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2007年3月25日 - 2007年3月31日

2007年3月30日 (金)

こうの史代『夕凪の街 桜の国』

こうの史代『夕凪の街 桜の国』(双葉社、2004年)

 桜の花がひらきはじめた。見ながら、何とはなしにこの作品を思い出し、本棚から引っ張り出して読み直した。

 原爆投下より十年後、掘っ立て小屋の並ぶ広島の街並みから物語が始まる。被爆後、しばらくは健康そうでも急に倒れ、血を吐いて死んでしまうことがある。姉がそのように死んでいったのを目の当たりした皆実はやがて自分にも同じ運命が降りかかるであろうと薄々感じている。何よりも、被爆直後の惨状が忘れられない。自分は本来生きてちゃいけない人間なんだ、という後ろめたさをずっと引きずっていた。

 世の中は順調に復興しつつある。その中で、原爆の影がいつまでも日常生活に忍び込んでいる不安な日々。そうしたある家族の戦後と現代の姿を描いた作品である。井伏鱒二『黒い雨』でもそうだったが、原爆症を遺伝と結びつけて考える向きもあるため、とりわけ結婚の時に差別的な態度にぶつかってしまうことがある。この作品では被爆者に対する差別は描かれていないが、皆実自身や、弟が結婚しようとしたやはり被爆者である京の消極的な態度、あるいは舞台が現代に変わっても、孫のぜんそくが原爆症によるのではないかと心配する祖母の苛立ちという形で、原爆の影を引きずっている様子が垣間見える。

 私は“反戦平和”というテーマを大々的に打ち出した作品がどうにも好きになれない。もちろん、異議を唱えるつもりはない。ただ、一つの“正義”に転化してしまうことで、本来抱えていたはずの悲しみから主張だけが切り離され、上滑りに独り歩きを始めてしまう。その時の押し付けがましさがたまらなくうさんくさい。

 しかし、この作品にはそうしたイヤな印象がない。とりわけ絵柄のほんわりとしたタッチが好きだ。深刻な話でも、見ていてホッとするようなやわらかさがある。言葉で書くと堅くなってしまいかねないところをしっとりと解きほぐしてくれる。そのおかけで、登場人物それぞれの抱えた悲しみが、声高にではなく、静かに胸にしみこんでくるような感じがした。

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2007年3月29日 (木)

小玉新次郎『パルミラ──隊商都市』

小玉新次郎『パルミラ──隊商都市』(近藤出版社、1980年)

 パルミラの女王ゼノビアという名前に、なぜか小さい頃からひかれていた。パルミラというのは紀元前後の頃に存在した砂漠の中の隊商都市国家。現在の地図で言うとシリアのちょうどおへそのあたりに位置する。池袋のサンシャインシティにある古代オリエント博物館にここからの出土品が多数コレクションされているはずだが、写真パネルで見た遺跡の風景が印象に強く残っている。茶褐色の遺構と青空とがくっきりとコントラストをなす色合いの妙が“ゼノビア”という音の響きと重なって、なにかファンタジー小説に出てきそうなイメージを胸に焼きつけたのだろうか。

 地中海東岸及びその後背地にいた民族は、メソポタミア、エジプト、ローマといった巨大文明のせめぎ合いに翻弄されながらも、交易を生業としてしたたかに立ち回っていた。アラム人、フェニキア人、ヘブライ人がすぐに思い浮かぶだろうが、パルミラもそうした系譜に連なる。西のローマ帝国、東のペルシア帝国(アルサケス朝パルティア→ササン朝ペルシア)が抗争を繰り広げる中にあって、東西双方の文化を摂取しながら幅広い交易活動で繁栄した。

 当初、パルミラはローマと同盟を組んでいた。ローマ皇帝ヴァレリアヌスがササン朝のシャープール一世によって捕虜となった時、パルミラ王オダイナトはシャープールの軍勢に打撃を与えて一矢報いるなどの活躍を示したためローマからの信頼もあり、シリア方面の軍政を任されていたらしい。

 ところが、オダイナトは謀反で殺された。その後に実権をにぎったのがオダイナトの後妻に入っていたゼノビアである。ヴァレリアヌスの失態からも分かるようにローマ帝国の威光にはかげりが見えていた。ゲルマン民族の侵入が日常化しているばかりでなく、帝国内部も軍人皇帝時代と呼ばれる内紛状況にあった。ササン朝から攻められたとしてもローマの援軍は期待できない。ゼノビアは方針を転換し、パルミラの自立を目指す。

