ世の中の問題に目を向けようかという年頃だった。私の家庭はどちらかと言うと天皇制に否定的な空気があったので、情緒的な思い入れはない。かと言って格別な反感もなく、無表情にヨロヨロ歩く老翁の姿だけが私の天皇イメージのすべてであった。

 本書は、当事者の日記や回顧録をはじめ史料根拠をふんだんに用いながら、戦前・戦後を通じた政治史の中での昭和天皇の立ち位置を跡付けようと試みる。引用が多すぎて少々読みづらい感じもするが、それだけ議論の信頼性は保証されている。しかしながら、ある年代以上の人々にとって天皇の問題というのは距離の取りづらい微妙な困難をはらむものらしい。実証研究で名高い日本政治史の泰斗にしても、自らがその中にいた“呪縛空間”との葛藤を吐露している。

 関心の焦点はやはり太平洋戦争の開戦と終戦の経緯に集まり、数ある史料の中でも『昭和天皇独白録』にしばしば言及される。昨年スクープされた“富田メモ”にしてもそうだが、これらに特に目新しい事実はない。むしろ、従来の研究を裏付ける内容である。ただ、一人称で語られる昭和天皇の肉声に著者は並々ならぬ関心を示す。これもまた、かつて体感していた“呪縛空間”のゆえでもあろうか。

 昭和天皇の積極的な政治介入は三回だけあったと言われている。張作霖爆殺事件の処理をめぐって田中義一首相を叱責、田中が恐懼して辞任してしまった“苦き経験”を反省し、以後は“立憲君主”として振舞うことを旨として、政治介入は自制してきた。二・二六事件と終戦の決断の二回は例外である。そのように昭和天皇は語る。しかし実際には、内奏と御下問、聖旨の伝達など様々な場面で天皇は政策決定の中枢にいたと著者は指摘する。そして、“苦き経験”を踏まえた“立憲君主”という言い方は、東京裁判を目前にして構成された弁明の論理だという。

 無論、天皇制が護持されたのはこうした論理構成が連合国に受け入れられたからではなく、あくまでもアメリカが政治利用の価値を認めたからに過ぎない。それからもう一点、昭和天皇がマッカーサーとの会見で、「自分の身はどうなっても構わないから国民を助けて欲しい」と述べたこともよく知られている。

 “聖断”によって終戦が実現できたなら、同様に開戦も阻止できたはずではないか、という疑問はよく提起される。だが、もしそのような意思を示していたらクーデターが起こって事態はもっと悪くなっていただろうと昭和天皇は言う。いずれにせよ、彼は政策決定の中枢にいて、その中で可能な限り戦争回避に苦慮していたが、軍部や開戦派に押し切られる形で宣戦を裁可することになる。政治というのは国益のためには戦争の可能性も排除できない、少なくとも当時はそれが常識であった。様々な意見が交錯する中で揺らぐ昭和天皇の姿が間接的ながらも本書には浮かび上がっている。

 戦後も昭和天皇は政治への関心を持ちつづけ、首相や閣僚からの内奏によく耳を傾けていたらしい。勿論、そこで語られた天皇の言葉が外部に漏れることはなかった(田中角栄内閣の増原防衛庁長官がうっかり記者団に話して政治問題化したことがある)。しかし、新憲法の確立によりそうした機会はかつてに比べると断然少なくなり、昭和天皇も少々寂しい思いをしていたようだ。ヨーロッパ王室をモデルとして天皇に権力を集めた明治から昭和初期という時代は皇室の歴史の中でむしろ例外的で、戦後、権力から隔絶された現在の方が伝統にかなっているという趣旨のことを高松宮が述べており、興味深い。

 『昭和天皇独白録』は寺崎英成のメモを基にしているが、昭和天皇の回想を側近が書き留めた『拝聴録』が宮内庁に存在するという噂がある。私もぜひ読んでみたいという気持ちに駆られる。昭和天皇は、たとえば西園寺公望のようなオールド・リベラリストの薫陶を受け、バランス感覚に富んだ人だったという印象を私は持っている。軍部が政府を引きずり回し、政党政治は自滅していく、そうした下々の諍いを苦々しく眺めざるを得なかった苦衷はいかばかりであったろうか。

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