田村志津枝『李香蘭の恋人──キネマと戦争』
田村志津枝『李香蘭の恋人──キネマと戦争』(筑摩書房、2007年)
映画が政治宣伝の手段として効果的とされていた時代、映画づくりの情熱は、それがたとえ純粋なものであったとしても、本人の意図とは関係なく政治情勢に翻弄される宿命を否が応でも帯びてしまう。それはとりわけ、植民地支配を受けた人々の不安定な立場において切実だった。そうした葛藤をはらんだ様々な個性の群像を、本書は映画というテーマを軸に描き出している。
本書で“李香蘭の恋人”といわれるのは、台湾出身の映画人・劉吶鴎である。もともと裕福な家庭に生まれ、日本や中国をまたにかけて映画製作に走り回っていたが、やがて日本軍のバックアップで上海に設立された中華電影公司に入る。そこでは、日本人としての忠誠を求められながらも、所詮中国人だ、と立場的に低く見られていた。他方、中国人からは日本の協力者として信用されない。植民地出身者は日本語と中国語の両方ができるので重宝されながらも、同時に双方から疑いの眼差しを受けてしまう。結局、1940年9月、劉吶鴎は漢奸として暗殺されてしまった。この時、彼と会う約束をしていた李香蘭は待ちぼうけをくうことになる。
同様の運命をたどった台湾出身者が他にも登場する。たとえば、穆時英。モダニズムの文学者として出発したが、中華民国維新政府(汪精衛派)に芸術科長、御用新聞の国民新聞社長として参加。当時の台湾人は日本国籍だが、「日中の架け橋」という名目で日本の傀儡政権で採用されるケースが多かったらしい。しかし、彼もまた漢奸として暗殺される。
もう一人興味を持ったのは江文也。侯孝賢監督「珈琲時光」は私の大好きな映画だが、一青窈演じるフリーライターが調べていた台湾出身の作曲家というのが彼である。何者なのか気になっていたのだが、本書で江文也のプロフィールを初めて知った。1910年、台湾北部・淡水の生まれ。日本に渡って山田耕筰に師事。映画音楽も担当するなど活躍し、日本の敗戦時には北京(当時は日本占領下)で国立音楽院長を務めていた。東京に家族がいたが、中国に残る。しかし、“文化漢奸”として批判されたり、その後の文化大革命で迫害されたりと不遇な余生を過ごしたらしい。
上海に渡った日本の映画人には元左翼、たとえば日本プロレタリア映画同盟の出身者などもいた。彼らに対して軍国主義のお先棒を担いだとして著者の視点は厳しいが、彼らもまた映画づくりの場を求めるためやむを得ず迎合した側面があるようにも思える。いずれにせよ、時代に翻弄された葛藤、とりわけ台湾人に対して安易に“親日的”と括ることのできない様々な思いの奥行きを描き出している点で興味深かった。
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