 パルミラの歴史については史料が少ない。ローマ人、ギリシア人の書いた歴史書にゼノビアのことも出てくるが、記載内容にそれぞれ矛盾があり、だいぶ脚色されている可能性もあるという。そこで、発掘された碑文や貨幣がたよりとなる。古代オリエント・ローマ世界では貨幣に王の肖像と王への賛辞が刻み込まれている。貨幣は年代判定では貴重なてがかりとなるので古銭学という分野が考古学では大きな柱となるくらいだ。パルミラからはゼノビアの息子で共同統治という形をとっていたワーバラトの肖像のある貨幣も出土しており、そこには“カエサル”という称号が刻まれていた。あのジュリアス・シーザーの“カエサル”である。カエサルの没後、ローマ帝国においては皇帝の称号となった。ドイツ語の“カイザー”、ロシア語の“ツァー”の語源である。パルミラ出土のこの貨幣には、ローマと対等の立場を主張した、すなわち独立した帝国を自分たちで築き上げるとの意思表示が込められていたのである。

 ローマ帝国も黙ってはいない。軍人皇帝の一人、アウレリアヌス帝は一時的にとはいえローマ帝国の統一に成功したのだが、彼はパルミラに総攻撃をかけた。国力の差は圧倒的である。降伏の勧告を受けたゼノビアは自らをクレオパトラになぞらえて、降伏するくらいなら死んだほうがましだ、と徹底抗戦の姿勢を示した。しかし、ササン朝のシャープールに援軍を求めるべく自ら赴こうとしたところ、ローマ軍に捕まってしまった。

 ゼノビアはどのような最期を遂げたのか。病没したとも、自ら食を断って死んだともいう。あるいは、連行されたローマで手厚い待遇を受けながら余生を送ったという話もあり、実際のところはよく分からない。パルミラは一時ローマの執政官の支配下に置かれたが、反乱を起こしたためアウレリアヌス帝の命により破壊された。

 野心的な女王と砂漠に消えた国。イマジネーションを広げれば小説の題材になりそうで興味が尽きない。

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2007年3月27日 (火)

ベネディクト・アンダーソン講演「ナショナリズムのゆくえ」

 ベネディクト・アンダーソンが慶應大学の三田キャンパスで講演を行なった。『想像の共同体』(邦訳・増補版、NTT出版、1997年)はすでに政治学の古典として定評を受けている。一昨年に翻訳の出た『比較の亡霊』(邦訳、作品社、2005年)を途中まで読んでほったらかしていたのを思い出し、講演を聴く前に読破してやろうと思い立ったのだが、約600ページという浩瀚なボリュームのハードルはなかなか高い。こちらは気長に読むことにして、とりあえず聴きに行った。

 タイトルは「ナショナリズムのゆくえ」(“Can Nationalism Still Change?”)。近代におけるナショナリズムの位置づけを歴史的な観点から大きく捉えかえしながら、現在の動向を探るという趣旨である。質的にも構成としてもさすがに充実した内容で、テープ起こしすればそれなりの本になりそうだ。慶應義塾大学出版会から連続講演会の記録がよく出されているから、そういう形で出版されるのだろうな。

 アンダーソンはナショナリズムの展開を三段階に分けて把握している。第一段階は、18~19世紀にかけてアメリカ大陸で湧き上がった独立運動。いわゆるアメリカ独立戦争(独立宣言は1776年)だけでなくラテンアメリカ諸国の動向も世界史的には重要である。いずれも君主政の廃止、共和政の確立を目指した点に特徴を求めていた。

 第二段階が19世紀のヨーロッパ(オスマン帝国支配地域も含む)。この段階では、大国に抑圧されているという自意識を持った人々が自分たちの文化を見つめなおし、ある意味でロマンティシズムとも言うべき高揚感を伴った点に特徴がある。

 第三段階は第二次世界大戦後の反植民地闘争である。植民地支配を受けた人々が、そのまさに支配を受けていた植民地行政の枠組みをもとに人工的にナショナリズムを組み立てたというもがきは『想像の共同体』で指摘されている通りである。

 こうしたナショナリズムの捉え方にはそれほどの新味は感じなかったが、女性解放やマイノリティーの位置づけというテーマとの関わりに目を配りながら話を進めていたのが印象に残った。たとえば、ゲイやレズが社会的に許容されつつあることを取り上げ、これには女性参政権の実現と同じロジックがあると指摘する。つまり、同じアメリカ人なのだから女性にも参政権をあげるべきだ。同様に、ゲイやレズであっても、同じアメリカ人なのだから異なる扱いをしてはいけない、という感じに。

 今回の講演では“ポータブル・ナショナリズム”というキーワードを出してきたのがおもしろい。インターネットなど通信メディアの技術的な向上が、異郷に移住した人々にもたらす影響を次のように論じていた。かつては移住先のメディアを通して情報にアクセスするしかなかったので、その地へ同化するきっかけとなった。ところが、現在ではネットを通して四六時中どこにもアクセスできるようになった。生れた国の情報も容易に入手できるので移住先への同化を促す圧力は弱まっている。その結果として、移住先でのアイデンティティーと生国とのつながりを維持したアイデンティティーとが切り離された形で両立される。どこにも持ち運び可能なナショナル・アイデンティティー、すなわち“ポータブル・ナショナリズム”である。

