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2007年12月23日 (日)

「サラエボの花」

「サラエボの花」

 内戦終結から10年あまり経ったボスニア=ヘルツェゴビナの首都、サラエボの冬。一見したところ、決して裕福ではないものの人々の生活は落ち着きを取り戻しているかのように見え、再建された真新しいモスクが雪化粧に彩られているのも美しい。しかし、人の立ち入らぬ廃墟もひっそりと残されている。同様に、人々の心に刻み付けられた傷痕もいまだ癒されてはいない。

 エスマはナイトクラブに勤めながら女手一つで一人娘のサラを育てている。修学旅行で200ユーロが必要なのだが工面できない。ただし、父親が殉教者(つまり、モスレム人兵士としての戦死者)ならば費用は全額免除されるという。父親は殉教者だと言い聞かされてきたので、サラは「どうして証明書がないの?」と母親に詰め寄る。エスマは複雑な表情を浮かべ、話をそらすしかない。

 旧ユーゴ紛争において、見た目にも言語的にもほとんど変わらず隣り合って暮らしてきた人々の間で、宗教的・歴史的背景によるエスニックな差異(セルビア人:東方正教会、クロアチア人:カトリック、モスレム人:イスラム)が際立たせられることで互いに血みどろの殺し合いが繰り広げられたことは周知の通りだろう。「ブコバルに手紙は届かない」(1994年)という映画を以前に観たことがある。民族の異なる夫婦が紛争によって引き裂かれてしまう話だったが、集団レイプのシーンがあったのを覚えている。その結果として、望まれずに生まれてきた子供をどのように受け止めるべきなのか。娘は絶対に捨てないというエスマの努力は母性そのものだが、ここには同時に、憎悪の連鎖を引き起こした“エスニシティー”という観念的構築物を直接的な親子の結びつきを通して乗り越えようという姿を見出せる。

 上映館の岩波ホールはほぼ席が埋まっていた。ここはいつ、どんな映画を観に来ても客層は高齢で、特におばさんグループが目立ち、他のミニシアターとは雰囲気が全く違う。です・ます調で語り合うマジメそうな若めのカップルや、がさつなおばさんグループが、「良い映画を観ましたわよねえ」という感じに笑みを浮かべ合って席を立つ姿がものすごく癇に障った。こういう映画を観た直後に笑みがこぼれるという神経が私には理解できない。岩波ホールはきちんとした映画を上映してくれるので非常にありがたいのだが、客層のもったいぶった“文化趣味”は大嫌いだ。

【データ】
監督・脚本:ヤスミラ・ジュバニッチ
2006年/ボスニア=ヘルツェゴビナ・クロアチア・ドイツ・オーストリア/95分
(2007年12月23日、岩波ホールにて)

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