佐野眞一『枢密院議長の日記』
佐野眞一『枢密院議長の日記』(講談社現代新書、2007年)
本書を書店で見かけたとき、佐野さんはまた随分と地味な人物を取り上げたものだというのが第一印象だった。倉富勇三郎は法制官僚の出身、宮中勤務を経て、後に枢密院議長にのぼりつめた。しかし、政治的なキーパーソンではない。枢密院とは要するに、法令や条約の違憲審査を行なう天皇直属の諮問機関で、その意味では最高の栄誉あるポジションだが、大正期以降はほとんど形骸化して功成り名遂げたおじいちゃまたちの名誉職程度のものとなっていた。
倉富は“時計的法学博士”と呼ばれるほど正確かつ勤勉な人物であった。そうした性格的特徴が、勤務の合間をぬって日記を書き続けることに振り向けられていた。その量はとにかく膨大で、政治的事件はもちろん、井戸端会議的な雑談まで克明に記録されている。漢学の素養を背景にしたしかめっつらしい文体で、たとえば口の中に魚の小骨がささって抜けるまでがつづられたりして、妙なおかしみがあったりもする。病弱な奥さんに読ませていたのも微笑ましい。
見たこと、聞いたこと、そのすべてをこれといったコメントも加えずに日記に丹念に写し取り続けた倉富のスタイルを、究極のノンフィクションと見立てて読み解かれていく。宮中某重大事件(色盲を理由に皇太子妃候補をおろすかどうかでもめた事件)や摂政設置問題、ロンドン海軍軍縮条約など、大きな事件の舞台裏もつづられている。だが、佐野さんの筆致はむしろ、宮中という世間から隔絶された場所にも漂っていた、人間の生々しい空気をすくい取ることに向けられる。華族のゴシップもぎっしりつまっている。他方、朝鮮王族の置かれた難しい立場が垣間見られるのも興味を引かれる。
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