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2007年12月 3日 (月)

網野善彦『東と西の語る日本の歴史』

 私は小学生の頃から歴史好きで、日曜夜八時からのNHK大河ドラマはよく観ていた。大抵はダラダラして退屈なのだが、唯一、いまだに忘れられないのは「炎(ほむら)立つ」だ。原作は高橋克彦。前九年の役から奥州藤原氏滅亡に至る東北の歴史を描き出していた。“蝦夷”と蔑まれる安倍頼時(里見浩太郎)の屈辱。兄弟同士憎しみ合う清原(藤原)清衡(村上弘明)と清原家衡(豊川悦司)。前九年の役では理想に燃える颯爽たる若武者として登場しながらも、後三年の役では古狸として戻ってくる源義家(佐藤浩市)など、人物造型のメリハリが明確で、彼らの散らす権謀術数の火花がぬるま湯のようないつもの大河ドラマとは全く異質だった。

 ストーリーの面白さだけでなく、東北という“辺境”に舞台設定されたのが新鮮に感じられたのだと思う。前九年の役、後三年の役にしても、日本史の教科書では地方の反乱という程度の扱いだ。しかし、“蝦夷”の視点に立ってみると、その地域が抱えざるを得なかった葛藤が大きく浮かび上がってくる。“蝦夷”の実力者として立つ清原実衡(萩原流行)は、京の貴族から養子を迎えて家督を継がせようとする。中央の権威と結びつくことで自らの立場を固めようという計算だが、清衡がこうつぶやいたのが印象に強い。「自らの血を否定するとは、何とも忌まわしいことではないか。」中央権力との同化、地域的自立の模索、両極的な思惑が交錯したアイデンティティーの分裂が日本の歴史にもあり得たことをドラマに仕立て上げていたというのも、大河ドラマとしてはやはり異例だった。

 網野善彦『東と西の語る日本の歴史』(講談社学術文庫、1998年)は、京都の朝廷に視点を固めた“ひとつの日本”という前提を崩すべく、それぞれに特性ある地域同士のダイナミズムを通して近世に至るまでの日本を描こうとしている。

 平将門は東国で独自の政府機構を作り上げ、いわば事実上の独立国家を出現させた。これを討つ平貞盛・藤原秀郷らは、京の朝廷からすれば反乱討伐軍だが、東国の視点でこの戦いを捉えるならば、東国自立路線か、それとも西と結びつく路線を取るのかという方針をめぐる争いだったと言える。東国はこの二つの路線対立に揺れながら、朝廷の命を受けて東北の“蝦夷”を討つ(前九年の役、後三年の役)一方、源氏を武家の棟梁と仰ぐ形で独自の力を蓄えていく。これは同時に、東国と東北との宿命的な地域対立にもつながった。

 西国も独自の動きを見せていた。平氏は宋との交易活動を重視して海洋国家としての方向を目指しており、朝廷の意向に反して福原に遷都したのも当然の選択であった。ところで、九州は西国とは一線を画しており、足利尊氏は東国の正統な継承者としての姿勢を示すと同時に、九州にも足場を置いた。後醍醐天皇はこれを牽制するように義良親王を東北に派遣して小幕府をつくらせようと目論む。こうした東国―九州ラインに対する西国―東北が対抗するという構図が南北朝の動乱期に現れたという。

 このように東西の政治力学が働いた背景には、それぞれの地域的な社会構造の違いが大きく根ざしている。東国は総領を中心に主従関係を結ぶイエ的社会なのに対し、西国は横につながる「傍輩」の関係が軸となる。東国出身者が地頭として西国に赴任すると、こうした人間関係意識のズレから摩擦も起こったらしい。何よりも、西国の水田優位、東国の畠作優位という経済構造の違いも大きい。米を日本文化のシンボルとする考え方が今でも根強いが、実際には庶民の生活は米以外の食物に支えられていた。律令期の班田制から近世の石高制に至るまで米は支配者による賦課の基礎であり続け、水稲耕作に重きを置く捉え方は畿内中心史観に偏っていると網野は批判する。

 食物、言葉、社会関係、様々なレベルで日本社会は地域ごとに多様であり、そのことが政治史的なダイナミズムとも密接につながっているのを描き出そうとしているところに本書の面白さがある。

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