「パンズ・ラビリンス」
「パンズ・ラビリンス」
土曜日、雨。朝から母校の図書館にこもって調べもの。作業が難航してムシャクシャし、夕方、暗くなり始めた頃に切り上げ、田町駅前の立ち呑み屋で軽く一杯ひっかけた。何の脈絡もないが、ふと「パンズ・ラビリンス」の評判を思い出して観に行くことにした。
舞台は1944年のスペイン、フランコ将軍が支配する軍事政権の時代。オフェリアは童話の大好きな女の子。お母さんの再婚相手の任地へと車に揺られている。新しいお父さんとなるはずのヴィダル大尉は、山岳地帯に立てこもる反政府ゲリラ討伐の指揮官である。残虐な手法で鎮圧作戦を進めるヴィダルにオフェリアはなじめない。寂しい思いをしている彼女の前に現われたナナフシの姿をとった妖精。その導きで森に入っていくと、半人半羊のパンに出会った。「王女様、ようこそお戻りになりました」。ただし、彼女が王女であることを証明するために三つの試練に耐えなければならない。
特殊効果で表現された怪物たちの動きには目をみはる。その点ではファンタジー映画ということになるが、ストーリーはそんなに単純ではない。上映終了後に買ったプログラムにモンスター一覧のページがあった。その筆頭にヴィダル大尉が載っているのを見て、なるほどそういう話かと納得。最も非人間的なモンスターは他ならぬ人間自身であるという逆説は、もちろんありきたりと言ってしまえばありきたりなんだけど、ラストでは不覚にも涙がにじんでしまった。疲れていた上に、アルコールが少々残っていたせいかもしれないが。
戦乱という形をとるかどうかは別として、ある種の不条理が純粋さを求める心情を押し殺してしまうことがある。この映画に登場する大人たちが「妖精なんていないのよ」とオフェリアに言い聞かせるように、現実生活とは離れた次元に王国を夢見ることは許されないし、また、そうした思考習慣になじむことが大人になる条件とされる。だけど、心の拠り所を、たとえ夢想の世界であっても、どこかに求めなければ生きていくのはつらい。その架橋し難い矛盾をオフェリアの死に重ね合わせていたのかもしれない。
【データ】
原題:El laberinto del fauno
監督:ギレルモ・デル・トロ
2006年/スペイン・メキシコ・アメリカ/119分
(2007年10月27日、恵比寿ガーデンシネマにて)
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