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2007年8月23日 (木)

広島に行ってきた②

(承前)

 昼を過ぎた。昨晩から何も食べてないことを腹の腑が訴えてきたので、地下街のMという店に入り、広島焼きで朝食兼昼食を済ます。再び暑い地上に出て、市街地を南下。袋町小学校(旧袋町国民学校)平和資料館へ行った(写真26)。

 本川国民学校と同様、こちらも当時としては珍しいコンクリート造の建物なので爆発の衝撃波にも耐え、校舎の一部が残されて資料館となっている。行方不明者の消息を尋ねる伝言が一面に書きつめられた壁が保存されている。ボランティアのおじいさんが親切に解説してくれた。生徒たちはほぼ全滅したが、原爆が落ちた瞬間にたまたま地下室に下りていて助かった生徒のことは手記か聞き書きかで読んだ記憶がある。その地下室も保存されており、資料ビデオが流されていた。行方不明となった親族の名前をここの壁に残された伝言で見つけたという人を取材した番組だった。

 たまたま東京の大学生と同席していて、被爆地を訪れた人々のアンケート調査をしているので協力して欲しいと頼まれた。真面目な口ぶりだったので了解。「広島へ来た理由は何ですか?」うーん、言葉につまる。「気になっていたから」と漠然とした返答。「実際に来てみて、初めて知ったことはありますか?」「うーん、知識として驚くことはなかったが、ただ、遺品の原物を見て、現地で足を踏みしめて、まさにここで亡くなったのだという実感があったかな。」当たり障りのない陳腐な返答だ。だから言葉に出したくない。「それでは、国民投票法が制定されて、三年後以降、憲法改正が可能となりますが、第九条についてはどのようにお考えですか?」頭の中で、“出た!!!”とエクスクラメーションマークが3つ並んだ。もちろん、顔には出さない。「うーん、難しい質問ですねえ。取り敢えずペンディングというか、護憲・改憲双方ともそれなりに筋が通っていると思うので、現時点ではどちらとも言えません。」

 彼は色々と興味深い話を聞かせてくれた。外国人と日本人とでの意識の違いが浮き彫りにならないか、それをテーマにインタビューしているという。あるイタリア人など、広島はまだ焼け野原のままだと思っていたらしく、大都会ぶりに驚いていたらしい。「日本人はまだチョンマゲを結っている、みたいな発想なんですかねえ」という彼の突っ込みに納得。海外の人は割合とフランクに答えてくれるようだが、日本人観光客に話を聞こうとすると、胡散臭げに見られてなかなか難しいという。暑い最中、本当に大変だ。

 しばらく雑談しながら、先ほどのアンケートで違和感を持った点を率直にぶつけてみた。「原爆の問題と憲法問題、どちらに力点を置いているのか? 質問の流れとして、非核三原則や核拡散の問題を尋ねるなら分かるが、憲法問題は唐突な印象があった。広島の原爆の問題と憲法第九条の問題とは、君の頭の中ではどのようなロジックで結びついているのだろうか?」彼は「広島のことを考えるにしても、今現在の問題を絡めたかった」という。もちろん、平和問題というテーマで概括できるという前提を自明なものとみなす気持ちは分かる。だが同時に、憲法問題には微妙な政治性がにじんでいる。日本人観光客が忌避しようとしたのはそうした政治性への無意識的な拒否反応だったのではないかという印象を私は感じていた。ただ、付け加えておくと、彼は、たとえば平和記念資料館で遺品を見てショックを受けた直後の人には、感情的にたかぶった状態に土足で踏みにじるのは避けたいのでインタビューしないという。そういう配慮はきちんとしている。「頑張ってください」と声をかけて別れた。

 近くの頼山陽史跡記念館に寄る(写真27)。山陽が脱藩騒ぎをおこして幽閉された居室がここにあったらしい。ここで『日本外史』執筆に着手したという。戦前に記念館が建てられたが、原爆により大破。収蔵品の多くは焼失してしまったが、1995年に現在の形で開館した。ちなみに、岩波文庫版『日本外史』は一応持っているのだが、ほとんど目を通したことはない。古典読解の訓練を受けていないのでなかなか難しい。展示されている書を見ても、実のところよく分からない。

 先日、中島岳志『パール判事』(白水社、2007年)を読んで本照寺という日蓮宗のお寺にパール判事の碑文があることを知ったので地図をみながらたどり着いた(写真28)。原爆慰霊碑にある「過ちは繰返しませぬから」をパールは見て、主語を曖昧にしてアメリカの責任を濁していることは、戦後日本人のアメリカ依存の表われだという趣旨の感想を述べたという。それを聞いたここの住職が碑文をお願いしたらしい(写真29)。英訳は通訳のA・M・ナイル(彼はラシュ・ビハーリ・ボースの秘書役を務めていた)による。

