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2007年9月28日 (金)

近藤ようこの作品

 近藤ようこの漫画作品を初めて読んだのはいつ頃だったろうか。確か『見晴らしガ丘にて』(ちくま文庫、1994年)だったと思う。母親の本棚にあった。私の母は離婚した後、幼い私を連れて祖父母の家に住んでいた。近藤の作品には、事情を抱えた娘と母親との葛藤をテーマとしたものが多い。当時の私は深くは考えてはいなかったが、最近になって改めて近藤作品を読んでみると、母が様々な気持ちを重ね合わせていたであろうことに思い当たるシーンが時折あり、今さらながらに感慨をもよおす。

 松岡錠司監督「アカシアの道」(2001年)という映画を観たことがある。主演の夏川結衣が好きだったので観に行ったのだが、この映画の原作者が近藤ようこだった(青林工藝舎、2000年)。アルツハイマーの母と、その母に対して複雑な想いを抱えた娘とを描いていた。この前話をなす『HORIZON BLUE』(青林工藝舎、1990年)は、母親から愛されていないと思い込んだ娘が、その葛藤の激しさのあまり親子関係、姉妹関係、夫婦関係を崩してしまい、そして自らの娘をも虐待してしまう心理的機微を細やかに描き出している。

 『鋼の娘』(祥伝社、2002年)もやはり母の呪縛に苛まされる娘が主人公。いずれの作品でも、自分の抱えている問題は他ならぬ母親自身もまた苦しんでいた問題であったことに気付き、たとえそうした葛藤は終わらないにせよ、少なくとも受け入れていく可能性がほのめかされているところに救いがある。

 『兄帰る』(小学館、2006年)という作品は好きだ。ある日突然、失踪してしまった男が交通事故で死んだ。婚約者を、兄を、息子を失った人々が、彼は何を思って失踪したのかという戸惑いの中、その足跡をたどる。不本意な人生と決め付け、嘆きたくなることもある。人はそれぞれのしがらみに絡め取られながら生きているが、理由探しをして断罪してもそれで問題が終わるわけではない。あきらめということとは違う。たとえ許せなくとも、自らに否応なくまとわりつくしがらみを直視し、受け入れながら今を生きていくことは十分にできる、そんなことを考えながら読んだ。

 他人がそれぞれに心に痛みを抱えながら生きていることは意外に分からない。むしろ、分かったようなつもりになっているぶしつけな善意は、その無理解ゆえの落差に愕然とすることがある。『移り気本気』(青林工藝舎、2005年)は全11話、オムニバス形式の短編集。前作で端役として登場した人に次作で焦点が合わせられるという形でチェーン状につながっている。様々な人物を交錯させることで、傍目にはさり気なくとも他ならぬ当人にとっては切実な葛藤がよく浮かび上がっており、この作品も結構好きだ。

 『アネモネ駅』(青林工藝舎、1998年)も日常における感情の機微をたくみにすくい取った短編集でなかなか良い。

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