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2007年7月8日 - 2007年7月14日

2007年7月10日 (火)

最近読んだ本

 ここ最近読んだ本を適当に。気分が鬱屈してくると小説に逃げているのが分かるな。

保坂和志『この人の閾(いき)』(新潮文庫、1998年)

 芥川賞を受賞した表題作の他、「東京画」「夏の終わりの林の中」「夢のあと」と計四編を収録。保坂和志の書く作品にストーリーとしての起伏はない。登場人物たちが、彼らの生活範囲の中で目にした出来事についてさり気なく語り合うだけ。ふと思いついたことを言葉に移しかえていくのだが、よく思索が練られている。構成上の計算がされているということではなくて、単なる思いつきで終らせていないというか、じっくり熟成したのちに出てくる言葉という感じ。文章の運びは一見淡々としているようでいて、実は意外と理屈ばってねちっこい。だけど、私は結構好きだ。

長嶋有『猛スピードで母は』(文春文庫、2005年)

 芥川賞を受賞した表題作と「サイドカーに犬」の二編を収録。後者は最近映画化され、その感想はこのブログでも書いた。「サイドカーに犬」の洋子さんにしても、「猛スピードで母は」のお母さんにしてもキャラクターの輪郭がくっきりしていて結構読ませる。芥川賞を取った時にはふざけたタイトルだと思っていたが、読んでみると情感がしっとりとあって私は嫌いではない。

吉田修一『パークライフ』(文春文庫、2004年)

 芥川賞を受賞した表題作と「flowers」の二編を収録。特にこれといった抵抗感もなくスイスイと読み進めたが、これといった読後感もなし。たぶん私と感性が合わないのだろう。

木村紅美『風化する女』(文藝春秋、2007年)

 デビュー作、文學界新人賞を受賞した表題作と「海行き」の二編を収録。「海行き」は何だか独りよがりな感じがして好きになれなかった。「風化する女」は、一人で死んだ四十代の女性の遺品整理を押し付けられた同じ会社の女性が、死んだ女性の人生を垣間見る話。他人の人生の意外な側面を知った素朴な驚きと共感がよく描かれていて、こちらは悪くないと思う。

白川道(とおる)『終着駅』(新潮文庫、2007年)

 盲目だがそれだけ感受性の鋭い少女(二十代半ばの設定だがピュアな感じでどうしても少女のイメージになってしまう)と暴力団幹部とのプラトニックな交流を軸に、裏社会の騒ぎや彼自身の複雑な過去へのこだわりが錯綜する。白川道の小説には過去の呪縛と葛藤する様を描いているものが多い。単にアウトロー小説というだけでなく身を入れて読み進めてしまう。

樋口有介『風少女』(創元推理文庫、2007年)

 主人公は東京で暮らす大学生。故郷に帰省し、初恋の女性が死んだことを知る。事件を探るうちに、かつての同級生たちの変わってしまった現実を見せつけられるという筋立て。話がちんまりちっちゃくまとまっている感じで、読みながらあくびが出た。

ユベール・マンガレリ(田久保麻理訳)『しずかに流れるみどりの川』(白水社、2005年)

 白地にモヤっと緑がかった装幀に目が引かれて手に取った。著者はフランスの児童文学者らしい。大きくなってしまえば何とも思わないが、子供の頃、身の回りの一つ一つの光景がやたらに恐かったり、あるいはいとおしかったり、大きな感情の振幅を以て受け止めていた。そんな視線で子供心に映った心象風景を追体験させてくれる。

小泉義之『レヴィナス──何のために生きるのか』(日本放送出版協会、2003年)

 「哲学のエッセンス」シリーズの一冊。何のために生きるのか?と問われてどう答えるか。「それをこそ考えるために生きるのだ」とか、「答えなどないのだから、目の前のことに懸命に取り組め」といったありがちな正論をばっさり捨てた所から説き起こそうとする点で本書は意欲的だ。しかし、最後まで読んでもどうにもピンとこない。著者は誠実に書こうとしているのはよく分かるので悪口は言いたくないのだが、レヴィナスの考えていたことの勘所が伝わらないというか、そもそもレヴィナスの思想が著者自身の中で血肉としてこなれていないのではないか。これは知識でテクスト解釈できるかどうかではなく、肌身に感じるかどうかというレベルの問題なので仕方ないとは思うが。

呉智英『言葉の常備薬』(双葉文庫、2007年)

 薀蓄オヤジが放つシニカルな逆説のパンチはなかなか痛快。旧制一高の寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」はある年代以上の人にはよく知られているが、本来の意味は私も初めて知った。こういう本は酒の肴にうってつけ。

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2007年7月 9日 (月)

なつかしい本

 実家が引っ越すことになり、置きっぱなしにしていた荷物を整理しに行った。無味乾燥な典型的な郊外住宅地。正直言ってあまり好きな土地ではなかった。しかし、4歳の頃から20年以上暮らした年月の重みはひしと感ずる。

 それにしてもよくためこんだものだ。私が、ではなく、母が、だが。図工の作品やら、作文やら、テストの答案やら、とにかくざっくり捨てた。小学生の頃、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズが大好きで、その影響を受けてだろうが、冒険小説だか推理小説だかよく分からない代物を書いていたのが結構出てきた。中には原稿用紙100枚以上の大作(?)もあった。すっかり忘れていた。家族から笑われながら捨てた。高校生の頃の日記は笑いごとではない。家族の眼に触れる前にいち早く確保。焼却処分も考えたが、取り合えず保存しておくことにした。色々とあったんでね。

