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2007年9月11日 (火)

出張ついでに寄り道②舞鶴

(承前)

 翌朝、6:50起床。大きな荷物は京都駅のコインロッカーに入れて、7:47発の嵯峨野線(山陰本線)に乗った。目的地は舞鶴。動機は三つ。第一に、こちらへ来る新幹線の中で保阪正康『瀬島龍三──参謀の昭和史』(文春文庫、1991年)を読んでいて、シベリア抑留にまつわるエピソードから舞鶴を連想したこと。第二に、先日、広島へ行ったついでに呉に寄ったのだが、いっそのこと旧海軍四鎮守府を制覇してやろうという妙な野心がわいたこと。横須賀にはいつでも行けるので、残すは佐世保のみとなる。第三に、頭がじっとりとかたまって憂鬱なので、とにかく海が見たい!と、解放感を求める魂の叫び(笑)

 京都から舞鶴までは、まず嵯峨野線で綾部まで行き、小浜線に乗り換える。列車本数が少ない上、単線なのですれ違い等による各駅での停車時間も長く、距離に比して時間は相当にかかる。東舞鶴駅に着いたのは10:30頃、3時間近く列車にゆられていたことになる。しかも混雑していて、車窓の風景を眺めることはほとんどできなかった。

 駅を出た途端、雨が降り始めた。初めての町に来た時は、できるだけ足を使って歩き回ることにしている。折り畳み傘はあるものの、気分はすっかりブルー。気を取り直し、市内周遊バスに乗ってまず舞鶴引揚記念館に向かった。

 舞鶴は日本海沿いのリアス式海岸が内陸に入り込んだ二又の湾に面した港町で、東舞鶴と西舞鶴と二つの中心がある。古いのは西舞鶴の方で、細川幽斎や京極氏、牧野氏の城下町として栄えた。これに対して、東舞鶴は明治になって軍港としてつくられた新しい町。かつては旧海軍の鎮守府が置かれ、現在も海上自衛隊舞鶴地方総監府や海上保安大学校がある。東西二つの舞鶴が合併したのはそんなに古くはなく、1943年、戦争遂行のため軍需・民需一体化が求められてのこと。舞鶴市役所は東舞鶴の方にある。なお、時間の都合で西舞鶴には行けなかった。

 日本海に面した最大の要港として、大陸からの引揚者の大半は舞鶴の土を踏むことになった。引揚船の着岸した桟橋、いわゆる“岸壁の母”たちが佇んだあたりだが、そこを見下ろす丘の上に舞鶴引揚記念館は建てられている(写真7)。ただし、周遊バスの発着時間により見て回る時間に制限があり、桟橋まで降りることはできなかった。雨も降っていることだし。館内は、シベリア抑留者が身に付けていた日用品や写真・説明パネルを通して、抑留者もその家族も共に味わわざるを得なかったつらさをしのばせる展示がされている。シベリアや中央アジアばかりでなく、コーカサスや黒海沿岸まで連行された人々がいたのは初めて知った。記念館の図録を一部購入。

 周遊バスが市街地に戻り、昼食休憩時間に入ったところで、運転手さんにことわってグループを離れることにした。一枚500円で施設の入館料(引揚記念館、赤レンガ博物館それぞれ300円)込みなので、すでにもとはとった。何よりも、この辺りは列車の本数がやたらと少ない。帰りを考えるとゆっくりもしていられない。駅前でもらった観光マップを片手にバスにゆられながら、市街地近辺の距離感はだいたいつかんでいる。もう一つの目標、海軍記念館まではそんなに遠くはないと見当をつけ、ちょうど雨もあがったので、歩こうと判断。カロリーメイトとミネラルウォーターでエネルギーを補給してから行動開始。

 舞鶴港はかなり奥まったところにあるので海という実感がわかない(写真8)。舞鶴湾東港沿いに、海上自衛隊の艦船を遠くに見ながら歩く(写真9)。さっきとは打ってかわって陽射しが結構照りつけてきた。汗がワイシャツをジトジトとぬらし、スーツのズボンが肌にはりつく。上着を京都駅のコインロッカーに入れてきたのは正解だったが、ズボンはクリーニングに出さねばならない、着替えのGパンを持ってくりゃよかったなあ、などと取り留めなく考えながら足を進めていたら、赤レンガづくりの大きな建物が見えてきた。赤レンガ博物館である(写真10)。

