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2007年8月12日 - 2007年8月18日

2007年8月17日 (金)

広島の原爆について色々と

 このお盆休みには原爆関連の本を、特に広島について読みあさっていた。

 原爆というテーマで取り合えず一冊手に取るとしたら何を選ぶだろうか。原民喜『夏の花』がまず思い浮かんだ。『原民喜戦後全小説』(上下、講談社文芸文庫、1995年)に目を通す。原は妻を亡くして広島の実家へ戻っていた折に被爆。目の当たりにした光景をとにかく書きつけたノートが「夏の花」のもととなっている。「美しき死の岸に」は亡くした妻への想いを綿々とつづっているが、何か女々しいなあと思いながらパラパラめくっていたら、不遇をかこつ中、不器用で傷つきやすい感受性がどこか放っておけない感じで、いつしか読み込んでいた。とりわけ、自殺を目前にして事実上の遺書となった「心願の国」。被爆体験をもひっくるめて自らの人生をリリカルに昇華させようと不思議にロマンティックな切迫感がすごく良い。

 原と同様、被爆した作家として書かねばならないという義務感から生まれた作品として大田洋子『屍の街』(私は『ふるさと文学館第四十巻 広島』ぎょうせい、1994年で読んだ)も知られている。具体的な描写はGHQのプレスコードにひっかかって出版までには紆余曲折があったらしい。筆致は冷静で、たとえばこんなくだりもある。「あたりまえな人たちは、怪我をしていないというそれだけの違いでも、負傷者たちを、元々きたない乞食ででもあるように扱った。言葉や態度を横柄にし、見下げたようにしか扱わなかった。このような人間心理をも、それから罹災者たちは罹災者たちで、まだ焼け出されて二日か三日しか経っていないのに、元々自分が哀れな人間ででもあったかのように卑屈になってしまう心理をも、私は奇異に思わないではいられなかった。」だから人間は醜いと決め付けるつもりはなく、極限状態にあった人間心理を突き放して見つめる視線はいかにも作家らしい。

 井伏鱒二『黒い雨』(新潮文庫、1970年)は、原爆症を疑う義理の娘の結婚問題をきっかけに、主人公がそのやりきれない思いを込めて8月6日から15日までの出来事を手記につづるという形式で、原爆の惨状が細かに描かれている。井伏自身は被爆者ではないが、実際に被爆した人々の手記を組み合わせているらしい。

 原爆症のおそれと結婚問題というテーマはよく取り上げられる。井上ひさしの戯曲『父と暮せば』(新潮文庫、2001年)やこうの史代のベストセラー漫画『夕凪の街・桜の国』(双葉社、2004年)では、原爆症の懸念ばかりでなく、8月6日の光景がいつまでも脳裏から離れず「自分だけ幸せになるわけにはいかない」という呪縛との葛藤が描かれている。

 なお、こうの作品のタイトルは大田洋子の過去の作品とかぶるが、意識して付けられたのだろうか。漫画といえば中沢啓治『はだしのゲン』はわざわざ言及するまでもあるまい。最近公開されたスティーヴン・オカザキ監督「ヒロシマナガサキ」にも中沢氏は出演していた。

 被爆者の手記を読むのはやはりきつい。『原爆体験記』(朝日選書、1975年)は原爆投下から5年後にすでに編まれていたが、大田洋子『屍の街』と同様、GHQのプレスコードにひっかかって出版にこぎつけるまでかなりの時間を要している。原爆をめぐるGHQのプレスコードについては堀場清子『原爆 表現と検閲』(朝日選書、1995年)に詳しい。長田新編『原爆の子』(上下、岩波文庫、1990年)は被爆後6年目に子どもたちの書いた手記を集めている。語彙は乏しくとも、その分、余計な修飾がないだけに端的につづられた記録は身につまされる。神田三亀男編『原爆に夫を奪われて──広島の農婦たちの記録』(岩波新書、1982年)は、義勇隊として動員されていた夫がみな被爆死した農村の女性たちの聞き取りで、これも貴重な記録である。

