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2007年8月24日 (金)

広島に行ってきた③

(承前)

 翌朝、7:30頃に宿舎を出た。市電に乗って広島港へ行く。江田島まで船で行くつもりなのだが、ちょうど8:07発が出航してしまったばかり。次の便は9:24までない。旅客ターミナルは割合と新しく、パン屋兼喫茶店のような店があったので朝食がてら時間をつぶす。

 ファーストビーチ号に乗り込み、江田島の小用港へ向かった。広島湾には小島が多く、潮の香りはするものの、見た感じは海というよりは大きな湖という印象を持った(写真51)。小用港までは20分ほどで到着。港前のバス停にちょうどバスがいたので乗り込み、海上自衛隊第一術科学校前で降りた。見学ツアーが10:00から始まることは事前に調べてあったのだが、ギリギリ間に合った。意外と大勢集まっている。案内者は、おそらく退役間近なのだろうか広報の腕章をつけた年配のおじさん。適宜ダジャレを織り込みながら一人一人に語りかける話術は磊落にユーモラスで好感を持った。

 江田島にかつてあった海軍兵学校は陸軍士官学校と同様にエリート軍人養成校であり、旧制高等学校以上の難関だったことで知られる。イギリスのダートマス兵学校、アメリカのアナポリス兵学校と共に世界三大兵学校と言われたそうだ。現在は海上自衛隊の幹部養成校および第一術科学校となっている。

 当時から残っている大講堂(写真52)や校舎を一通り見る。赤レンガの校舎(写真53)はイギリスのダートマス兵学校を、もう一つ白亜の校舎はアメリカのアナポリス兵学校を模して建てられている。沿岸へ行くと、戦艦陸奥の大砲(写真54)や高射砲、砲弾などが記念碑のような感じに置いてある。ここから練習艦にじかに乗り込むことができ、卒業式の日にはそのまま遠洋航海に出かけてしまうそうだ。教育参考館という建物も古そうだが、現在、改装工事中。脇に、いわゆる“人間魚雷”回天(写真55写真56)・海竜(写真57写真58)の2機が置かれていた。説明板での表記は“特殊潜航艇”となっている。教育参考館の仮設展示室には、ゆかりの海軍軍人たちの史料、そして特攻隊として散華した人々の遺影及び遺書がある。

 小用港に戻り、フェリーに乗って今度は呉に向かった。瀬戸内海はどこもそうなのだろうが、対岸が見えるので海という実感がわかない。呉港に近づくにつれて、大型船、工場のクレーン、海上保安大学校などが見えてきて、いかにも軍港というイメージを裏切らない。

 港湾旅客ターミナルに隣接する大和ミュージアムに入った。かつて呉海軍工廠で戦艦大和が建造されたことにちなんだ博物館である。海軍の歴史と呉の街の成り立ちとを絡ませた展示は情報量という点でなかなか充実している。とりわけ技術水準の高さをアピールするのがこの博物館のコンセプトのようで、船の力学を遊びながら体験できるコーナーなどよく工夫されている。名誉館長の一人として松本零士も名前を連ねており、「宇宙戦艦ヤマト」に絡めて未来の科学をテーマとした展示もあった。家族連れで込み合っていた。

 道路を挟んで向かい側にある、海上自衛隊史料館「うみのくじら館」にも寄る。新しくできた施設で、潜水艦の仕組み、機雷と掃海活動の重要性の解説など、海上自衛隊の任務についてのPRを目的としている。潜水艦の実物(写真67)が置かれていて、艦内を実際に歩いて体感できるのが面白い。

 呉の市街地を歩く。思っていた以上に都市としての規模は大きい。高い所から眺めると、住宅地が平地に収まりきれず、山すそをいくぶんか登るあたりまで広がっている。海軍呉鎮守府の城下町として、軍需産業を中心に発展した過去がうかがえる。かつては市電が走っていたらしく、道路の幅員は広いのだが、その分、閑散と寂しい感じもした。私は観ていないのだが「男たちの大和」「海猿」といった映画のロケが行なわれたらしく、観光案内を見ると町興しのテーマとして強調されている。

 もう二時を過ぎたので昼食を摂ろうとI屋に入った。“海軍さん”の味を売り物にしている店だ。昔の洋食はこんな感じだったのかなあと思いながらハヤシライスを食べた。肉じゃがはなかなかうまかった。

 入船山記念館へ行った(写真59)。呉鎮守府司令長官の官舎が記念館として一般公開されている(写真62写真63)。和室と洋室が組み合わされた典雅な建物だ。他にも、衛視詰所(写真60)や弾薬庫(写真61)など、旧海軍を彷彿とさせる建物を実見できる。東郷平八郎の暮らした家(写真64)というのも移築されていた。

 ここからさらに海寄りの方向へ歩くと、海上自衛隊呉方面総監部の前に出た(写真65)。この敷地内にかつての呉鎮守府の建物がある。見学時間からははずれていたので、近くの歩道橋の上から撮影(写真66)。戦前ならスパイ容疑で連行されたろうな。

 広島は陸軍の街、呉は海軍の街、それぞれ軍都としての性格を戦前は持っていた。不幸にして原爆が投下され、廃墟から再生した広島には、戦後、平和のシンボルとしての役割が期待されることになった。対して呉は、軍事の中でも技術という側面に誇りを持たせようとしているのが特徴的である。戦後再出発した日本の二つのイメージ、“平和国家”としての日本と“技術立国”としての日本が、この隣り合わせの二つの街に象徴的に表われているようにも感じられる。

 呉駅に行き、15:45発の快速電車に間一髪のタイミングで飛び乗った。広島には16:20頃に着。乗車予定の新幹線は19:26発なので、もう少し広島の市街地を歩くことにした。旅先では必ず書店をチェックすることにしているので、JR広島駅前福屋百貨店上のジュンク堂と、紙屋町の紀伊國屋を見て回った。両方ともそれなりに充実している。市電に乗って広島駅に戻ろうとしたら、雲行きが怪しくなってきて空に稲妻が走るのが見えた。嫌な予感がしていたら、案の定、落雷による送電線事故で新幹線のダイヤが大幅に乱れていた。東京駅には夜中の12:30頃に到着。中央線の終電にギリギリ間に合い、何とか帰宅できた。

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