 ここはレンガをテーマとした全国でも珍しい博物館だ。明治期に建てられた旧海軍の爆薬庫を改装の上活用しており、これは日本に現存する赤レンガの建造物としては最古級のものらしい。辺りは工場地帯となっているのだが、今でも多くの古い赤レンガ建築が現役として使われている(写真11写真12)。赤レンガというと文明開化期日本における産業のシンボルというイメージがあるが、これを舞鶴のまちおこしの素材に使おうとしているようだ。館内の展示はなかなか充実しており、古代文明の発生から現代に至るまで、レンガを軸とした建築史の通史が一望できて面白い。時間さえ許せばもっとゆっくりしたかった。舞鶴は大連市と姉妹都市提携をしているそうで、ヤマトホテルや満鉄本社など、日本人がかつて大連でつくったモダン建築の写真が並べられているのも興味を引いた。

 赤レンガ倉庫群の横をしばらく歩いていくと、再び海が見えてきた。さっきは遠くに見えた自衛隊艦船の近くである。沿岸の桟橋は海上自衛隊の施設となっているのだが、明らかに一般人とおぼしき家族連れがゲートを通って中に入っていく。歩哨に立っている人に聞いたら見学できるという。名簿に名前を記入し、許可証を首にぶら下げて入構。護衛艦すずなみの威容(写真13写真14)。近くから見るのは初めてかもしれない。向こう側には修繕ドックがあるらしく、パナマ船籍のタンカーが見えた。

 さらに歩き、海上自衛隊舞鶴地方総監府に出た。先ほどの桟橋と同様の手続きを取った上で敷地内の海軍記念館に入る(写真15)。戦前に造られたらしい大講堂の一部に海軍関係の展示品が置かれている。歴代の舞鶴鎮守府長官ゆかりの品が置かれているが、とりわけ初代長官・東郷平八郎の顕彰が目立つ。

 記念館入口の前に、まだ入隊間もないのだろうか、白い制服に身を包んだ朴訥とした感じの女の子が歩哨に立っていた。展示を観ても何となくもの足りなかったので、「かつての鎮守府の名残を感じさせる建物は残っていないのですか?」と尋ねた。来館者が近づくたびにハキハキと挨拶していた口調が困ったようによどみ、「あちらの方に古い建物はあるんですけど、職場なのでお見せするわけには…」。了解。お礼を言って立ち去る。

 近くのバス停で時刻表を見たところ、次のバスは30分以上来ない。土地勘はだいたいつかめたつもりなので歩いて駅まで行くことにした。が、やはり自惚れは禁物。迷った。歩いても歩いても、むしろだんだん寂しくなってくる。焦るとますます早足になって傷口をいっそう広げてしまう。引き返そうとしていたら、近くの家から出てきたおばさんが「どちらへいきはるんですか?」と声をかけてくれ、親切に道を教えてくれた。あるいは、不審者と思ったのかもしれないが。

 迷子になった途中、東郷平八郎が仮住まいしていたという碑文を見つけた(写真16)。現在建っているのは何の代わり映えもしない普通のアパートというのも妙に感慨深い。また、赤レンガ造りの大きな自転車・歩行者用トンネルも通った(写真17)。このサイクリングロードは不自然なほどきれいに街を横切っている。気になって、帰宅後に廃線地図で確認したら、予感した通りに東舞鶴駅から沿岸のおそらく旧鎮守府近くにあった中舞鶴駅まで以前は鉄道が延びていた。廃線後にサイクリングロードとして再利用されたのだろう。あの赤レンガ造りのトンネルももともとは鉄道用だったと思われる。迷子は迷子なりに収穫はあるものだ。

 東舞鶴駅に着いたのは14:00過ぎ。土産物売場に寄ったら、「海軍さんの珈琲」を見かけた。先日、呉に行った時も全く同じものを見かけ、シャレのつもりで「戦艦大和サブレ」と一緒に家族用に土産として買った覚えがある。肉じゃがが名物料理というのも同様。ひょっとしたら、横須賀でも佐世保でも全く同じものが売られているのだろうか?

 疲れたので、帰りの特急まいづる号の指定席を取ってから市街地をぶらつくつもりでいた。ふと、発着表示板が目に入った。14:15発綾部行き列車がホームに入っている。その場の思いつきで飛び乗った。

(続く)

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