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2007年5月13日 - 2007年5月19日

2007年5月18日 (金)

橋川文三『昭和維新試論』

橋川文三『昭和維新試論』(ちくま学芸文庫、2007年)

 正確な言い方ではないが、日本人のメンタリティーに注目したとき、我々の生きている時代とその前とを区別するのは1945年ではなく、もう少しさかのぼって明治末期から大正、昭和初期にかけての時期ではないかという印象を私は持っている。

 以前に調査の必要があって大正・昭和初期の主要新聞・雑誌をパラパラとめくって眺めたことがある。修養本、今で言う自己啓発本や怪しげなオカルト的宗教本の広告がやたらと目に付いた。傾向的には今の新聞広告とたいして変わらない。“成功”を目指してサラリーマンが読み漁る自己啓発本やビジネス本。“煩悶”といえば聞こえはいいが、“自分探し”に躍起となっている人々が群がるスピリチュアリティー本。いずれも今なお出版業界のおいしい金づるだ。

 「この時代の青年層の両極的な志向──一つは帝国主義・資本主義のイメージに同化しようとする「成功青年」の傾向と、もう一つの自己内心の衝動に沈潜しようとする「煩悶青年」の傾向とは、いずれも日清戦後の急激な社会変動──新たに形成された産業資本主義の合理化と世俗化の浸透によって生活の定型を見失った存在である」(本書、103頁)という橋川の見取り図は、近代化の進展しつつある中での日本人の社会的人物類型として現在に至るも連綿と続いているように思う。

 産業化の進展によって“原子化”“私化”された群衆の時代。「何か面白いことはないかねえという不吉な言葉」(石川啄木「硝子窓」)に象徴される鬱屈した心情を不健全と論難するのはたやすい。だが、その背景として時代に底流する孤独な不安感は一体どこにはけ口を求めればいいのか。そうした戸惑いの一例を橋川は渥美勝(1877~1928年)に見る。

 やはり以前に昭和初期の右翼関係文献を調べていたときから渥美の名前は知っていたが、この人物には非常に興味をひかれる。彦根藩士の家に生まれ、一高を経て京都帝国大学法科中退。中学教師、鉄工所などを転々とした末に放浪生活を送る。身なりは汚いが表情に穏やかな気品があり、あたかもアッシジの聖フランチェスコを思わせたという。一方で激しい熱情も秘めており、桃太郎の旗を掲げて「真の維新を断行して、高天原を地上に建設せよ!」と辻説法を行なうのを日課としていた。

 橋川は渥美の残した文章から、おのれの生活的無能力、それ以上に存在的無価値への引け目の意識を読み取る(それはまるで太宰治の女々しさが思い浮かぶほどだ)。そうした自覚が反転し、大きく変化しつつある国内外の情勢の中で自分のできることは何かという問いにつながっている。それが日本神話の世界、“桃太郎主義”へと突き進むのは飛躍ではあるが、その飛躍自体に汲み取るべき彼の葛藤がありそうに思われる。

 渥美の書いた「阿呆吉」という文章を橋川は紹介する。村はずれによくいた、どこか頭のたりない物乞いの吉つぁん。彼は彼なりの愛嬌があって村の一員として受け入れられていたが、そんな吉つぁんが飢え死にしたことを伝え聞いたときのやるせない気持ちをつづっている。文明社会の合理化は役立たずを淘汰する。吉つぁんの飢え死に象徴されるような、郷愁を感じさせる生活世界の喪失。代わって覆いつくそうとしている殺伐とした社会。そうした中での戸惑いから生み出されたユートピアへの渇求が渥美の“桃太郎主義”からうかがえる。

 後年、頭山満は渥美を評して「あれはほんものじゃよ」と言ったらしい。頭山とてひとかどの人物である。その評言は右翼としてほんものだったということではなく、もっと別な迫力があったということだろう。渥美の周辺からつけられた右翼的な修飾語を取り払い、後世の単純な左右両翼への二分法では捉えられない彼の抱えていた悲哀感そのものを見つめようとしているのが橋川の筆致の最も魅力的なところだ。(蛇足ながら、渥美という人物の感性に辻潤と似たものを私は感じた。)

 “昭和維新”的な問題意識のもう一つの表われとして橋川は地方改良運動を取り上げる。明治憲法体制として国家の枠組みは出来上がったが、それは人々の生活実感とはかけ離れたものだった。このままでは幕藩体制のように支配者には黙々と服従するけれども生活意識は政治から全く乖離してしまうという状態が定着しかねず、その意味で地方自治の問題が課題として残されていた。

