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2007年12月14日 (金)

原武史『増補 皇居前広場』

原武史『増補 皇居前広場』(ちくま学芸文庫、2007年)

 皇居前広場はたまに通りかかったことがある。都心で電線や高層建築に邪魔されず空を仰げるのはここくらいではないか。芝生と、松の木立と、点々と配置されたベンチ。人の姿はまばら。確かに広々としてはいるのだが、開放感というよりも居場所のない素っ気なさで、この場にとどまることはない。

 一国の首都にはたいてい公共広場がある。たとえば、パリのコンコルド広場、北京の天安門広場、それぞれ形式や意図は異なっても、何らかの政治的デモンストレーションが行なわれる。しかし、皇居前広場には何もない。本書でも引用されるロラン・バルト『表徴の帝国』の「中心は空虚」という表現にならって、そこに中空構造ともいうべき日本の政治的伝統を見出したくもなる。しかし、この皇居前広場も様々な曲折を経ているようだ。

 本書は5つの時期区分で皇居前広場の変遷をたどる。①明治~大正にかけてはまだ「聖なる空間」として確立しておらず、関東大震災時には罹災者の避難所となった。②大正~昭和初期にかけて天皇制儀礼の定式化により「聖なる空間」としての特殊な意味を帯びるようになる。③敗戦後の占領期には、天皇ばかりでなく、占領軍や左翼勢力など多様なアクターがここで入れ替わりデモンストレーションを行なった。左翼勢力は「人民広場」と呼ぶ。また、この時期には恋人たちのナイト・スポットとして「愛の空間」でもあったらしい。「人民広場」という言葉には、やや放埓な男女関係の語感もあったというのが面白い。④1952年以降は空白期。この時期にロラン・バルトも来日。⑤昭和の末から現在までが天皇制儀礼再興期とされる。ただし、これは私にはピンとこない。

 著者の以前の作品、たとえば『「民都」大阪対「帝都」東京』(講談社選書メチエ、1998年)は、大阪と東京とでターミナル駅での私鉄と国鉄との接続が異なることを糸口に、民と官とのせめぎ合いを描き出していたし、『大正天皇』(朝日新聞社、2000年)では地方巡幸に重点が置かれていたように記憶している。視点が斬新で面白かった。著者は空間政治学を提唱する。人間の営みは場所と常に結びついている。人間の定式的な行動パターンやそれを動機付ける思考パターンとして政治現象を考察するにあたり、場所という具体性に結節点をつかまえてみると、ある種の生々しさを伴って政治の一側面の輪郭が浮かび上がってくるのが興味深い。

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