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2007年11月12日 (月)

台湾に行ってきた①(台湾到着)

 11月8日、木曜日。朝6:30新宿発の成田エクスプレス3号に乗り、8:00ちょっと前に成田空港第二ビルに到着。同行するHと合流してカウンターへ。乗るのは9:40発の台湾・桃園国際空港行きのチャイナエアライン。Hの強硬な主張によりダイナスティークラス(ビジネスクラス)。

 私は海外に出かけることが滅多になく、7年ほど前に韓国へ行ったきり。その時もHが一緒だった。腐れ縁である。「海外二度目でビジネスクラスとはたいそうな出世じゃないか」など妙な嫌味を言われつつも、台湾渡航歴十数回のこいつから台湾の歩き方を学ばねばならないのでじっとこらえる(笑)。Hは旅慣れており、出国手続きすらままならぬ私はついつい頼ってしまう。旅行中は色々な場面で助けられた。なお、食事や夜市についてはHのブログが写真つきで詳細に紹介してくれているので、そちらを参照のこと(これ以降のページ)。

 機中で読みさしの司馬遼太郎『台湾紀行』を開く。隣でHは「やはりビジネスクラスはいいなあ。もうエコノミーには戻れない」と賛嘆しきり。私は座り心地とかサービスとかいうのは一切気にしないタイプなので、エコノミーでも構わないんだけどね。ただ、機内サービスのシャンパンは確かにうまかった。

 雲の切れ間から台湾の風景が見えてきた。今日は曇り空、所によって小雨が降っているようだ。田んぼや木々の緑色が湿ったように濃く感じられる。行きは3時間半ほど。時差は1時間。現地時間12:30頃に桃園国際空港に到着。チャイナエアラインは墜落率が高いという噂を聞いていたが、ひと心地つく。ちなみにここ桃園空港はかつて中正(蒋介石)国際空港と呼ばれていたが、2006年に改称された。中正とは蒋介石の号である。

 桃園空港から台北市内までは高速バスで移動する。片道125元。1元=3円弱という換算なので、350円くらいというところか。行きかう自動車を見ていると、ナンバープレートは台北市もしくは台湾省。行政院直轄市の台北と高雄以外はすべて台湾省と一括されている。バスは高速道路を下りて台北市内に入る。セブンイレブン、ファミリーマート、スターバックス、吉野家、モスバーガーetc.と日本でも馴染みのチェーン店がそこかしこにあるので妙な気分だ。サッカースタジアムの壁面には化粧品会社の広告で深田恭子の大きなポスターが張りめぐらされていた。

 当初の予定では台北駅近くの宿舎にまず荷物を置いて、それから故宮博物院に行こうということになっていた。ところが、台北に土地勘のあるHが「あれ、このまま行くと故宮博物院からどんどん遠ざかるな」と気付いた。故宮博物院は台北市北郊にあり、このバスもまさに北側のインターチェンジから南下していた。Hの機敏な判断でバスを降り、タクシーを拾うことにした。

 初めて台北の地面を踏む。周囲の建物のつくりは日本とは微妙に異なるが、店舗の内装には違和感がない。たとえば、洋風のパン屋さんから漂ってくる芳ばしい香りやショーウィンドーの向こうにある調理パンを見ていると、まだ日本にいるんじゃないかという錯覚すらおぼえた。

 道路の流れを見てHはタクシーを拾うには反対側がいいと判断。横断歩道を渡る。スクーターがやたらとひしめいている。右折車両が平気で突っ込んでくるので危なっかしい。歩行者用の信号には秒刻みで時間が表示され、青信号の中で人物が歩いている。5秒をきると駆け足になり、「早く! 早く!」とせかされている感じで面白い。

 タクシーに乗り込み、ガイドブックを見ながら「くおりーくーこん…」と四声を一切無視した“ジャパニーズ・チャイニーズ”で行き先指示をしたら、運転手さんは???という表情をしていた。Hに促されてガイドブックの該当箇所を指差して見せると、ただちに了解。その後、Hのやり方を見ていると、タクシーに乗るたびにメモ帳に行き先を書いて見せていた。漢字を共有した文化圏であることを改めて実感する。

 途中、圓山大飯店の前を通りかかった。かつては蒋介石一族御用達の最高級ホテルだったが、ハイヤットなど外資系にその座を奪われ、今ではそれほどのステータスはないとHは言う。日本統治時代には台湾神宮がここにあり、その跡地に建てられている。

(続く)

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