 林重男『爆心地ヒロシマに入る』(岩波ジュニア新書、1992年)は原爆投下後二ヶ月ほどの時点での広島と長崎の写真を自ら撮影した経緯を記している。廃墟の光景しか映っていないが、それだけ破壊力のすさまじさが窺われる。被爆直後の広島の写真というのは意外と少なく、中国新聞カメラマンだった松重美人(よしと)氏の撮った5枚があるくらいで、『ヒロシマはどう記録されたか』(NHK出版、2003年)にその背景解説と共に収録されている。黒焦げになった赤ん坊を抱えた女性の姿が映っており、眼を思わずそむけてしまった。さらにショッキングなのは、『写真で見る原爆の記録』(原水爆資料保存会、1956年)である。松重カメラマンによる広島の写真も収録されているが、長崎に関しては広島とは異なり被爆直後の写真が多く残されている。気の弱い人は見ない方が良い。なお、映画「ヒロシマナガサキ」でも映し出される。

 広島についてはヴィジュアル的な記録が少ないため、記憶を絵に描きとめておく試みがなされた。『原爆の絵──広島の記憶』(NHK出版、2003年)にその経緯がまとめられているが、図書館で貸出中だったので私は未読。丸木位里・俊『ピカドン』という絵本もよく知られている。私は大江健三郎『ヒロシマ・ノート』(岩波新書、1965年)の各章扉カットに使われているので見たが、原本はやはり未見。

 『写真で見る原爆の記録』は原水協の編纂になる本だが、冒頭に三人の被爆者の手記が掲載されている。いずれも、被爆者であるがゆえに差別された経験が吐露されている。風呂屋で二度と来ないでくれと言われ、夫にも捨てられた女性。結婚したものの姑から邪険にされる女性。体の不調を訴えると怠け者と上司から言われてしまう男性。被爆者であると分かると就職や結婚に響くので被爆者手帳の交付を敢えて受けないという人もいた。中条一雄『原爆と差別』(朝日新聞社、1986年)はさらに踏み込み、“平和運動家”の“善意”がかえって被爆者に特殊な烙印を押す結果となってしまう逆説を激しい口調でえぐりだしている。“平和運動”の不毛な政治性については大江健三郎『ヒロシマ・ノート』でも取り上げられている。

 広島の原爆をめぐる問題の全体像をつかむには『ヒロシマはどう記録されたか』がとても便利だった。NHK広島支局と中国新聞の原爆報道の軌跡をたどるという趣旨だが、分厚い本だけに様々なテーマが網羅されている。七月に撃墜されて捕虜となった米兵が「ここにいたら死ぬ、近いうちに広島が全滅するような爆弾が投下される」と言っていたこと、原爆投下直後に政府から調査団が派遣された経緯などは初めて知った。放送というテーマでは『幻の声──NHK広島8月6日』(岩波新書、1992年)という本もある。

 高田純『核爆発災害──そのとき何が起こるのか』(中公新書、2007年)の第一章は放射線科学の立場から広島の核爆発の瞬間を分析している。爆心地のすぐ近くでも生き残った人がいたが、生死を分けた偶然の原因が科学的に解明されており、興味深い。

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2007年8月16日 (木)

「ヒロシマナガサキ」

 資料映像がしばらく流れた後に映るのは渋谷・原宿の若者たち。「1945年8月6日に何があったのか知ってる?」とマイクを向けられ、屈託なく「分からない」と答える。“若い世代は歴史を忘却している”というお決まりのパターン。そういうお説教映画かとイヤな感じの出だし。

 しかし、全篇を通して見ると良心的に作られているように思う。被爆者と、原爆投下に直接関わったアメリカ人、それぞれのインタビュー映像を組み合わせて構成されており、余計なナレーションは一切ない。過剰な感傷は排して、観客はひたすら彼らの語りをかみしめる。原爆が炸裂した瞬間を、投下した側、被爆した側、両方の回想を並べて浮き彫りにしているあたりなど興味深い。

 資料映像を通して、アメリカ側の日本イメージが簡潔に示される。たとえば、元駐日大使ジョゼフ・グルーの「日本人は我々とは思考回路の全く異なる狂信者だ」という趣旨の演説からは、日本への原爆投下やむなしというアメリカ側の空気がよくうかがわれる。ただ付け加えると、知日派としてのグルーはアメリカ政府の対日政策をまだマシな方へ舵取りしたキーパーソンであったことにも留意しておこう(たとえば、平川祐弘『平和の海と戦いの海』(講談社学術文庫、1993年)や五百旗頭真『日米戦争と戦後日本』(講談社学術文庫、2005年)を参照)。

