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2007年12月30日 (日)

フェイ・阮・クリーマン『大日本帝国のクレオール』

フェイ・阮・クリーマン(林ゆう子訳)『大日本帝国のクレオール 植民地期台湾の日本語文学』(慶應義塾大学出版会、2007年)

 植民地期の台湾人による文学的潮流は郷土文学派と皇民文学派とに大別される。日本語を用いて作品を発表した点では共通しつつも、帝国の支配に対していかに抵抗したかをモノサシとして、距離をおこうとした前者を肯定、同化を目指した後者は否定するという図式が台湾の論壇でも主流をなすようだ。外国人としてこの議論を眺める私もこの図式を自然に受け入れている。

 日本の植民地支配をめぐる言説に対するとき、意図していなくても、「取扱注意!」というシールを貼った居心地の悪さを感じている自分に否応なく気づかされる。親日的とされる台湾人の発言を額面通りに受け入れてしまうことは過去の植民地支配における優越意識そのままなのではないかという罪悪感を覚える一方で、あからさまな日本批判にはやはり良い気持ちはしない。どちらの態度を取るべきなのか分からず、戸惑ってしまうことがしばしばある。この気分を言い換えると、黒白はっきりさせようとする図式的な理解ではなく、当時の人々が抱えた葛藤をそのまま内在的に理解したくても、そのとっかかりをつかめないというもどかしさがあった。

 本書は、日本“内地”から来て台湾を題材に作品を書いた作家(たとえば、佐藤春夫)、台湾育ちの日本人作家(たとえば、西川満)、そして日本語教育を受けた台湾人作家たち、三種三様のおびただしいテクストを詳細に読み解きながら、台湾における日本語文学が置かれた状況について大きな見取り図を描き出している。著者の目配りはバランスがとれていて、「台湾で書かれた日本語による文学作品は、ポストコロニアル批評家からは罵倒され、日本のナショナリストからは植民地時代への一種の郷愁として称賛されてきたが、」「こうした文学が実際のところは台湾人独自のアイデンティティを戦略的に肯定するものだとする立場」(本書、16ページ)に立っている。

 とりわけ焦点が当てられるのは皇民派作家たちだ。戦後、彼らはいわば裏切り者とみなされたわけで、近年になってようやく再評価が進んではいるものの、それまではまともに取り上げられる機会は少なかった。

「台湾人としてのアイデンティティへの忠誠が固い郷土派の作家たちと異なり、皇民作家たちは、歴史的文脈を特徴づける文化的不確定性と多様な関係性を例示している。新たなアイデンティティ構築にあたり文化的差異や揺れる思いを意識的に操作しようとする様は、ときにやや捨て鉢、あるいは哀れにさえ感じられる。しかし文化の多様性や主体性の複雑さを認識している同年代の読者なら、この過敏な反応を示す状態の生産的解釈を見出すことができるはずなのである」(本書、270ページ)。

 つまり、日本人なのか台湾人なのか不確定なアイデンティティの揺らぎをそのままに体現した彼らの姿にこそ、現代の我々が汲み取るべきものがあると指摘している。揺らぎそのものをみつめようという眼差しを持っている点で本書は私には説得的に感じられた。訳文もこなれていて読みやすい。

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