「たとえ世界が終わっても」
「たとえ世界が終わっても」
集団自殺に参加したOLの真奈美(芦名星)。集合場所に現われた自殺サイト管理人を名乗る妙田(大森南朋)は自殺の手はずを整えているはずなのだが、彼の奇妙な振舞い(おそらく計算されたものだろう)に振り回されるうちに、他の参加者たちは自殺の意欲を失って脱落していった。一人残った真奈美は睡眠薬を飲むが、目覚めるとまだ生きている。再び現われた妙田がこう言った、「どうせ捨てる無駄な命なら、誰かの役に立って死にませんか」。ガンの手術が必要だが金のないカメラマン・長田(安田顕)を紹介され、彼を生命保険金の受取人とするよう偽装結婚を持ちかけられる。
自殺はいけないことだと口で言うのは簡単だ。しかし、死を望む人にとってそんなお説教は何ら説得力を持たない。説教する側は、死を望むだけの理由がないという特権的な立場にいるのだから、そのギャップを見せつけられて自殺願望者はますます追いつめられる。
情緒的な意味で自分の足場が崩されていると感じている人は、些細な困難にぶつかっただけでも容易に死を望みやすい。足場を回復できるのかどうかは分からない。人それぞれの問題なのだから。ただ、勘当されていた長田が両親と再会するのを横でみつめる真奈美の視線、眉ツバ的な妙田が語る“前世の記憶”、そういったエピソードには、自身が密接に絡み合っているつながりを想い起こす、もしくは再構築する可能性がほのめかされている。
無論、普通はこの映画のように美しいものではない。しかし、何か大切に思えるものを自身の中に呼び覚ますことさえできれば、生きるか死ぬかという単純な二者択一ではなく、生きるも死ぬもそのなりゆくままを引き受けることができるのだろう。
大森南朋の怪演が突出した存在感を持ち、他の出演者がかすんでしまっている。童顔と言ってもいい面立ちが、時におどけ、時に不気味なすごみを放つ変幻自在ぶりに、妙田というトリックスターがストーリー全体を支配している雰囲気が不思議と納得させられる。
物語としては割合と地味だし、大スターが出ているわけでもないのに、なぜか上映館は立ち見が出るほどの盛況だった。
【データ】
監督・脚本:野口照夫
出演:芦名星、安田顕、大森南朋、平泉成、白川和子、他
2007年/98分
(2007年8月31日レイトショー、渋谷、ユーロスペースにて)
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