 自らの体に刻印された被爆の傷跡をカメラの前にさらけ出しながら語られる肉声。単に被爆した瞬間だけでなく、60年にもわたって続いてきた苦しみにはコメントなどできない。ある女性は、姉妹二人生き残ったが、その後の貧しさ、そしてはっきりとは言わないが周囲から向けられる偏見により、妹が鉄道自殺してしまったという。「ギリギリになると人には死ぬ勇気と生きる勇気が並べられるのだと思います。妹は死ぬ勇気を選び、私は生きる勇気を選んだのです」という言葉が胸に残った。

 岩波ホールで観たのは本当に久しぶりだ。上映開始30分前に行ったのだが、すでに受付には行列ができており、満席。観客の年齢層は高めだった。

【データ】
原題:White Light/Black Rain
監督:スティーヴン・オカザキ
2007年/アメリカ/86分
(2007年8月16日、岩波ホールにて)

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2007年8月15日 (水)

中島岳志『パール判事』

 昨晩、NHKスペシャル「パール判事は何を問い掛けたか──東京裁判 知られざる攻防」を見た。東京裁判は必ずしも初めに結論ありきで行なわれたわけではなく、判事の間でも激しい論争があって判決も流動的であり得た様子を描き出しており、興味深かった。ディレクターの高木徹は『戦争広告代理店』(講談社文庫、2005年)『大仏破壊』(文春文庫、2007年)といった素晴らしいノンフィクション作品で記憶している。

 この番組のキーパーソンの一人、オランダ出身のレーリンク判事のことが気にかかった。確か、『レーリンク判事の東京裁判』(小菅信子訳、新曜社、1996年)が本棚にあったはずだと探したのだが、東京裁判関連の文献はまとめて実家に預けっぱなしのようで見つからない。

 レーリンクは飛行機上から広島の廃墟を目撃し、あまりのことに心を動かされたという。日本に同情したということではなく、勝者の裁きの不毛を実感し、その点でインド出身のパール判事の意見に共鳴した。判決に際しては多数派意見とは別に少数意見を提出、“人道に対する罪”“平和に対する罪”は事後法として否定、ただし通例の戦争犯罪としての残虐行為は重く見て軍人9名に死刑を求めた。多数派意見で死刑とされた中で唯一の文官であった広田弘毅については無罪としている。

 先日買い求めたばかりの中島岳志『パール判事──東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社、2007年)を通読した。本書は、田中正明『パール判事の日本無罪論』(小学館文庫、2001年)や映画「プライド」(伊藤俊也監督、1998年)をはじめ、日本に都合よく強引に解釈されてきたパールの論理を読み直そうと意図している。

 パール判事による東京裁判批判の第一点は、「法によらない正義」をあたかも「法による正義」であるかのように押し付ける偽善へ向けられている。罪刑法定主義に照らすと、国際法に依拠しない“人道に対する罪”“平和に対する罪”を以て被告の責任を問うことはできない。政治的意図で法をまげるのは単なる報復であり、下手すると戦争に勝ちさえすればやりたい放題ということになりかねず、将来の戦争防止につながらない。また、日本は無条件降伏したとはいえ、国家主権を全面的に委譲することはあり得ない。従って、占領統治にもおのずと一定の制限があるはずで、事後法で裁いてよいという理屈にはならない。パリ不戦条約では自衛権の判断が曖昧で国際法として機能しておらず、現時点で戦争そのものを違法として裁くべき根拠はどこにもない。

 張作霖爆殺をはじめとした一連の軍事行動、とりわけ南京事件やバターン死の行進など個々の事件に関しては通例の戦争犯罪としての事件性を認定している。ただし、被告の責任を問うには証拠不十分であり、すべてを“共同謀議”として結び付けてしまうのは強引に過ぎるとしている。

 ここで注意すべきなのは、パール意見のポイントは、道義的な戦争責任と法的な戦争犯罪とを別個の次元で捉えていることだ。裏返せば、日本の道義的責任を免罪しているわけではない。

