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2007年10月 4日 (木)

坂本多加雄『市場・道徳・秩序』

坂本多加雄『市場・道徳・秩序』(ちくま学芸文庫、2007年)

 本書は福沢諭吉、徳富蘇峰、中江兆民、幸徳秋水の四人の言説に焦点を合わせ、近代的社会観、具体的に言うと市場システム及びその担い手としての個人=“市民”という考え方を日本は如何に受容したのかを検討する。

 一昔前の日本近代思想の研究書を図書館であさってみると、西欧近代を基準として日本の個々の思想家を後知恵的に位置づけるという構図を取るものが目立つ。たとえば、幸徳秋水を論じるにしても、権力に反対したのは評価できる、しかしマルクス理解には限界があった、という感じに。しかしながら、一見“西欧近代”的なキーワードを明治期日本人が使っていたとしても、その理解のあり方には彼らなりのバックボーンを踏まえての読み込みがあったはずだ。彼らの解釈の足場となっている伝統的な思考方法を明らかにすることで、逆に西欧もまた西欧なりに踏まえている伝統的な側面を相対的に浮かび上がらせることができる、そうした意欲的な切り口も本書の特色である。

 福沢の思想は端的には「独立自尊」とまとめられる。経済的に誰かに依存していると、その慮りで自由に自分の意見を言えなくなってしまう。従って、自らの独立を確保するためにも自前の生計手段を持たねばならない。「一毫も貸さず、一毫も借らず」という形で独立した個人が“市場”という相互応酬的な関係を通して並立的に結びつくのが一番良いというのが福沢の考え方である。しかし、これは没情誼的で冷たい人間関係だと快く思わない人からの批判も根強かった。

 徳富蘇峰もまた福沢と同様に独立した個人が並立的に結びつくという社会モデルを肯定するが、その一方で人間が私利私欲に走らないよう人格養成をせねばならないと言う。つまり、“市場”の前提として“自律”という道徳問題が出てくると蘇峰は考えていた。

 政治的民主主義という点で個人はどのように位置づけられるのか。西欧における共和主義の源流は古代ギリシアのポリスに求められる。それは、生活上の必要を充足する基礎的な活動は奴隷に任せ、そうした労苦から解放された人々が公共的な活動に参加するという身分格差を前提としたものだった。生きるための具体的・“動物的”な問題に惑わされず、自身に直結した利害から離れた立場で考えることが公共性の条件とみなされていたのである。近代における政治的民主主義の進展とは公共的な意思決定への参加者を全国民レベルまで広げていくことであり、それはすなわち選挙権の拡大を意味したが、初期段階において財産資格が要件とされたのはこうした背景があった。

 これを本書の文脈で整理すると、民主主義の前提として個人の独立性=「独立自尊」を担保するための財産的基礎をどのように位置づけるかという問題意識につながり、福沢の回答は、各自が自前の生計手段を持てということだった。

 中江兆民にしても、その精神的後継者たる幸徳秋水にしても、政治過程への参加者のモデルとして伝統的な「士君子」の人物像を想定していた。つまり、私利私欲を排して「真理」を求める自己犠牲的な高潔さを当然のこととしており、それはポリスにおける貴族のイメージと幾分か重なってくる。

 ところで兆民は第一回帝国議会に代議士として出席したが、民党の議員が政府の買収によってもろくも切り崩されるのを目の当たりにして憤激し、辞職する。その後、兆民は実業に手を出してこちらも失敗してしまうが、生計を立てるための財産問題がクリアされない限り政治活動もままならないという自覚が彼の切実な問題意識として見えてくる。

 幸徳秋水の思想は「志士仁人の社会主義」という表現で特徴付けられることからもうかがえるように、平民主義的な目的意識の一方で、彼自身の自己規定としてはノブレス・オブリージュとも言うべき貴族的道徳意識も強い。私利私欲を離れて社会に奉仕するエリート=“武士”的な矜持を守り、その自覚を全国民的に広げるためには、まず生活基盤において公正な分配が行われなければならない。そのための社会主義ということになる。同時に、福沢が主張しているような没情誼的な市場社会への批判も強く、家族的な情愛の関係を回復することも社会主義の目的となる。ここには、西欧の社会主義者が究極の未来に想定していた牧歌的なユートピアへの夢想とも共通点が見出される。

 本書のオリジナルは1991年に創文社から刊行され、サントリー学芸賞と日経・経済図書文化賞をダブル受賞している。明治思想史として秀逸であるばかりでなく、個人と公共性との関わり方という政治哲学の基本的なテーマを近代日本思想の文脈において論じきったこの名著が文庫本という形で入手しやすくなったのはとてもありがたい。

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コメント

こんばんは。はじめまして。日比野と申します。

TBが通らないようですので、コメントにて失礼いたします。

貴族や武士のいない民主国家であっても、ノブレスオブリージュの精神は残すべきと考えます。

http://kotobukibune.at.webry.info/200710/article_15.html
http://kotobukibune.at.webry.info/200710/article_16.html
http://kotobukibune.at.webry.info/200710/article_17.html

投稿: 日比野 | 2007年10月16日 (火) 23時45分

日比野さん、はじめまして。トラックバックはつけられるように設定しているはずなのですが、どうも不具合があるみたいですね。失礼いたしました。

投稿: トゥルバドゥール | 2007年10月17日 (水) 11時23分

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