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2007年10月30日 (火)

「戯夢人生」

「戯夢人生」

 侯孝賢の映画を観ていると、どこか飄々とした味わいのあるおじいさんがよく出演している。李天禄という人だ。台湾の民俗芸能に布袋戯(ポテヒ)という人形劇があるのだが、その国宝級の演じ手として有名な人らしい。彼が自らの生い立ちを語るのに合わせ、台湾の現代史を描き出した映画である。

 彼が生まれたばかりの頃、台湾の習俗はまだ清朝風である。警察官がやって来て、辮髪を切れと命令を受けるシーンから始まる。髪形を変えるということは、身体的な風習として直接的なだけに時代の断絶を意識の中に深く刻み付ける。それは近代化の象徴であったが、誰の指示によるかに応じて受け止め方も異なる。日本でちょんまげを切ることは文明開化を意味したが、台湾では植民地になったことを周知させる役割を果たした。劉香織『断髪―─近代東アジアの文化衝突』(朝日新聞社、1990年)という本を以前に読んだことがあるが、日本・中国・朝鮮半島それぞれでの断髪の受け止め方を比較文化史的に考察されていて興味深い。話が脱線するが、イザベラ・バード(時岡敬子訳)『朝鮮紀行─―英国婦人の見た李朝末期』(講談社学術文庫、1998年)にこんなエピソードがあったのも思い出した。日本の命令で断髪令が出され、ソウルから順次実施された。すると地方在住者の間に「ソウルへ行くと髪を切られる、人前に出られない姿になってしまう!」と動揺が広がって流通の動きがストップ、ソウルに食糧が入ってこないなどパニックに陥ったという。

 それはさておき。

 李天禄は小さい頃から才能を見込まれ、布袋戯の劇団に入った。一介の芸人に過ぎない彼もまた時代の動きに翻弄されてしまう。天長節のお祝いに布袋戯をやるよう命じられたが、その日、祖母が亡くなった。帰らせてくれと言っても、「お前の他に誰がやるんだ」と許されなかった。

 日中戦争の泥沼化、対英米戦の兆しが見え始め、長谷川清総督のもと皇民化運動が進められる。布袋戯の野外での上演が禁じられた。台湾語を用いる布袋戯は日本語化の障碍とみなされたからだ。やがて戦意高揚のため布袋戯を利用しようと方針転換され、李天禄もまた皇民化運動に組み込まれる。粗暴な日本人から嫌がらせを受ける。一方で、李に目をかけて、そうした日本人を叱りとばす穏やかな警察の担当課長もいる。

 台湾も空襲を受けるようになり、李の一家も疎開した。ところが、疎開先で「何しに来たんだ」と言われてしまう。「日本は負けたぞ」。日本軍の残した飛行機の解体作業のシーンで映画は終わる。使える部品を売って、芝居を続けるための資金をつくるのだ。日本敗戦後の混乱のなか、病気で息子を亡くした李は「これも運命だ」と言う。翻弄されるような運命を受け入れながら、それを足場に次へと進む、そうした淡々と落ち着きのあるたくましさが印象深い。

【データ】
監督:侯孝賢
脚本:呉念真・朱天文
1993年/台湾/143分

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