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2007年8月26日 (日)

升味準之輔『昭和天皇とその時代』

升味準之輔『昭和天皇とその時代』(山川出版社、1998年)

 昭和天皇が亡くなったとき、私はまだ中学生でそろそろ世の中の問題に目を向けようかという年頃だった。私の家庭はどちらかと言うと天皇制に否定的な空気があったので、情緒的な思い入れはない。かと言って格別な反感もなく、無表情にヨロヨロ歩く老翁の姿だけが私の天皇イメージのすべてであった。

 本書は、当事者の日記や回顧録をはじめ史料根拠をふんだんに用いながら、戦前・戦後を通じた政治史の中での昭和天皇の立ち位置を跡付けようと試みる。引用が多すぎて少々読みづらい感じもするが、それだけ議論の信頼性は保証されている。しかしながら、ある年代以上の人々にとって天皇の問題というのは距離の取りづらい微妙な困難をはらむものらしい。実証研究で名高い日本政治史の泰斗にしても、自らがその中にいた“呪縛空間”との葛藤を吐露している。

 関心の焦点はやはり太平洋戦争の開戦と終戦の経緯に集まり、数ある史料の中でも『昭和天皇独白録』にしばしば言及される。昨年スクープされた“富田メモ”にしてもそうだが、これらに特に目新しい事実はない。むしろ、従来の研究を裏付ける内容である。ただ、一人称で語られる昭和天皇の肉声に著者は並々ならぬ関心を示す。これもまた、かつて体感していた“呪縛空間”のゆえでもあろうか。

 昭和天皇の積極的な政治介入は三回だけあったと言われている。張作霖爆殺事件の処理をめぐって田中義一首相を叱責、田中が恐懼して辞任してしまった“苦き経験”を反省し、以後は“立憲君主”として振舞うことを旨として、政治介入は自制してきた。二・二六事件と終戦の決断の二回は例外である。そのように昭和天皇は語る。しかし実際には、内奏と御下問、聖旨の伝達など様々な場面で天皇は政策決定の中枢にいたと著者は指摘する。そして、“苦き経験”を踏まえた“立憲君主”という言い方は、東京裁判を目前にして構成された弁明の論理だという。

 無論、天皇制が護持されたのはこうした論理構成が連合国に受け入れられたからではなく、あくまでもアメリカが政治利用の価値を認めたからに過ぎない。それからもう一点、昭和天皇がマッカーサーとの会見で、「自分の身はどうなっても構わないから国民を助けて欲しい」と述べたこともよく知られている。

 “聖断”によって終戦が実現できたなら、同様に開戦も阻止できたはずではないか、という疑問はよく提起される。だが、もしそのような意思を示していたらクーデターが起こって事態はもっと悪くなっていただろうと昭和天皇は言う。いずれにせよ、彼は政策決定の中枢にいて、その中で可能な限り戦争回避に苦慮していたが、軍部や開戦派に押し切られる形で宣戦を裁可することになる。政治というのは国益のためには戦争の可能性も排除できない、少なくとも当時はそれが常識であった。様々な意見が交錯する中で揺らぐ昭和天皇の姿が間接的ながらも本書には浮かび上がっている。

 戦後も昭和天皇は政治への関心を持ちつづけ、首相や閣僚からの内奏によく耳を傾けていたらしい。勿論、そこで語られた天皇の言葉が外部に漏れることはなかった(田中角栄内閣の増原防衛庁長官がうっかり記者団に話して政治問題化したことがある)。しかし、新憲法の確立によりそうした機会はかつてに比べると断然少なくなり、昭和天皇も少々寂しい思いをしていたようだ。ヨーロッパ王室をモデルとして天皇に権力を集めた明治から昭和初期という時代は皇室の歴史の中でむしろ例外的で、戦後、権力から隔絶された現在の方が伝統にかなっているという趣旨のことを高松宮が述べており、興味深い。

 『昭和天皇独白録』は寺崎英成のメモを基にしているが、昭和天皇の回想を側近が書き留めた『拝聴録』が宮内庁に存在するという噂がある。私もぜひ読んでみたいという気持ちに駆られる。昭和天皇は、たとえば西園寺公望のようなオールド・リベラリストの薫陶を受け、バランス感覚に富んだ人だったという印象を私は持っている。軍部が政府を引きずり回し、政党政治は自滅していく、そうした下々の諍いを苦々しく眺めざるを得なかった苦衷はいかばかりであったろうか。

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