台湾をめぐってノンフィクション四冊
村上政彦『「君が代」少年を探して──台湾人と日本語教育』(平凡社新書、2002年)
昭和10(1935)年、台湾中部を襲った大地震で大怪我をした台湾人少年が「君が代」を歌いながら死んでいったという。この“美談”は当時の国定教科書に掲載され、映画化までされた。そんなことが本当にあったのか? 本書は当時を知る人を含め様々な人々から話を聞きながら日本が展開した皇民化運動を考える。屈託なく日本語を使う老人が冗談めかして「教育は怖い」という言葉が響いてくる。若い世代からも話を聞いており、北京語世代が日本語世代よりも比較的醒めた見方をしているのも興味深い。
平野久美子『トオサンの桜──散りゆく台湾の中の日本』(小学館、2007年)
このブログでも呉念真監督「多桑」(トオサン)に触れたことがあるが、日本語教育を受けた世代を“トオサン”と呼ぶことがある。本書はそうしたトオサンたちから話を聞いてまわった記録である。前掲書にしてもそうだが、「日本精神」(リップンチェシン)という言葉をやたらに使う老人が多い。礼儀正しさ、正直、時間厳守、そういった勤勉さを意味するようだが、台湾からも日本からもこの「日本精神」が失われた、と喝を入れられると、怠惰な私など恐れ入ってしまう。ただし、「日本精神」→親日的な台湾人という枠組みで受け止めてしまうのは短絡的だろう。日本語から北京語に切り替わって取り残された疎外感、そして国民党の白色テロで理不尽にも人生を棒に振ってしまった惨めさ、そういった諸々の悲哀が込められているのを見逃してはいけない。
平野久美子『テレサ・テンの見た夢──華人歌星伝説』(晶文社、1996年)
世代がずれるので私はテレサ・テンのことをよく知らない。本名は鄧麗君。両親は台湾の外省人、国民党の軍人の娘として生まれた。本書で、蘇軾「但願人長久」に現代風にメロディーをつけたエピソードを読み、ふと気になってフェイ・ウォンのアルバムを確認した。ウォン・カーワイ監督「恋する惑星」の主題歌「夢中人」が好きなので手もとにある。このCDでフェイ・ウォンが「但願人長久」をカバーしていた。彼女もテレサ・テンのファンだという。国民党軍の慰問にも訪れて「歌う公務員」とも言われたそうだが、数億人単位で散らばる華人社会、それを分断する国境を越えてテレサ・テンの歌声は広く愛された。とりわけ、共産党支配下の大陸には情緒に訴える歌がなかったので、人々の殺伐とした心をなごませたという。戦争の影を引きずる日中関係においても「日本で成功した歌手」として、流行歌を通して大衆文化交流に貢献してくれたことも特筆される。
柳本通彦『明治の冒険科学者たち──新天地・台湾にかけた夢』(新潮新書、2005年)
日本の台湾併合後、鳥居龍蔵や牧野富太郎をはじめ、この未知の領域へと様々な学者・冒険者たちも入り込んでいった。その中でも無名の三人に焦点を当て、当初の動機は政治的であっても徐々に台湾の魅力にのめり込んでいった彼らの事蹟を本書は掘り起こす。伊能嘉矩はまだ首狩りの風習の残る山地に分け入って細かく彼らの生活を観察した。台湾全土の実地踏査や清朝以来の文献資料の徹底的な蒐集によって台湾研究の基礎をつくった。その遺稿『台湾文化志』は柳田国男、福田徳三の序を得て出版され、台湾史の古典として今も残る。熱帯植物研究の田代安定は不遇をかこつ中でも未開のジャングルに植物園をつくった。森丑之助は原住民社会に深く入り込んで彼らとなじんでいた。その頃、佐久間左馬太総督が原住民の討伐作戦を進める。森の研究成果が利用されるばかりか、その案内役も務めなければならなくなるので台湾を離れた。その後、台湾に戻るのだが、基隆港で失踪してしまったというミステリアスな成り行きにも興味がひかれる。
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