 ところが、日清・日露戦争に際して、意外なことに地域住民から自発的な盛り上がりがあった。こうしたエネルギーを政治システムに取り込まないわけにはいかない。そこで若手内務官僚たちが取り組んだのが地方改良運動であった。これは一面において、牧歌的な“明治日本”から近代的な“帝国日本”へとシステマティックな体制として国家改造を目指すことになる。それは、渥美の感じた息苦しさをますます強めることになろう。ただ、もう一面において、国民一人一人を政治的人格へ変えていこうという革新的な側面もあった。こうした地方自治問題の先駆者として井上友一がまず挙げられるが、橋川はとりわけ田沢義舖(よしはる)に注目する。田沢の捉えた政治主体が柳田國男の“常民”に近いと指摘されるあたりには関心をそそった。

 本書のオリジナルは1984年に朝日新聞社から刊行された。私が初めて読んだのは大学一年生の時だったと記憶している。上に記した渥美勝、田沢義舖の他にも、石川啄木、高山樗牛、柳田國男、上杉慎吉、平沼騏一郎、そして北一輝など様々な人物について橋川なりの示唆があって、近代日本思想史を読み解く上で今でも豊かな論点を提供してくれる。

 本書の解説を執筆しているのは、気鋭の俊秀、中島岳志。以前に紀伊國屋セミナーで中島が語るのを傍聴したことがあるが、橋川を読み込む際の問題関心の取り方と密接につながっているという印象を受けた。その時の発言では窪塚洋介を取り上げ、青年たちの「スピリチュアルな自分探し」が近年はやりのナショナリスティックな言説に絡め取られていくアイデンティティー・ポリティクスの危うさを指摘していた。かといって、ナショナリズムを単純に排除するのではない。ナショナリティーを“多にして一”なるものと捉え返す視点としてガンディーや井筒俊彦に注目しているという話が荒削りながらも非常に印象深かった。

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2007年5月16日 (水)

最近読んだ本

 ここ2,3週間ばかりの間に読み流した本の備忘録です。

太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(光文社新書、2007年)

 映画は好きでよく観るので、字幕作りの裏舞台をのぞけるのかなと軽い気持ちで手に取った。ところが、意外に(と言うと失礼だが)字幕作りを通した日本語論として的を射ている。映像の速度の応じて字数を切り詰めねばならず意訳したり、文化的・文法的な違いをごまかしたり、放送禁止用語や観客の読解力低下という壁にぶつかったり、次から次へと降りかかる無理難題に工夫を凝らす姿が面白い。さすが字幕屋さんで、文章もリズミカル。クスクス笑いながら一気に読んでしまった。

氏家幹人『かたき討ち──復讐の作法』(中公新書、2007年)

 “かたき討ち”とひとことで言っても色々なパターンがあったらしいし、事情も人それぞれ。典拠をしっかり踏まえて描き出された憤怒や悲哀は、“武士道”と一括されかねないイメージを崩し、そこが斬新で面白い。

西部邁『核武装論──当たり前の話をしようではないか』(講談社現代新書、2007年)

 タイトルは“核武装”論だが、戦略論的な話ではなく、むしろそうした専門家的な議論の陥りやすい陳腐さをあげつらう。核武装という一つの極限状態を糸口とした、西部さんお得意の大衆民主主義批判。

佐藤一郎『新しい中国 古い大国』(文春新書、2007年)

 歴史小説好きなら『三国志』はおなじみだろうし、ビジネスマンは沿海部の発展に関心が集中するだろう。しかし、中国は歴史と現代が分かちがたく絡まっており、断片を切り取っても中国は分からない。そうしたスタンスで雑学的に中国の全体像理解を手助けする。だけど、そんなに面白くはなかった。

恩田陸『図書館の海』(新潮文庫、2005年)

 短編集。『夜のピクニック』や『六番目の小夜子』など長編小説の番外編的な作品も含まれている。恩田さんのタイプの小説は決して嫌いではないのだが、読みながらのれなかったのがなぜなのか我ながらよくわからん。

白石一文『すぐそばの彼方』(角川文庫、2005年)

 次期首相の本命と目される代議士を父に持ち、その秘書を務める主人公。ただし、彼は精神的な不安定を抱えている。政界裏舞台の動きと、彼自身の人生上の転回とが同時進行する。主人公は内向的で、ストーリーにギトギトした黒さも華やかさもない。

佐藤正午『ジャンプ』(光文社文庫、2002年)

 突然失踪してしまった恋人を探す男の話。彼女の行方を追いかけて手掛かりを集めることが、同時に彼女の気持ちの微妙な揺れを手探りすることにつながる構図となっており、なかなか読ませる。