 同時にパールが問うているのは、その道義的責任というのは日本だけに限られるものなのかという点だ。日本は確かに侵略戦争を行なった。しかし、たとえば満州国を保護国としたやりくちなどを見ても、他ならぬ西欧諸国の真似である。しかし、これまで世界各地で植民地戦争をふっかけてきた西欧諸国の行為は国際法上の犯罪とはみなされていない。日本の帝国主義を断罪する一方で、自らの植民地を手放そうとはしない、それどころか新たな植民地戦争を行ないつつある(当時、日本敗北後の空白を埋めるようにフランス軍がインドシナ半島へ、オランダ軍がインドネシアへ戻り、独立運動を軍事制圧しようとしていた)。このように、西欧帝国主義の欺瞞に対する非難が込められている点が第二の特徴としてあげられる。

 第三に、国際法遵守を促すための国際機構として世界連邦という理想に触れていることは判決意見書としては異例である。

 パールの思想の根幹にはガンディーの非暴力主義、“真理の把握”がある。パールは戦後、4度にわたって訪日しているが、そのたびに日本がアメリカに依存し、アメリカの言うがままに再軍備へと舵をきろうとしていることに対して警告を発していた。「悪を制するに悪を以てする」発想で戦争という“悪”にコミットすることへのラディカルな批判である。

 また、広島に行った時のこと。原爆慰霊碑の銘文「安らかに眠ってください 過ちは 繰返しませぬから」を見てパールは激昂したという。「まつられているのは原爆の被害者であり、原爆を落としたのは日本人ではない。落としたものの手はまだ清められていない。…過ちを繰返さないということは将来武器を取らないことを意味するなら非常に立派な決意だ。日本がもし再軍備を願うなら、これは犠牲者の霊を冒涜するものである。」著者はこれを、原爆の責任の所在を曖昧にし、アメリカの顔色をうかがう日本人への苛立ちと解している。

 なお、アメリカを一つの象徴に見立てた物質文明批判という点では、パールと同様に、日本でも大川周明が早くからガンディーの思想に注目していたことが思い出される(たとえば、大川周明『復興亜細亜の諸問題』(中公文庫、1993年)を参照)。本書の著者も示唆しているが、パールと大川との比較論というのも興味深いテーマだ。

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2007年8月14日 (火)

『八月十五日の神話』『東アジアの終戦記念日』

 8月15日は終戦記念日、これを私なども自明なことと疑いもしなかったが、佐藤卓己『八月十五日の神話──終戦記念日のメディア学』(ちくま新書、2005年)を読んで目からウロコが落ちた。

 どの時点を以て戦争が終わったとみなすのか、意外と単純には決められない。時系列的に整理すると、ポツダム宣言受諾を連合国側へ正式に伝達し、終戦詔書が起草されたのは8月14日。その終戦詔書を天皇自らの声で録音した、いわゆる“玉音放送”が流れたのが8月15日で、一般にこの日を“終戦記念日”と呼んでいる。ミズーリ号上で重光葵外相と梅津美治郎参謀総長が降伏文書に調印したのが9月2日である。

 戦闘行動の停止という意味では各地の事情によってタイムラグがある。大本営から停戦命令が出されたのは8月16日。しかし、沖縄では、沖縄守備隊司令官牛島満中将が自決し、日本軍の組織的抵抗がほぼ終わった6月23日を慰霊の日としており、残存日本軍が正式に降伏文書に調印したのは9月7日である。また、ソ連軍は日本のポツダム宣言受諾後の8月15日に千島作戦を発動させ、歯舞諸島を完全占領した9月5日まで戦闘行動が続いた。大陸や南方各地でもそれぞれ日付は異なるはずだ。

 終戦のシンボルとして“玉音放送”がよく取り上げられる。しかし、戦争というのは相手があってのことであり、交戦相手に意思表示をした時点で終戦と考える方が理屈にかなう。その意味では8月14日、もしくは9月2日を終戦記念日とする方が妥当だし、そうでなければ海外の人々とこの戦争について議論する際の前提が共有できない。それにも拘わらず、日本人はあくまでも対内的なメッセージに過ぎない“玉音放送”を以て終戦とみなしているのは一体なぜなのか?

