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2007年9月16日 (日)

「エヴァンゲリヲン新劇場版 序」

 エヴァンゲリオンが社会現象ともいうべき一大ブームを巻き起こしたのは私が大学生の頃だった。保守系論壇誌の『諸君!』ですらエヴァの小特集を組み、宮崎哲弥や切通理作が寄稿していたのを覚えている。アニメに詳しい知己が身近におらず情報に疎かったのだが、そんな私にすら評判が聞こえてきた。どんなものかいな、と観てみた。ミイラ取りがミイラになってしまった。その頃の私自身が、ウジウジしたシンジ君のように精神的にまいった状態にあったのでシンクロしてしまったのかもしれない。

 エヴァは従来的なロボット・アニメの構図ながらも、それを換骨奪胎して少年のビルドゥングス・ロマンとなっているのが多くのファンを引き付けた理由の一つだろう。哲学、精神分析学、神話学などぺダンチックなモチーフが見え隠れするのも、単にアニメとして斬って捨てられない雰囲気を出していた。あちこちに散りばめられた謎、そしてネルフ上層部が時折もらす「シナリオ通りだな」というセリフには、自分たちが目の当たりにしているのとは位相の異なるロジックが働いている、そういう意味での世界観の奥行きが感じられて、目が離せなかった。“昭和”を思わせる風景と近未来的な廃墟とが不思議に共存した映像も私は好きだった。

 今年に入ってある日曜日の午前中、近所の喫茶店で本を読んでいたら、何やら“綾波レイ”とか“初号機”とかいう言葉が耳に入ってきた。なつかしい話題を語らっているなあと思いつつ、それにしても声が老けている。見やると、初老の紳士二人がエヴァ特集のムック本を前にして、一人がもう一人にエヴァについてレクチャーしていた。さすがに驚いた。エヴァ再映画化を私が知ったのは、それから一、二週間くらいしてからだった。

 今回は四部作構成の「序」、アスカ登場直前までを戦闘シーン中心に駆け足でまとめている。映像は一新されているのでいわゆる“総集編”的な感じはない。リリスや渚カヲルが一瞬だけ姿を見せ、物語の奥行きをほのめかす。次回予告が最後に映るのだが(例の「サービス、サービス!」では客席に爆笑がわきおこっていた)、見たことのないキャラがいて、この後の展開はだいぶ変わりそうだ。

 私は割合と丹念にエヴァを観たつもりだったが、その全体像を把握できているかといえば心もとない。そもそも、庵野秀明自身、半ばこわれた状態で自転車操業的に作っていたらしいが、そのほころびがかえって思わせぶりで、色々な読み込みの可能性が開けていたのが一つの魅力だった。今回の映画化では、そうやって出されてきたアイデアを一貫した物語にまとめ上げているのだろうから、どんな見せ方をしてくるのか、この先の展開に興味津々。

【データ】
総監督・原作・脚本:庵野秀明
2007年/98分
(2007年9月15日、新宿ミラノにて)

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