出張ついでに寄り道①大阪
先週、出張で大阪に行った。初日の夕方、時間があったので北浜の適塾を見てこようと思い立つ。手もとに地図がないので、以前に行った時の「確か淀屋橋駅の裏手にあったはずだが…」というおぼろげな記憶だけが頼り。
案の定、迷った。しかし、途中、懐徳堂の跡を示す碑文を発見したのは収穫だった(写真1、写真2)。もともとは大阪商人たちがつくった学問所だが、幕府からも公認、冨永仲基や山片蟠桃など独特な学者を輩出したことでも知られる。中之島近辺は大阪の行政やビジネスの中心地だが、江戸時代には町人階層と結びつく形でアカデミック・センターでもあったことがうかがわれる。
さて、何とか適塾にたどり着いたものの、すでに観覧時間は終わっていた。ため息をつき、取りあえず一枚撮っておこうと思ったら、説明板の前に違法駐車の図々しい姿。大阪人の交通マナーの悪さに悪態をつきながらパチリ(写真3、写真4)。もう五、六年前だろうか、以前に入館した時の記憶では、大きめだが普通の商家という佇まいで、二階の上に物干し場があったりと割合に生活感があったのが印象に残っている。
適塾の横はちょっとした公園となっており、緒方洪庵先生の胸像がある(写真5)。背後に映るのは、件の物干し場(写真6)。手塚治虫『陽だまりの樹』(小学館文庫、1995年)は適塾で学ぶ人物群像を描き出しているが、この物干し場にかかる急傾斜の階段を若き日の大鳥圭介(後に幕府陸軍奉行等を経て明治新政府に出仕)が転がり落ちるシーンがあったのをなぜか思い出した。本当にどうでもいい話で恐縮だが。
ちなみに、手塚は大阪大学医学部の出身だが、適塾の管理も大阪大学。さらにちなみに、適塾の塾頭となり『陽だまりの樹』にもキーパーソンとして登場する福沢諭吉は大阪の中津藩蔵屋敷で生まれている。中之島の西寄りに福沢諭吉生誕碑があるはずで(一応、母校の創立者なのだが、大阪に来てもなぜか忘れてしまい、今回も含めて一度も見に行ったことがない)、こちらも現在は大阪大学の敷地となっている。
この後、堂島およびヒルトンプラザのジュンク堂書店、梅田のブックファースト、阪急梅田駅下の紀伊国屋書店とハシゴしながら、阪急三番街の古書店を目指した。ところが、何とお休み…。この一画は水曜日休業なのであった。失意の中、お好み焼きとビールで憂さ晴らしをしてから宿舎に戻った。
土曜日にようやく任務終了。明日は日曜日、せっかく関西まで来ているのにこのまま帰るのはもったいない。現地で上司と別れ、私はひとり京都に向かった。体力的にはどうってことはないのだが、精神的な疲労は激しい。宿をとり、テレビをつけたら黒澤明のリメイクドラマ「天国と地獄」をやっていたので、観ながらウトウト。緊張感から解放されたせいか、いつしかグッスリ。
(続く)
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