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2007年12月27日 (木)

藤井省三『村上春樹のなかの中国』

藤井省三『村上春樹のなかの中国』(朝日選書、2007年)

 もともと小説はそんなに読む方ではなかったが、学生の頃、村上春樹は割合と読んでいた。あの淡々と乾いた感覚を私は自然に受け入れていた。好きとか嫌いとかいう力みかえりもなく、空気のようにごく自然に。しばらく離れていたので新しい作品は読んでいない。

 中国語圏での村上春樹現象について本書は四つの“法則”で読み解く。第一に、台湾から始まって香港、上海を経由して北京へとブームが波及する“時計回りの法則”。第二に、それぞれの地域で高率の経済成長が半減する時期に村上現象が起こる“経済成長踊り場の法則”。第三に、“ポスト民主化運動の法則”。村上の小説に時折現れる学生運動の挫折感に民主化運動の葛藤を投影する人々が多いようだ。第四に、欧米での村上受容とは異なり、『羊をめぐる冒険』よりも『ノルウェーの森』の人気が高い“森高羊低の法則”。

 中国大陸では鄧小平時代に紹介されたが、「現代資本主義国家の都市生活」における空虚で寂寞とした「人間性の貧窮」と「感情的色彩の衰退」をえぐりだした「深い哲理」なるものを評価するというスタンスだったというのが面白い。つまり、“改革開放”を進める一方で、病んだ資本主義は拒否すべきという共産党のお墨付きの下で翻訳されたわけである。本当に色々な読み方があるものだ。

 しかし、そうした公式見解の一方で、「実際には夢の都市生活の物語として読まれるという二律背反的な価値を付与されていた。そして一九八九年「血の日曜日」事件後には民主化運動挫折に対する癒しの文学となり、そしてポスト鄧小平時代には台湾・香港の「経済成長踊り場の法則」を追体験するかのように「小資(プチブル)」の論理と情念の表現へと変化してきた。中国の読者は村上受容を通じて各時代ごとに自らの論理と情念とを語ってきたのである。」(本書、210ページ)

 文化の横への伝播関係としてみるのではなく、村上春樹という一本の補助線を引くことで東アジア広域における現代的感性のありようを浮き彫りにしようとしている点で本書は説得力を持つ。村上チルドレンとして衛慧(ウェイ・フェイ)、安妮宝貝(アニー・ベイビー)、王家衛(ウォン・カーワイ)などが取り沙汰されるらしいが、いずれも村上からの直接の影響は否定しているのが面白い。逆にいうと、経済的・社会的変化に応じて、それだけ東アジアで共通した感覚が醸成されつつあるということだろう。韓国も含めるとどんな見取り図が見えてくるのだろうか? 阿Qというモチーフをめぐり、魯迅→村上→ウォン・カーワイに一つの系譜を見出そうとする議論も、東アジアにおける文学的インタラクションを窺わせて興味深い。

 台湾、香港、中国、それぞれで正式に版権取得された翻訳出版だけでも六種類あり、海賊版を含めるとかなりの数に及ぶという。台湾の頼明珠は村上の雰囲気を出そうと原文にできるだけ忠実に訳そうとしているのに対し、中国の林少華は頼訳には格調がないとして批判、中国風の美文調にこだわって日本風は拒否するというあたりには、翻訳という側面から中国ナショナリズムの問題も垣間見える。

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コメント

はじめまして、中国のばくと申します。
今卒業論文を書いているところで、私もどうしても藤井さんのこの本を読みたいですね。

投稿: baku | 2011年3月18日 (金) 15時22分

ばくさん、はじめまして。
コメントいただきまして、ありがとうございます。

現代日本文学を研究していらっしゃるのですか?
是非読んでみてください。

投稿: トゥルバドゥール | 2011年3月18日 (金) 17時01分

はじめまして、中国のとうと申します。
今卒業論文を書いているところで、私も藤井さんのこの本を読みたいですね。卒業論文を書くのは、ほんとにたいへんです。しかたないですね~~

投稿: とうしょうか | 2013年5月 6日 (月) 18時33分

コメントありがとうございました。村上春樹は中国の方々にやはり人気があるのですね。卒業論文、頑張ってください。

投稿: トゥルバドゥール | 2013年5月 6日 (月) 21時36分

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