 小さい頃に読んでいた本はやはり捨てがたい。懐かしいばかりでなく、今読んでもなかなか面白いのだ。ポプラ社の江戸川乱歩シリーズはすべて読破した。大半は図書館で読んだが、7冊ほど私の“蔵書”にもあった。大正・昭和初期の風景的イメージは乱歩で最初に形成されたことに改めて気付かされる。ちなみにこのシリーズ、第26巻『二十面相の呪い』までは少年探偵団ものだが、第27巻『黄金仮面』以降はもともと大人向け。時折、エロチックなシーンがあって胸をドキドキさせたのを思い出す。『人間椅子』『芋虫』といった本格的なエロ・グロものを読むのはもっと大きくなってから。

 絵本もなかなか楽しい。『ぐりとぐら』『だるまちゃんとてんぐちゃん』シリーズはいまだに続編が量産されている。スロヴァキア民話をもとにした『十二の月のおくりもの』の絵柄は記憶に鮮明に残っていた。丸木俊の絵筆になるが、今になって振り返ると、全体的に黒っぽいトーンは「原爆の図」と同じだな。ネパール民話『プンク・マインチャ』は絵が恐くて夢にうなされながら、それでも繰り返しページをめくっていたのをよく覚えている。秋野亥左牟という人が描いた絵だ。よほど強烈な印象を感じたようだ。それから、私は全く覚えていなかったのだが、母から聞いたところ、『よかったねネッドくん』という絵本が私の大のお気に入りで毎月一回は必ず図書館から借りていたらしい。これは教文館「ナルニア国」へ行くと今でも平積みしてある。児童書の息の長さには本当に驚く。

 何よりも大好きだったのは『東洋童話集』。創元社「世界少年少女文学全集」のうちの一冊だ。奥付をみると昭和29年の刊行。執筆者として金田一京助(アイヌ学)、松村武雄(神話学)、服部四郎(言語学)、魚返善雄(言語学)など当時の碩学が名前を連ねている。イマジネーションを豊かに刺戟してくれて、今でも読後の余韻を思い出せるほどに印象深い本だ。大叔父から母のもとに渡り、それを私が読んでいた、いわば受けつがれてきた本。ボロボロだが、こういう本こそ捨てられない。

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2007年7月 8日 (日)

早瀬圭一『大本襲撃──出口すみとその時代』

早瀬圭一『大本襲撃──出口すみとその時代』(毎日新聞社、2007年)

 以前にも触れたことがあるが、高橋和巳『邪宗門』は大好きな小説のひとつだ。大本教をモデルとした教団「ひのもと救霊会」に集う人々を軸に、戦前の宗教弾圧、そして敗戦直後の教団の自滅を描き出し、大河ドラマとして面白いばかりでなく、国家と宗教との緊張関係、とりわけ近代的知性と土着的感性との葛藤がおのずと浮き彫りにされているのが魅力的だった。

 『邪宗門』第一部は国家権力による弾圧によって教団がいったん壊滅するシーンでしめくくられる。原因不明の出火で本部施設が炎につつまれ、消火活動もむなしくすべてが灰燼に帰す。包囲していた警官隊は本部が燃え尽きるのを見届けてからやおら動き出し、呆然と立ちつくす教団の人々をゴボウ抜きに検挙していく。昭和10(1935)年の第二次大本事件を踏まえた描写である。実際には、その後の公判中に教団の土地が政府に収用された上で施設の解体作業が行なわれた。

 本書『大本襲撃』は、この第二次大本事件で陣頭指揮を取った杭迫軍二(くいせこ・ぐんじ)特高課長の動向から説き起こされる。大本の教義には世界の“立て替え”という表現が出てくるが、個人の心の救済と社会改革とを結びつけるロジックが内包されている。昭和初期という時代には社会全般に不安な心理状況がみなぎり、左右両翼を問わず国家革新を求める動きが顕著となっていた。そうした中、出口王仁三郎が立ち上げた昭和神聖会に頭山満や内田良平など右翼系の人士が出入りし、軍人の間にも大本の信者が増えていたため、治安当局は神経をとがらせていたようだ。大本教団検挙の第一の根拠は治安維持法。しかし、「国体を変革する目的をもって結社を組織」したとは言えないため該当せず。不敬罪で有罪の判決を受けるが、係争は十年にわたり、結局、敗戦後、不敬罪は消滅したので裁判も終わった。

 公判で出口王仁三郎が示した才気縦横な語り口は裁判長をも感嘆させた。しかし同時に、教祖・出口なおの娘で王仁三郎夫人の出口すみの不思議な存在感も人々の注目を集めたらしい。無実の罪で何年も獄につながれたにも拘わらず恨み言ひとつこぼさない天真爛漫な明るさは教団の人々の気持ちを落ち着かせたという。なおや王仁三郎のカリスマ的な存在感は早くから注目を集めて伝記的研究も出されている。浅野和三郎については心霊主義という点で関心を寄せる専門家もいる。しかし、すみのおおらかな包容力こそ教団をまとめ上げる扇の要であったとして、今まで目立たなかった彼女を主役に据えたところに本書の特色がある。

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