台湾についての学術書を色々と
植民地期台湾の皇民派作家たちが日本人への同化の熱意を描いたことは現代の我々からすると異様にも思われるが、たとえば日本でも森有礼が英語を、志賀直哉がフランス語を公用語にせよと主張したことを考え合わせると、意外と他人事ではないのかもしれない。少なくとも、思考構造という点で現代日本人は過去との断絶を強く自覚している。土着的な伝統と「近代化=西欧化」との葛藤は日本近代史において最も根幹的なテーマだと言っても過言ではないし、そもそも優勢な異文化を受容する際に生じる軋轢は世界史を広く見渡せばさまざまな局面で見出せる普遍的な現象であろう。
台湾の場合には事情は日本よりも複雑だ。総督府や鉄道のターミナル駅のように現地民を視覚的に威圧すべきモニュメントがモダンな西洋風建築であったことには、台湾にとって「近代化=西欧化」であると同時に「近代化=日本経由の西欧化」という二本立ての外的プレッシャーがあったことが見て取れる。さらに、戦後の国民党による支配は、民族意識上の枠組みをどこで確定すべきなのかという別のレベルでの葛藤をも引き起こした。
このように複層的なアイデンティティの分裂が台湾では端的に凝縮された形で表われているところに私は関心を持っている。そして、こうしたアンヴィバレンスは言語という側面に窺うことができる。母語=公用語という枠組みを幸運にも維持できた日本とは異なり、台湾においては、植民地期には日本語、国民党政権下では中国語(北京語)が公用語とされ、いずれにせよ母語を表現手段とする機会を奪われ続けてきたことが議論の焦点の一つとなる。
台湾での本土意識の高まりに応じて植民地期の日本語文学を見直す動きが始まっている。前回はフェイ・阮・クリーマン(林ゆう子訳)『大日本帝国のクレオール』(慶應義塾大学出版会、2007年→参照)を取り上げたが、同様の方向性を目指した研究として垂水千恵『台湾の日本語文学──日本統治時代の作家たち』(五柳書院、1995年)は先駆的なものである。たとえば、皇民派作家の周金波は「兎にも角にも国語(日本語)でなければ自己意思を表明することはできない」と記す一方で、差別の対象であり続け“日本人”になろうにもなりきれない哀しみを吐露するあたりにはアイデンティティ分裂の葛藤が見えてくる。垂水は「人はどのような心理的葛藤を経て異文化に同化されるのか、或いはどのような理由で拒むのか、その心理のメカニズム」に着目するスタンスを取っている。皇民派vs.抗日派という図式的理解ではなく、もっと普遍的な視野の中で台湾の引き裂かれたアイデンティティのありようをみつめる視点は説得的に感じられた。
本書では邱永漢も取り上げられている。彼については丸川哲史『台湾、ポストコロニアルの身体』(青土社、2000年)でも詳細に論じられている。邱が直木賞受賞作家であることくらいは何となく知ってはいたものの、金儲け指南のビジネス書のイメージしかなかった。二・二八事件で香港に亡命した台湾独立運動家であったことは丸川書で初めて知った。
藤井省三・黄英哲・垂水千恵編『台湾の「大東亜戦争」』(東京大学出版会、2002年)は、1943年に台北公会堂で開催された台湾決戦文学会議及び『決戦台湾小説集』をテーマとしたシンポジウムをもとにまとめられた論文集。呉密察「『民俗台湾』発刊の時代背景とその性質」は池田敏雄など在台湾の日本人民俗学者に焦点を当てる。川村湊『「大東亜民俗学」の虚実』(講談社選書メチエ、1996年)が彼らを日本人との近さで台湾を周縁化しようとしたと批判しているのに対し、皇民化政策によって台湾の民俗が消滅してしまうという危機意識を彼らは持っていたことを示して反論している。野間信幸「張文環の戦争協力と文学活動」では、“本意→屈従→同一視→内面化→本意”という意識内における循環モデルが示される。当時は時局迎合的な表現を使わないとつぶされてしまうおそれがあった。しかし、そうした言葉を使い始めると、迎合的な意識そのものを内面化しかねないという難しさがある。文学者、民俗学者としての良心を保ちつつ、オブラートに包みながら皇民化政策を批判したとみるのか、それとも筆を曲げたとみるのか、いずれにせよ解釈が難しい。
呉密察・黄英哲・垂水千恵編『記憶する台湾──帝国との相剋』(東京大学出版会、2005年)。台湾を研究対象とした場合、ポストコロニアルの分析手法になじみやすいのか、フランツ・ファノンの引用が目立つという印象がある。葦阿勤(和泉司訳)「抗日集団的記憶の民族化」は日本統治期の作家を“抗日”という基準で分類した上で、彼らは台湾主体意識をもって創作をしており、中国文学とは異なると主張。廖朝陽(松本さち子訳)「土地経験と民族空間──『無言の丘』論」は過去の記憶をめぐってのアイデンティティ・ポリティクスの問題を論じている。廖炳恵(道上知弘訳)「台湾の哈日現象──アジアの青少年のポップカルチャーをめぐって」では、若者世代の“哈日族”と李登輝たち老人世代の“親日派”とでは共通基盤がないという一般的な議論(日本では酒井亨『哈日族 なぜ日本が好きなのか』光文社新書、2004年→参照)を紹介した上で、両方に共通する感情構造を見落としているのではないかと疑問を呈し、日本でもない、中国でもない、この二種類の文化を熟成させたもう一つの感覚があると指摘している。藤井省三「中国・香港・台湾と村上春樹」はその後、『村上春樹のなかの中国』(朝日選書、2007年→参照)で詳細に論じられている。
最後に、前嶋信次(杉田英明編)『〈華麗島〉台湾からの眺望 前嶋信次著作選3』(平凡社・東洋文庫、2000年)。前嶋信次といえば『アラビアン・ナイト』の翻訳で知られ、東西交渉史やイスラム史研究を開拓した権威というイメージが強い。しかし、戦前、台南第一中学校や台北帝国大学に勤務していたということで、台湾に関わる文章が本書に収録されている。中国の史籍からの引用が重々しい昔の正統的歴史学の論文が並ぶ中、ところどころ、情趣の芳しいエッセーが挟まれているのが意外だった。「枯葉二三拾ひて」では、台南の寒村でひっそりと暮らす文人・黄清淵氏との邂逅がつづられている。この出会いに触発されて、黄氏の師匠でもある歴史家・連雅堂(『台湾通史』の著者)の孤影悄然と淋しげなありし日の姿を想い浮かべるくだりが印象的だった。「媽祖祭」は幻想的に美しい文章で実に素晴らしい。
…というわけで、元旦から台湾に行ってきます。
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