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2007年8月 9日 (木)

原爆の記録をいくつか

 黒焦げとなって性別不明な死体が川の中に折り重なっている。息のある者も、服は焼けて裸に近い状態。皮膚がずるむけになってぶら下がり、「水をくれ、水をくれ」とうめいている。ガラスの破片が体中にびっしりと埋まっている人、眼球が飛び出してぶら下がっている人。顔がボールのようにふくらんで、声を出さねば誰なのか分からない。体中からにじみ出る膿はひどい臭いを放ち、薬もなく、救護にあたる人々はただ途方にくれるばかり。──こうやって書き出していくだけでも気が滅入ってくる。

 生き残った人々にも苦難がはだかっていた。ケロイドの残った顔や体に向けられる眼差し、原爆症への周囲からの差別意識。何よりも、家族や近所の人たちや学友や職場の同僚が変わり果てた姿で息絶えていくのをまさに目の前で見ていた。その光景と、助けられなかった負い目とを一生ひきずらねばならなかった。同情する、などとは軽々しくは言えない。何か、言葉に出すこと自体が冒涜に当たるような、難しい気持ちだ。

 『原爆体験記』(朝日選書、1975年)の原本は原爆投下の五年後に被爆者から寄せられた手記をまとめて印刷された。ところが、そのあまりに凄惨な内容が占領軍の嫌忌に触れ、核戦略上の思惑もあったのだろう、出版は許可されずしばらくの間広島市役所の倉庫に埋もれていたという。職業、年齢を異にする様々な人々の体験は、被爆の記憶がまだ鮮やかな時期に記されたものだけに生々しい。

 神田三亀男・編『原爆に夫を奪われて──広島の農婦たちの証言』(岩波新書、1982年)は広島市北郊の農家のおばあさんたちからの聞き書き。みな、夫は義勇隊として広島市内に動員されていた時に被爆死した。中には、夫を探して市内に入り、黒焦げとなった姿を見つけて連れ帰った人もいる。単に原爆の記録というだけでなく、一般に注目される機会のない農家の女性たちの人生もまた戦争や原爆によっていかにねじ曲げられたかを書き残しておこうという意図に特色がある。

 林秀男『爆心地ヒロシマに入る』(岩波ジュニア新書、1992年)は原爆投下から二ヶ月ほど経った広島と長崎の写真を収めている。著者は原爆災害調査団に参加したカメラマン。とにかく何もかもが吹き飛ばされて更地となった光景から、原爆の破壊力のすさまじさが窺える。この何もない瓦礫の広がりの下に多くの死者が埋もれているわけだ。

 白井久夫『幻の声──NHK広島8月6日』(岩波新書、1992年)。原爆投下直後に流れたラジオ放送、「こちらは広島中央放送局でございます。広島は空襲のため放送不能となりました。どうぞ大阪中央放送局、お願い致します。大阪、お願い致します、お願い致します…。」悲しくも美しい、女性の声だったという。どなたの声だったのか確かめて欲しいという投書をきっかけに、NHKディレクターである著者が戦時下の放送体制の問題へと分け入る。結局、誰の声だったのか、そもそも本当に流れたのかすらも分からない。だが、その声を聞いたという人が何人もいたという事実、そうした人々の思い入れの強さが印象付けられる。

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