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2007年5月14日 (月)

丸山圭三郎『言葉と無意識』

丸山圭三郎『言葉と無意識』(講談社現代新書、1987年)

 こういう類の哲学書・思想書を読むことにどれだけの意味があるのかは分からない。社会生活上の実務には直結しないのだから(ただ、哲学・思想=難解なもの=ありがたいもの、と受け止める人は多いようで、不思議と蔑まれることはない)。

 私はボキャ貧で、自身の戸惑っている感覚を表現しようとして「私は私であって、私ではない」という禅問答めいた言い方をついしてしまう。幼い頃から漠然とながらも抱き続けてきた率直な実感だ。

 近代社会では“私”が主役である。“私”という確固としたアイデンティティーがまずあって、そうした能動的主体が外界を切り開くというプリミティヴな二元論で考えるのがどうやら一般的なようだ。“私”なるものの実体性を疑わないという点では、“自己責任”重視の新自由主義的な言説も、“自己啓発”書や“私探し”の心理学本に群がる人々も、すべて同じ穴のムジナのように見えてくる。前者が“私”なるものの強さの自信に裏打ちされているのに対し、後者は“私”なるものの弱さにひけめを感じているという程度の違いに過ぎない。いずれにせよ、私はこうした考え方になじめない。そもそも、考えようとしている位相が根本的に異なる。

 ところが、“私”至上主義の信奉者はとにかくヴァイタリティーがあって、前者のプラス志向にせよ、後者のマイナス志向にせよ、その押し付けがましさには辟易する。彼らの“私”イデオロギーはどうにも息苦しい。こちらの思考の中身まで汚されてしまわないよう哲学書を読んで息抜きをしているという次第。

 丸山圭三郎はソシュールの思索をとっかかりに、そうした“私”なるものの自明性を突き崩してくれる。

 日常的に何気なく使っている“言葉”。自分の意図を表わすため自在に使いこなしているようでありながら、かえってこの“言葉”によって振り回されている不思議さ。“私”という主体がアプリオリに前提され、彼が外界の実在物をラベリングしながら整理するもの、これが素朴にイメージされる“言葉”のイメージであろうか。しかし、“言葉”はそんなレベルには止まらぬ驚異を秘めている。

 “言葉”による名づけは世界を分節化する。分節化とは、“曰く言いがたき”生身の存在一般としか言えないこの何ものかに亀裂を入れて、“あれ”と“これ”との区別をつけること。我々が通常使う“言葉”=“ロゴス”が世界を分節化するだけでなく、もっと深層にあって普段は自覚されないもう一つのロゴスたる“パトス”もまた前者の“表層のロゴス”とぶつかり、諸々のロゴスがせめぎあいながら、分節化の網の目が間断なく世界に張りめぐらされていく。

 “ロゴス”が組み立てる網の目の秩序を“コスモス”とするなら、始原的な生身の流動性を“カオス”と呼びたくなる。しかし、ここで注意しなければならないのは、“コスモス”“カオス”という二項対立もまた、物事を画然と分けてラベリングしなければ気がすまない近代特有の思考癖であること。“カオス”もまたラベリングによる非在の現前なのである。

 以上を通して私が言いたいのはどんなことか。“私”が“言葉”を使って世界を能動的に区切っているのではない。非人称的な“言葉”=“ロゴス”のうごめきがまずあって、それによって生じた網の目の中に“私”はいる。“私”とは自存的に確かな実在ではない。相互依存的な関係性の連鎖の中に立ちあらわれた“間我”と言うべき何ものか、これをかりそめに“私”と呼んでいるだけのことである。

 私はいまここで一人称で語っている。その意味で“私”は存在する。しかし、一人称の“私”は、非人称的な相互連関の中の一コマに過ぎない。その意味で“私”はいない。

 前者の視点で日常の社会生活をやり過ごし、同時に後者の視点で存在一般を俯瞰する。二つのレベルを両にらみして自由に行き来できるようになれば、生きることも死ぬことも一切を素直に受容できるのだろうなと思いつつ、その境地にはまだ遠い。

 本書を読みながら、私の愛読書である『荘子』を何となく思い浮かべていた。丸山圭三郎は、ナーガールジュナの中観派仏教哲学はソシュールを先取りするものだと関心を寄せていた。以前に池田晶子・大峯顕『君自身に還れ』をこのブログで紹介したときにも記したが(http://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_2873.html)、西洋哲学で提起された問題意識はむしろ東洋思想を通した方が分かりやすくなるように感じている。

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