 アンダーソン自身はこのような事態にあまり好意的ではないような口ぶりだったが、いずれにせよ越境のしやすさとナショナリズムというテーマが彼の現在の主要関心事のように窺われた。『想像の共同体』では出版とナショナリズムとの関係が論じられていたが、メディアの技術的進歩を踏まえてさらに深めた議論をこれから展開しそうで興味深い。

 この講演会は「変わりゆくナショナリズムとアジア」という連続講演会の二日目。慶應義塾創立150周年記念事業の一環らしい。アンダーソンの講演に先立ち朝鮮半島研究の小此木政夫がスピーチしていた。福沢諭吉の脱亜論で言うアジアとは地理的観念ではなくあくまでも古い体制のシンボルとしての意味で、金玉均や兪吉濬たちを援助したことからも分かるように近代化をすすめた上でのアジアの連帯をむしろ彼は考えていた、と福沢擁護の論陣を張ったのもご愛嬌。会場は満遍なく埋まっていた。私がこの大学に通っていた頃には無味乾燥にだだっ広い階段教室だったが、最近改装されたらしく、いかにも大ホールらしい雰囲気になっていたのは少し驚いた。
(2007年3月27日、慶應義塾大学三田キャンパスにて)

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2007年3月26日 (月)

『知られざるジャパノロジスト──ローエルの生涯』

宮崎正明『知られざるジャパノロジスト──ローエルの生涯』(丸善、1995年)

 松本零士が槇原敬之と何やらもめているようだ。歌詞の盗作云々、証拠を出せ云々と泥仕合にはまりこんでいる。松本零士の作品はむかし好きだった。と言っても、世代がだいぶ離れており、『銀河鉄道999』を再放送で観たり、漫画を復刻版で読んだりという形なので、すでに過去の人だと思っていた。なつかしい人がいまだに意気軒高だなあとほほえましく思っている。

 去年、国際天文学連合の申し合わせにより、太陽系を構成する惑星のうち冥王星が準惑星(dwarf planet)に格下げされることになった。スイ・キン・チ・カ・モク・ド・テン・カイ・メイ、と覚えたが、最後のメイがなくなるわけだ。“惑星”の定義を満たさないことが理由らしいが、この報道を聞いた松本零士が「夢がこわれる!」と激怒していた。冥王星は、『宇宙戦艦ヤマト』では前線基地が置かれ、『銀河鉄道999』では太陽系最後のターミナル・ステーションと位置づけられていた。宇宙の無限な広がりへいま旅立つぞ!という感じにシンボリックな意味合いが込められていたのである。

 前ふりが長くなったが、この冥王星の存在を数学的に予言したのが本書の主人公パーシヴァル・ローエル(Percival Lowell、1855~1916年、ローウェルとも表記)である。海王星の軌道計算には数学上の矛盾があることを証明して、さらに別の惑星Xがあるはずだと主張した。結局、自身で確認できないままに世を去ったが、彼の設立したローエル天文台のトンボーが1930年に発見することになる。ローエルはまた、火星の表面に見える細い線は人為的につくられた運河であると考え、火星人の存在を主張したことでも知られている。

 このようにローエルは、天文学をいろいろとお騒がせしたことで名高いが、もう一つ東洋学の研究者としての顔も彼が持っていたことは意外と知られていない。本書はローエルの日本研究に焦点をしぼりながら彼の生涯を描いている。

 ローエルはアメリカ出身で多くの知識人を輩出した裕福な一族の生まれ。大学卒業後、世界漫遊するなか、1876年に来日。腰を落ち着けて日本語を学ぶ。以来、1893年までたびたび日本へやって来て各地を歩き回り、日本に関する著作をいくつかものしている。とりわけ“The soul of the Far East”(1888年、邦訳あり)はラフカディオ・ハーンに日本へのあこがれを呼び覚ますきっかけとなった。それから、伊勢神宮に参拝するなど神道にも関心が強く、“Occult Japan, or, The way of the gods : an esoteric study of Japanese personality and possession”(1894年)を出版した。

 ジャパノロジストとしてこのブログでも以前に紹介したことのあるチェンバレンとも付き合いがあった。それから、やはりこのブログで取り上げたモースはローエル協会で日本についての連続講演を行なっているが、これはパーシヴァルの大叔父にあたる人の遺産をもとに学術普及を目的として設立された団体らしい。

 なかなか気まぐれな人物で、地図を見て形がおもしろいというだけの理由で能登半島へ行き、“Noto : an unexplored corner of Japan  ”(1891年)という本も書いている。本書の著者は金沢出身という縁でローエルに関心を持ったらしい。

 また、ローエルは朝鮮政府の遣米使節団の参事官となった関係でソウルに滞在したこともある。その折の見聞を“Chosön : the land of the morning calm : a sketch of Korea”(1885年)にまとめるなど朝鮮半島情勢にも関心を寄せていた。1886年の甲申事変について彼の書いた論説が本書に訳載されている。

 このローエルという人物もなかなかエピソードが豊富で面白そうなのに、彼を正面から取り上げた類書は本書しか見当たらない。工夫して書けば読み物として十分に興味深い評伝になるはずだと思う。

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