 本書は、“玉音放送”を聴いてうなだれている人々を撮影したとされる“玉音写真”の虚実、新聞報道の終戦特集企画記事、歴史教科書などの問題を取り上げているが、とりわけラジオ放送の分析を通して“玉音放送”の古層を掘り起こしているのが興味深い。1939年以来、英霊供養の盂蘭盆会法要のラジオ放送が8月15日に行なわれており、ここに“玉音放送”がイメージ的に重ねあわされたという。テレビや新聞の終戦特集企画、いわゆる“八月ジャーナリズム”はこのイメージを固定化させた。丸山眞男・宮沢俊義の8月15日革命説などによる断絶の強調は、彼らの意図は別として、かえって戦時下から戦後にかけてのメディアの連続性を隠蔽する効果を持ったと言える。

 こうした結論を踏まえて著者は、お盆の「8月15日の心理」を尊重しつつ、公式に戦争が終わった「9月2日の論理」とを両立させるため、この二つの日付をそれぞれ「戦没者追悼の日」「平和祈念の日」として“政教分離”することを提案する。

 以上の佐藤書を受けて、日本ばかりでなく朝鮮半島や台湾、中国など東アジア各地での“終戦”の捉え方を共同研究した成果が佐藤卓己・孫安石編『東アジアの終戦記念日──敗北と勝利のあいだ』(ちくま新書、2007年)である。

 沖縄はラジオ放送ができない状態にあったため、いわゆる“玉音体験”から排除されていた。戦後日本という“想像の共同体”を成り立たせた神話として“玉音放送”を捉えるなら、ここから見えてくる沖縄の位置付けもまた再考の必要がある。

 朝鮮半島や台湾でも“玉音放送”は流れた。私などには解放のニュースに国中が欣喜雀躍しているイメージがあったのだが、実際にはこれをどう受け止めたら良いのか人々は戸惑い、むしろ静かだったという。複雑な政治力学的なプロセスを経て時間をかけながら解放を実感することになるのだが、戦勝記念日、独立記念日をめぐって各地域それぞれの事情に応じてシンボル化されていく経緯がたどられている。

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2007年8月12日 (日)

夏休みを思い出させる作品

 夏休みシーズンに入ると、電車にガキンチョどもの姿が急に増える。通勤時間帯に乗り慣れていないヤツラの騒々しさ。寝ぼけまなこの私は少々いらつきながら、小学生の頃、電車に乗って遠出するこ自体がちょっとした冒険のようでワクワクしたなあ、などと妙に感傷にふけったりもする。

 夏休みという日常のルーティンから切り離された時間は子供心に様々な心象を呼び起こし、ファンタジーの舞台として格好な題材となる。もののけたちとの交流を描いた宮崎駿監督「となりのトトロ」(1988年)、宇宙人との出会いをVFXを駆使してSF物語に仕立て上げながら、同時に小学生の夏休みの光景をも描きこんだ山崎貴監督「ジュヴナイル」(2000年)などを思い出す。小さい頃の心象風景をくすぐられるのか、ノスタルジックな気分にひたってしまう。最近観た根岸吉太郎監督「サイドカーに犬」(2007年)は一夏限り、かけがえのない擬似家族体験を描いているが、これも一種のファンタジーのようにも思える。

 銀林みのる『鉄塔武蔵野線』(新潮文庫、1997年)は日本ファンタジーノベル大賞受賞作。鉄塔マニアの少年が、送電線の鉄塔にはそれぞれに番号がふられていることに気づき、第一号をつきとめてやろうとたどっていく。夏休みという非日常的な時間にかき立てられた少年の探究心。大人になってしまえば何でもないが、子供心には未知の世界を切り開いていこうというドキドキ感が良い。長尾直樹監督によって映画化されている(1997年)。なお、私自身は鉄塔マニアでも何でもないが、『東京鉄塔』(自由国民社、2007年)という写真集をパラパラめくっていたらなかなか風情があって面白かった。

 湯本香樹実『夏の庭』(新潮文庫、1994年)は大好きな小説だ。人間が死ぬってどういうことなのだろう?と好奇心を募らせた三人の小学生が、ある一人暮らしの老人を見に行く。いわば、日本版「スタンド・バイ・ミー」という感じか。ところが、いまにも死にそうだったその老人は、少年たちに観察されていることに気づくと、生きる張り合いが出たのか、かえって元気になる。やがて親しくなった彼らは、戦争体験をきっかけに孤独な過去を背負った老人の死を見届けることになる。相米慎二監督によって映画化されている(1994年)。

 小学生の夏休みを思い出させる作品として他にどんなものがあるだろうか?

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