『アルフォンス・ミュシャ作品集』
アールヌーボーという言葉を聞いて、大方の人が思い浮かべるのはアルフォンス・ミュシャの描く優美な女性像であろう。パリの大女優サラ・ベルナールのポスターをはじめ、洗練されたイラスト風のスタイルは、20世紀初頭、商業美術というジャンルの急速な拡がりと共に文化史において一時代を画した。
同時代の日本にも影響は及んでいた。今年、「美人のつくりかた」という近代日本の商業ポスターをテーマとした企画展示が印刷博物館で行なわれていたが、明らかにミュシャを意識したデザインのものを見かけた。また、雑誌『明星』の扉にもミュシャ風の女性像が描かれている。
私はミュシャの絵が結構好きで、『アルフォンス・ミュシャ作品集』(ドイ文化事業室発行、三省堂書店発売、2004年)が手もとにある。興味を持ったきっかけは、三省堂書店で本を買うとはさんでくれる、ミュシャの絵が入った栞。それで目にした「イヴァンチッツェの思い出」という作品の幻想的に暗いタッチで描かれた女性像が印象深く、ミュシャという名前が脳裏に刻み込まれた。三省堂の販売戦略にまんまとひっかかったわけだ。買ったのは紀伊国屋書店だったけどね。
ミュシャはアメリカ滞在中、ボストン交響楽団が演奏するスメタナ「わが祖国」を聴いて、民族意識を激しく鼓舞するようなインスピレーションを得たらしい。1910年、故郷ボヘミアへ戻り、「スラヴ叙事詩」という連作に取り組んだ。パラツキーの歴史書を紐解き、バルカン各地やロシアを旅行するなど綿密な取材を基に構成された大作群は、かつての優美な作風とは打って変わり、荘厳に重々しい宗教画風。セルビア王ステファン・ドュシャンの即位式のワンシーンなど、明らかにロシア皇帝を模している。
ミュシャが「スラヴ叙事詩」に取り組んでいる間に第一次世界大戦が勃発し、世界情勢は大きく変わった。祖国は念願の独立を果たすのだが、新生チェコスロヴァキア共和国はマサリク大統領の下、中東欧で最も近代的な先進国家として注目を浴びつつあった。その一方で、ミュシャの大時代的な「スラヴ叙事詩」は同国民から困惑の眼差しを受けることになる。
アールヌーボーの旗手が民族的土着性に目覚めた途端、一転して中世的な厳かさへと向かったという振幅の極端さがとても興味深い。しかし、いずれにしても現実離れしたファンタジックなイメージという点では共通しており、どちらも私は好きだ。
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