適当に町歩き本
町歩きが好きだ。金はなくともヒマはある人間にとって最適の娯楽である。
私が町歩きの味を覚えたのは学生の頃。大学の授業から全く興味がうせて、キャンパスを出てふらつき始めたのがきっかけだった。霞ヶ関を通りかかったとき、警官に呼び止められて身分証明やら何やらとソフトな口調ながらネチネチと尋問されたのもなつかしい。Gパンにパーカーという場にそぐわない服装でキョロキョロしながら歩いていたので、“運動”系の学生と思われたようだ。“運動”といっても体育会ではありませんよ。
赤瀬川原平・編『路上観察学入門』(ちくま文庫、1993年)は私にとってバイブルのような本だ(ちょっと大げさか)。路上観察学のルーツは今和次郎の考現学までさかのぼれるらしいが、直接のきっかけはトマソン探し。
現代美術の展覧会に行くと、たとえば電柱やら郵便ポストやらが展示品としてなぜか唐突にデーンと鎮座していたりする。マルセル・デュシャンが便座をひっくりかえして出品した「泉」がそうした“作風”の嚆矢として知られている。“芸術”なるものの虚構性に対してデュシャンが放った痛烈なパンチだったわけだが、この“反”芸術がいつしか現代芸術のスタンダードとなってしまった。赤瀬川たちが町を歩きながら、「ここに現代芸術があるぞ」「あっ、あそこにも現代芸術が!」と“現代芸術ごっこ”をやっているうちに“発見”されたのが「四谷の純粋階段」。階段としての機能は果たすのだが、何のためにここにあるのか分からない。そういった町中にある、意図不明だが風格のあるもの、面白いものを赤瀬川たちはトマソンと呼んだ。
ちなみにトマソンとは、助っ人として来日したが芳しい成績を残せなかったアメリカ人プロ野球選手の名前に由来するという。後姿に漂う哀愁が何ともいえずよかったそうな。赤瀬川原平『超芸術トマソン』(ちくま文庫、1987年)を参照のこと。路上観察学会メンバーが撮り集めたトマソン物件の集大成『トマソン大図鑑』(空の巻・無の巻、ちくま文庫、1996年)もすばらしい。私自身にはトマソン探知のセンサーがないのでこれを眺めて楽しんでいる。
路上観察学会メンバーでもある藤森照信『建築探偵の冒険 東京篇』(ちくま文庫、1989年)もはずせない。古めの商店街などを歩くと、藤森の指摘する“看板建築”は今でも割合と見かける。主に関東大震災後に普及したらしいが、銅製の装飾板が緑青にまみれてなかなか味わい深い風格がある。藤森照信・荒俣宏『東京路上博物誌』(鹿島出版会、1987年)は、異様で不可思議な面白さのあるスポットが東京にもたくさんあるのを教えてくれた。とりわけ伊東忠太の妖怪図像をモチーフにあしらった建築装飾に興味を持った。築地本願寺、大倉集古館、一橋大学の兼松講堂などで知られる建築家である。
川本三郎の町歩きエッセーも好きだ。とりあえずいま手元には『私の東京町歩き』(ちくま文庫、1998年)、『我もまた渚を枕に──東京近郊ひとり旅』(晶文社、2004年)、『東京の空の下、今日も町歩き』(ちくま文庫、2006年)があるが、まだ読んでないのも結構ある。『東京人』連載のエッセーを中心にまとめられている。
商店街をぶらぶら歩き、古本屋をのぞき、夕方ともなれば酒場にもぐりこんでビールを飲み干す、といった描写が続く。特に起伏のある文章ではない。が、さり気なく引っ張り出してくる博識が心にくい。東京近辺でもビジネスホテルや旅館に泊まって町歩きをするというのは、発想すらしていなかった。見慣れたつもりの東京でも、普段降りることのない駅で下車したり、歩く時間帯を変えたりするだけでもまた違った表情が見えてきそうで面白そう。
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