« ジグムント・バウマン『廃棄された生──モダニティとその追放者』 | トップページ | 「tokyo.sora」 »

2007年9月24日 (月)

連休中の動静

 土曜日は朝から国会図書館につめて調べもの。ここでは、いかに効率的に時間を組み立ててコピーできるかが勝負。とにかく疲れた。退館する頃には、大量のコピーを前に、何やら一仕事終えたような錯覚に陥る。本当の作業はこれからなんだけどね。

 翌日曜日の朝。昨晩、というよりも今暁未明、布団に転がって本を読んでいたら、いつしか眠りに落ちていたようだ。寝返りをうつと腹のあたりに本のかたさを感じた。散らかった部屋を見回す。どうも気分が滅入っているようで、自分の人生の不毛をつくづく感じ始めた。こうなるとやばい。とにかく、居場所を変えたい。関東近郊温泉案内のムック本を引っ張り出し、パラパラとめくる。特に深い理由もなく、奥秩父の両神温泉という所に決めた。電話連絡したら宿も取れた。観光目的ではなく、何も考えずにボーっと取り留めなく読書したいと思い、リュックサックに7冊ばかり詰め込んで出発。

 まずは池袋へ。とりあえずジュンク堂書店、リブロと回っているうちにいつのまにか5冊買い込んでいた。合計12冊。半分は文庫本とはいえ、リュックの重みを背に受けて、何だか本の行商にでも行くような気分。

 12:30池袋発、西武秩父行きのレッドアロー号に乗車。車中で梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』(角川文庫、2007年)を読み終え、次に川本三郎『東京の空の下、今日も町歩き』(ちくま文庫、2006年)。先ほどリブロで買ったうちの1冊だ。何も考えずに手にとったのだが、そういえば、本を持って一泊小旅行というのは川本のエッセーを読んで触発されたことだったと今さらながらに思い出した。この本の出だしも青梅の一泊旅。今朝、行き先を考えていたとき、実は奥多摩方面という選択肢も検討していたのであった。川本の町歩きエッセイは、町の風景をつづりながら「そういえばこの作品にこんな描写があった」という感じに様々な文学作品や映画から縦横無尽に引用してくるのが魅力的で、いつも感心している。

 飯能でスイッチバック。後向きのまま山中の渓流沿いの風景が流れていくのも妙な気分だ。空はどんよりとした雲が立ち込め、小雨が降っている。「歩くぞ!」と意気込んでいたならばこうした雨雲は非常に厭わしく、できることなら吹き飛ばしてやりたいものだが、今回はとにかく宿でぼんやりしたいというのが目的なので気にならない。むしろ、雨の温泉というのも風情があってよさそうだ。

 13:45頃、西武秩父着。秩父鉄道に乗り換え、終点の三峰口へ。14:20くらいに到着。ここからバスに乗るのだが、あらかじめ調べておいた時刻表によると、次は15:26発車。時間つぶしがてら駅前のそば屋に入った。ハイキング姿、中年男女10人くらいのグループが盛り上がっていた。山菜そばを注文。中学生くらいの女の子二人が手伝っており、注文を取りにきた子にバス停の場所を尋ねた。夏帆を思わせる素朴にかわいい子だった。

 15:00ちょっと前くらいにバスが来た。発車まで30分ほどあるが、小雨が降っているので運転手さんに頼んで乗せてもらった。運転手さんはタバコでも吸いに降りていったが、ラジオをつけっぱなしにしてくれていた。ちょうど自民党総裁選開票作業の実況中継が流れており、福田康夫の名前が読み上げられた。まあ、順当な結果だろう。私は麻生太郎という人がどうにも好きになれない。安倍首相辞任前後のはしゃぎぶりは傍目にも非常に不愉快で、反麻生派の巻き返しに溜飲を下げた。何よりも、魚住昭『野中広務 差別と権力』(講談社文庫、2005年)を読み、麻生が野中の出自をとらえて人格中傷的な発言をしているのを知って、政策云々という以前に人間として信用できないという印象を受けていた。

 さて、行先は国民宿舎両神荘。最寄のバス停で降りて歩いていたら、なぜか唐突に巨大な中国風の建造物が目の前に現れた。あっけにとられて近寄ると「中国山西省友好記念館・神怡舘」となっている。埼玉県は山西省と姉妹都市連携をしているそうで、ここはその縁で建てられた山西省の風土や文物を紹介する博物館のようだ。350円払って入ると、施設そのものは割合と新しくて展示スペースはきれいに整っている。しかし、人影は皆無。山西省出身ということで関羽の立像があるのだが、その前にたくさんの小銭が置かれていた。どういうわけか中国では関羽は商売の神様とされており、横浜中華街の関帝廟でもお賽銭を投げた覚えがある。こんな所まで華僑の人たちが来るのだろうか。それにしても、意図のよく分からぬ妙な施設だ。

 で、このお隣が両神荘。部屋に荷物を置いてから、早速、温泉につかった。効能はよく分からないが、露天風呂が目玉。檜の屋根と塀に仕切られた浴場、すぐ脇では深く切れ込んだ渓流が水音をたてている。小雨がシトシトと降っており、屋根に垂れる雨音と、崖際の木の葉のサワサワいう音とが不思議と静寂な雰囲気を醸し出す。ひんやりとした空気が火照った体に心地よい。

 ロビーに行くと本棚があった。学研の学習マンガ「○○のひみつ」シリーズが30冊ほど並んでいる。手にとってパラパラめくると、実になつかしい。沢木耕太郎『深夜特急』など旅先ではうってつけの読み物だが、高橋和巳、ポール・ニザン著作集、『チボー家の人々』というのは果たして読む人がいるのだろうか。なぜか羽仁五郎『都市の論理』なんてのもある。昔はやったらしいが、今では古本屋でもゾッキ本扱い、1冊100円でも売れない。

 夕食は19:00からなので、それまで部屋に戻ってまったり。梨木香歩『ぐるりのこと』(新潮文庫、2007年)を読み終え、『西の魔女が死んだ』(新潮文庫、2001年)を手に取った。

 定刻になって食堂へ移動。見回すと、50~60人くらいは来ているだろうか。家族連れか熟年夫婦がほとんど。子供か中高年ばかりで、私の同世代などいない。夕食はそこそこ。宿泊費・朝夕二食・入湯料込みで約1万円なので、少なくとも不満はない。ビールを飲み、日本酒は好きではないのだがせっかくなので地酒も一合飲んだ。哲学書や社会科学書もリュックに放り込んできたのだが、こうなるともう難しい本は読めない。歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』(文春文庫、2007年)を読み始めた。今朝、リブロの文庫コーナーを物色していたとき、「2004年度このミス1位」という謳い文句で買った本だ。

 酔いがさめてきたら本をおき、窓から入ってくる秋の涼風に身をゆだね、思いつくよしなしごとをノートに書き留めつつ、いつしかまどろみの中に意識は消えていった。

 翌朝6:00起床。そそくさと露天風呂に行ったら、すでに先客は3,4人ほど来ていた。9:30にチェックアウト、西武秩父駅直通のバスに乗る。10:25発のレッドアロー号で11:50頃に池袋到着。宿泊費・交通費等ひっくるめて1万5千円前後で行けるので、気分転換には手頃な方法であることを確認できた。

|

« ジグムント・バウマン『廃棄された生──モダニティとその追放者』 | トップページ | 「tokyo.sora」 »

旅行・町歩き」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197828/16559315

この記事へのトラックバック一覧です: 連休中の動静:

« ジグムント・バウマン『廃棄された生──モダニティとその追放者』 | トップページ | 「tokyo.sora」 »