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2007年12月28日 (金)

日本の旧植民地について3冊

 橋谷弘『帝国日本と植民地都市』(吉川弘文館、2004年)はソウル、釜山、台北、高雄、奉天、大連など、日本の支配下に入った都市の成り立ちを検証して植民地化の影響を分析した論考。ソウルの朝鮮総督府撤去問題に関して“近代化”の葛藤という視点からの考察に興味を持った。

 日本が各地に残した洋風建築は、植民地支配の終わった後も現地の人々によって同様の建築が建てられていることを考え合わせると、都市の景観という点で違和感はない。たとえば、朝鮮銀行本店は文化財として保存されている。建物そのものへの嫌悪感ではなく、政治的思惑から朝鮮総督府は解体された。

 朝鮮半島近現代史を多少なりとも学んだ人ならば李光洙(イ・グァンジュ)の名前を目にしたことはあるだろう。当時の日本はすでに近代化=西欧化というジレンマを受け入れつつあった。そうした中、日本語を使って文学活動を始めた李は、近代化を目標として朝鮮半島の後進性を批判、それが後世になって“親日的”として指弾されることになった。

 他方、創氏改名に反対して自殺した柳健仁(ユ・ゴニャン)や薛鎮永(ソル・ジニョン)たちは戦後になって民族主義の立場から高く評価された。しかし、両班(ヤンバン)貴族としての旧来的なプライドを守ろうとしたのが彼らの自殺の動機であって、その主観的な意図はともかく、現代の価値観とは大きく乖離する。李光洙の親日的発言が批判されるのはやむをえないにしても、近代性の獲得=土着性・伝統の否定というジレンマを一身に帯びていた点では、その否定された李光洙の方がむしろ現代的な問題意識に近いという逆説がある。

 外発的開化の不自然さについては日本でも夏目漱石以来繰り返されてきたテーマではあるが、日本の植民地支配を受けた地域では、“近代化=西欧化”であると同時に、“近代化=日本経由の西欧化”というもう一つ別の要因が重なってきて一層問題が複雑になっている。韓国ナショナリズム=善玉、親日派=悪玉という安直な善悪図式で済ますのではなく、より丁寧な議論が必要とされよう。

 『別冊歴史読本19 外地鉄道古写真帖』(新人物往来社、2005年)は、北は樺太・満洲から南は台湾まで、日本が“外地”に敷設した鉄道にまつわる写真を収録している。南北に細長い日本の風土は四季の豊かさが特徴ではあるが、それ以上にヴァラエティーに富んだ風景を当時の日本支配地域全域で見せていたのが興味深い。前掲書に続けて本書を眺めたので、鉄道のターミナル駅がすべて洋風であるのが目を引いた。現地民を威圧するためのシンボルが例外なくモダンな西洋式建築だったというあたりに日本のジレンマが窺える。

 “外地”に移住した日本人は書籍をどうやって入手していたのだろうというのが私などには気にかかるところだ。沖田信悦『植民地時代の古本屋たち 樺太・朝鮮・台湾・満洲・中華民国──空白の庶民史』(寿郎社、2007年)は、その動向を紹介してくれる。古書店の場所を示した各都市の地図や写真が抱負に収録されており、当時の“外地”における日本人の暮らしぶりの一端が窺えて興味深い。資料として貴重な本だ。

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