「長江哀歌(エレジー)」
「長江哀歌(エレジー)」
“改革開放”のスローガンのもと中国が経済的に大躍進を遂げ、それにつれて地域間格差の問題も周知のこととなりつつある。長江沿岸の古都・奉節は、三峡ダム・プロジェクトによって段階的に水没する運命にあった。そこへやって来た二人の男女、一人は十六年前に別れた妻と娘を探す炭鉱夫のサンミン。もう一人は、事業を手がけて成功しているものの二年間も音沙汰のない夫の様子を見に来たシェン・ホン。この二人を軸に、滅びゆく街に暮らす人々の姿を描いた作品である。
日中、用事をすませてから夕方になって映画館に駆け込んだので少々疲れており、最初、ウトウトしていた。ところが、ふと目に入った映像の美しさに息をのみ、すっかり目が覚めてそのまま見入ってしまった。
住民が強制退去されて空き家となった建物の解体作業が行なわれている。街のあちこちで鎚を振るう音が響き、時にはダイナマイトの爆音が人の耳を驚かす。瓦礫の散らばる街並みと、一方で、まさに山水画そのものと言っていい、ボヤッと薄霞のかかった長江沿岸の風景。そうした両方が組み合わさって、どこか現実離れした、実にファンタジックで美しい世界が描き出されていた。主役二人のセリフまわしは総じてもの静かに抑え気味で、それだけ街の雰囲気にとけこんでいる。映像作りはよく工夫されており、UFOが飛んでいたり、奇妙なモニュメント的建造物がロケットになって発射されたり、なぜか関羽(?)たちがゲームに興じていたりといったシーンが挿入されているあたり、遊び心もおもしろい。
じんわりと胸にしみこんでくる美しさは映像だけによるのではない。タバコ、酒、茶、飴という四つのモチーフでストーリーが区切られているのだが、人をもてなす道具立てと捉えていいのだろうか。訪問者としてのかりそめの出会い。夫婦として理解しあっているように思いたくても実は遠かった心の距離。それを否定したり肯定したりしようというのではない。人が出会い、そして別れ、そうした一つ一つを表情としては淡々と受け入れながら、しかし同時に、切にいとおしく胸に刻み込んでいく。滅び行く街、それゆえにこそか、さり気なく織り成される人情の綾が静かに琴線に触れてくる。それは、“お涙ちょうだい”的に大げさなものではなく、山水画のように淡くしっとりと美しい。
【データ】
監督:賈樟柯(ジャ・ジャンクー)
2006年/中国/113分
ベネチア国際映画祭・金獅子賞グランプリ
(2007年9月17日、日比谷、シャンテシネにて)
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