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2007年9月25日 (火)

「tokyo.sora」

 通勤などでいつも使う電車に乗っていたときのこと。電車が高架路線にさしかかると、空間が開け、空がとても広々と感じられる。ある夕暮れどき、新宿の高層ビル群を遠景に雲が薄紫色に染まっているのを見て、心底、美しいと思ったことがある。地方に行けば星空の美しさに感じ入ることもあるが、そういうのとは違う。普段、ささくれ立った気持ちを抱えて地にはいつくばりながら、屋根のすき間、ビルの谷間から狭い空を見上げることはあっても、たいした感懐はわかない。しかし同じ空なのに、自分のそうした日常を大きくくるむように広がっていて、ほんの一瞬ではあっても美しいと胸に迫ってくることがあり得る。そのことが胸を締め付けるように響いた。気が滅入っていて、感傷にふけりたい精神状態だったのだろうが。

 「tokyo.sora」は東京に暮らす六人の女性たちの姿を描いた映画である。それぞれに孤独な彼女たちは、互いに微妙な距離ですれ違い合いながら、ひっそりと自らの想いを秘めて、この巨大な迷路のような街の片隅に暮らしている。

 話題の展開はセリフでは示されない。会話のシーンもあるのだが、それ自体としては意味を持たず、風景の中にとけこんでいる。彼女たちの生活光景そのものをパッチワークしながら、いわば映像抒情詩とも言うべき形で、東京という都市が一面において持つ切ない息遣いを静かに浮かび上がらせている。

 ほこりっぽい高架下の通路、古い木造アパートの六畳間、洗濯機のうなり声がうるさいコインランドリー、ランジェリー・パブの楽屋代わりに使われている裏階段──。そういった生活光景のディテールを積み重ねて醸し出される情感が私は好きだ。

 そして時折、間奏曲のように空が映し出される。部屋の窓から見上げる狭い空。屋上から東京を広々と見渡す、その背景としての空。映画の進行に従って色合いも変化し、登場人物の心情と空の表情とがあたかも感応しあっているかのような錯覚にも陥る。

 何よりも素晴らしいのは、女性たち一人一人の表情の捉え方だ。もちろん、六人とも美しい、もしくはかわいらしい女性ばかりなのだが、そういうことではない。たとえば、中国人留学生の、言葉は伝わらないのだが自分に気づいてくれたときの嬉しそうなうなずき。美大生がデッサン・モデルの均整の取れた肢体に注ぐあこがれの眼差し。ランジェリー・パブでのバイトを掛け持ちする美容師見習いの、疲れたような、物事をあきらめてしまったかのような横顔。誰もが生活の中でふと見せることのある、感情のゆらめきが自然にかつ切迫して流れ出てきたがゆえの魅力的な表情というのは、それがたとえ憂いのこもったものであっても、確かにこうした美しさを帯びるのだろうと感じられた。

 私はこの映画が本当に好きで、折に触れて繰り返し観ている。なぜこれほどまでに強い思い入れを持つのか、スマートな言葉で表現できないのがもどかしく、悔しい。

【データ】
監督:石川寛
出演:本上まなみ、孫正華、仲村綾乃、高木郁乃、板谷由夏、井川遥、西島秀俊、香川照之、他。
2001年/127分
(2007年9月22日、DVDで)

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