« 夏休みを思い出させる作品 | トップページ | 中島岳志『パール判事』 »

2007年8月14日 (火)

『八月十五日の神話』『東アジアの終戦記念日』

 8月15日は終戦記念日、これを私なども自明なことと疑いもしなかったが、佐藤卓己『八月十五日の神話──終戦記念日のメディア学』(ちくま新書、2005年)を読んで目からウロコが落ちた。

 どの時点を以て戦争が終わったとみなすのか、意外と単純には決められない。時系列的に整理すると、ポツダム宣言受諾を連合国側へ正式に伝達し、終戦詔書が起草されたのは8月14日。その終戦詔書を天皇自らの声で録音した、いわゆる“玉音放送”が流れたのが8月15日で、一般にこの日を“終戦記念日”と呼んでいる。ミズーリ号上で重光葵外相と梅津美治郎参謀総長が降伏文書に調印したのが9月2日である。

 戦闘行動の停止という意味では各地の事情によってタイムラグがある。大本営から停戦命令が出されたのは8月16日。しかし、沖縄では、沖縄守備隊司令官牛島満中将が自決し、日本軍の組織的抵抗がほぼ終わった6月23日を慰霊の日としており、残存日本軍が正式に降伏文書に調印したのは9月7日である。また、ソ連軍は日本のポツダム宣言受諾後の8月15日に千島作戦を発動させ、歯舞諸島を完全占領した9月5日まで戦闘行動が続いた。大陸や南方各地でもそれぞれ日付は異なるはずだ。

 終戦のシンボルとして“玉音放送”がよく取り上げられる。しかし、戦争というのは相手があってのことであり、交戦相手に意思表示をした時点で終戦と考える方が理屈にかなう。その意味では8月14日、もしくは9月2日を終戦記念日とする方が妥当だし、そうでなければ海外の人々とこの戦争について議論する際の前提が共有できない。それにも拘わらず、日本人はあくまでも対内的なメッセージに過ぎない“玉音放送”を以て終戦とみなしているのは一体なぜなのか?

 本書は、“玉音放送”を聴いてうなだれている人々を撮影したとされる“玉音写真”の虚実、新聞報道の終戦特集企画記事、歴史教科書などの問題を取り上げているが、とりわけラジオ放送の分析を通して“玉音放送”の古層を掘り起こしているのが興味深い。1939年以来、英霊供養の盂蘭盆会法要のラジオ放送が8月15日に行なわれており、ここに“玉音放送”がイメージ的に重ねあわされたという。テレビや新聞の終戦特集企画、いわゆる“八月ジャーナリズム”はこのイメージを固定化させた。丸山眞男・宮沢俊義の8月15日革命説などによる断絶の強調は、彼らの意図は別として、かえって戦時下から戦後にかけてのメディアの連続性を隠蔽する効果を持ったと言える。

 こうした結論を踏まえて著者は、お盆の「8月15日の心理」を尊重しつつ、公式に戦争が終わった「9月2日の論理」とを両立させるため、この二つの日付をそれぞれ「戦没者追悼の日」「平和祈念の日」として“政教分離”することを提案する。

 以上の佐藤書を受けて、日本ばかりでなく朝鮮半島や台湾、中国など東アジア各地での“終戦”の捉え方を共同研究した成果が佐藤卓己・孫安石編『東アジアの終戦記念日──敗北と勝利のあいだ』(ちくま新書、2007年)である。

 沖縄はラジオ放送ができない状態にあったため、いわゆる“玉音体験”から排除されていた。戦後日本という“想像の共同体”を成り立たせた神話として“玉音放送”を捉えるなら、ここから見えてくる沖縄の位置付けもまた再考の必要がある。

 朝鮮半島や台湾でも“玉音放送”は流れた。私などには解放のニュースに国中が欣喜雀躍しているイメージがあったのだが、実際にはこれをどう受け止めたら良いのか人々は戸惑い、むしろ静かだったという。複雑な政治力学的なプロセスを経て時間をかけながら解放を実感することになるのだが、戦勝記念日、独立記念日をめぐって各地域それぞれの事情に応じてシンボル化されていく経緯がたどられている。

|

« 夏休みを思い出させる作品 | トップページ | 中島岳志『パール判事』 »

近現代史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197828/16111160

この記事へのトラックバック一覧です: 『八月十五日の神話』『東アジアの終戦記念日』:

« 夏休みを思い出させる作品 | トップページ | 中島岳志『パール判事』 »