 広島赤十字・原爆病院へ行った(写真31)。ここの建物は爆風に何とか耐えたが、その後建て替えたため一部だけ保存されている。爆風で歪んだ窓枠(写真30)。壁に突き刺さったガラス片が生々しい。被爆者の手記を読んでいると、ガラス片がびっしり体中に突き刺さったという描写がよく出てくるが、コンクリート壁に深くめり込んだ様子を見ると、そのすさまじい勢いが窺われて恐ろしい。なお、この病院の保管庫にあったレントゲン撮影用のフィルムが感光していたことからおびただしい放射能が放出されたことが分かり、広島に落とされたのが原子爆弾であったと確認された。

 東へ歩き、広島大学旧校舎へ行った。戦前の広島文理科大学で、東京文理科大学(後の東京教育大学・筑波大学)と並んで教育系大学の名門であった。ここの建物も被爆に耐えて現存している(写真32写真33)。ただ、大学キャンパスの移転後、使い途が決まっていないようで文字通りの廃墟と化している。被爆当時、この建物の一部は接収されて中国総監府が置かれていた。前にも触れたように、中国総監は本土決戦において東京との連絡が絶たれた場合に独自の指揮命令権を持つとされた。総監となった大塚惟精は内務省警保局長を務めたエリート官僚である。大田洋子『屍の街』には、インテリ肌の人ということで彼の赴任を好意的に受け止めている記述があった(大田の父も役人だったので伝え聞いたらしい)。大塚総監は自宅で被爆、家族を逃がした後に彼一人亡くなった。

 さらに東へ歩く。土地勘がないと徒歩は不安だが、地図をたよりに何とか比治山へたどり着いた。さらに坂道や階段を登る。木々の隙間から照射される午後の陽射しが肌に熱い。足取りは重く、滴る汗が目に入ってしみる。頂上に出ると公園があり、ジャングルジムで若い夫婦が小さな子供を遊ばせていた。ペットボトルのスポーツドリンクを飲み干して一息つく。

 比治山は桜の名所として広島では知られている。陸軍墓地があるのだが(写真34)、その一角をつぶす形でアメリカ占領軍により原爆障害調査委員会、略称ABCC(Atomic Bomb Casualty Commission)の施設が建てられた(写真35)。これは要するに、原爆の兵器としての効果を測定することが目的で、集められた被爆者たちの診察はするが治療はしてくれず、怨嗟の的となっていた。現在は日米共同研究機関 放射線影響研究所となっている。

 近くの展望台では、猫がいかにもだるそうにベンチの下で転がっていた(写真36)。比治山を降りる途中に、頼山陽(1780~1832)没後100年を記念して建てられた山陽文徳殿という建物がある(写真37写真38)。辺りは草ぼうぼうで打ち捨てられた感じ。屋根上の九輪の塔が少しねじれているが、これは原爆の爆風によるという。ここの麓にある多聞院という寺院には、被爆当日、県や総監府の生き残った幹部が集まり、一晩だけ臨時県庁の役割を果たした。

 比治山下という停留所で市電に乗り、宇品へと向かう。寝不足だったのでついウトウトしてしまい、気付いたらいつの間にか終点の広島港まで来ていた。市電を降り、海岸と並行している道路を歩く。マンションなども建っているが、船荷積み下ろし用の倉庫や空き地が広がる、殺風景な通りだ。やけにぼろくて風情のある建物があった(写真48)。一応、広島港湾局所属になっている。堤防に出て海を見る(写真39写真40)。

 地図に書き込んだメモを頼りに、宇品波止場公園に行った。宇品には陸軍船舶司令部、通称“暁部隊”があった。基本的に兵站を担当する部隊で、宇品近辺には軍需物資の生産工場も多かった。広島駅からここまで軍事目的の鉄道が引かれており、日清戦争以来、多くの兵士を運んできた。その後、国鉄宇品線となり1986年に廃線。宇品駅のポイントが残っている(写真41写真42)。宇品線に揺られてきた陸軍の兵士はここから船に乗り込む。出征する者、そして幸いにして復員できた者はこの六管桟橋をその都度踏みしめることになった(写真43写真44写真47)。歌人の近藤芳美による記念碑がある(写真45)。桟橋そのものは現在使われていないが、すぐ近くに海上保安庁の艦船が停泊している(写真46)。

 再び市電に乗り込み、広島の中心街へ戻った。予約しておいた宿舎で着替えてから繁華街へ出る。旅先ではその土地の名物を必ず食べろという恩師の教えを忠実に守り、B屋で広島つけ麺(写真49)を、G屋で広島焼き(写真50)とはしごした。ノドがからからだったのでビールをがぶ飲みして寝た。

(続く)

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