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2007年11月 4日 (日)

歴代の台湾総統について

 台湾は正式には中華民国となっている以上、その現代史をみるにはまず大陸の情勢から説き起こさねばならない。第二次世界大戦が終わり、間もなく国共内戦に揺れる1947年に中華民国憲法が公布、翌1948年には間接選挙によって正副総統選挙が実施される。総統には蒋介石が当選、副総統には孫文の息子の孫科を蒋はおしていたが、僅差で李宗仁が選出された。国民党内の分裂が明らかとなったばかりでなく、内戦でも敗色が濃くなって蒋介石は下野、李宗仁が代理総統となったものの中華民国政府はすでに崩壊同然。そうした状況下、蒋介石は腹心の陳誠と息子の蒋経国を台湾に派遣、ここを最後の拠点にすべく準備を進めていた。この時に故宮博物院の収蔵品も移転された。

 1949年10月1日、北京を首都として中華人民共和国が成立。李宗仁はアメリカに亡命、12月になって蒋介石は台湾へ渡り、翌1950年に総統に復職した。国民党の再編成が行われ、陳誠を行政院長(後に副総統)、蒋経国を特務組織の責任者に据えた。共産党を反乱軍と規定して反乱鎮定動員時期臨時条項によって憲法を棚上げ、総統に非常大権を集中させた臨戦態勢の中華民国政府が台湾社会の上にそのままのっかったという構図が五十年近くにわたって続いたことに留意する必要がある。アメリカは反共の砦として米華相互防衛条約によって台湾にてこ入れしつつも、蒋介石の夢見る大陸反攻という無謀な企てに同調するつもりはなく、海峡を挟んだにらみ合いが固定化された。

 その後、蒋介石を頂点とした独裁体制が続くが、1969年に交通事故に遭って以来、体力的にめっきり衰弱し、蒋経国への権力移譲が徐々に進められた。蒋経国という人物は、特務機関のトップとして恐怖政治の立役者であったと同時に、漸進的な改革への路線転換を成し遂げたという二つの相異なる顔を持っている。リアリスティックなマキャヴェリストとして、父とは異なり大陸反攻など不可能なことを熟知しており、政権維持のため台湾化路線を選択したと言える。

 彼の経歴はなかなかユニークだ。若い頃、ソ連に留学し(当時は第一次国共合作が続いていた)、ロシア人と結婚。共産主義に心酔し、父・蒋介石を批判したこともある。父・蒋介石が1927年の上海クーデターで共産党の弾圧を始めたため、経国は人質扱い、シベリアに送られた体験も持つ。1936年の西安事件によって第二次国共合作が成立した時に中国へ帰国、その後は父の腹心として活動、とりわけソ連赤軍に在籍した経験を買われて軍隊に対する政治的統制を進め、特務機関を任されて赤狩りを行なった。

 蒋経国への権力のバトンタッチが行なわれつつあった頃、1971年の国連代表権の喪失、72年のニクソン訪中、同年の日中国交正常化、79年の米中国交正常化及びこれに伴う米軍の撤退と続き、台湾は国際的に孤立感を深めていた。こうした中、十大建設(鉄道、空港、発電所など大規模インフラ整備)をはじめ経済的な巻き返しに成功。また、万年議会の部分的改選、本省人エリートの起用など台湾化政策も着々と進めていた。1987年には50年近くにわたって続いた戒厳令を解除した。

 しかしながら、蒋経国自身の健康状態が悪化して政務に眼が行き届かなくなる中、党内タカ派が暴走して美麗島事件、林義雄・台湾省議会議員の家族惨殺事件、在米作家・江南殺害事件などが相次いで起こった。病床からこの様子をじっと見ていた経国は、一時的に容態を持ち直した時に人事を一新、タカ派は失脚し、李登輝を副総統に抜擢した。李は野心のない安全パイとみられていたらしく、意中の後継者を明確にしないまま経国は1988年に死去した。

 李登輝の総統への昇格は、彼は野心のない学者と見られていたこと、外省人幹部同士のパワー・バランスを崩さないようにとの配慮があったこと、国民党内でも台湾人社会の世論に敏感になりつつあったことなどからすんなりと進んだ。彼の国民党主席への就任に対しては宋美齢から横槍が入って外省人幹部は躊躇したが、宋楚瑜のイニシアチブで空気が変わり、李登輝は名実ともに台湾のトップに立つ。

 司馬遼太郎との対談で「居候、三杯目はそっと出し、と言うでしょ」と語るように(『台湾紀行』朝日新聞社)当初は低姿勢だったが、徐々にしかし確実に李登輝は動き始めた。国民党だけでは改革が進まないことは分かりきっていたので、国是会議を開催、ここに野党・民進党も巻き込んで、事実上の無血革命を行なう。同時に、国民党内反対派への押さえとして軍の実力者である郝柏村を行政院長に任命、ただし軍籍離脱を条件とすることで彼を軍から引き離す布石にするというしたたかさを見せた。その後、総統の直接選挙を実施、2000年には民進党の陳水扁へと政権交代も実現する。

 若林正丈『現代アジアの肖像5 蒋経国と李登輝』(岩波書店、1997年)は、蒋経国と李登輝という二人の強烈な個性を軸に台湾現代史を描き出している。本田善彦『台湾総統列伝』(中公新書ラクレ、2004年)は、蒋介石・蒋経国父子の良い側面にもバランスよく筆を進めつつ、他方で李登輝・陳水扁に対しての評価は辛い。とりわけ、李登輝については不正蓄財疑惑や、台湾人としての過去の怨念にとらわれた政治手法は独断専行的かつポピュリスティックだと指摘、台湾社会内と日本とでは彼への評価に大きなズレがあるという。

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