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2007年8月 1日 (水)

岡潔という人

 藤原正彦『国家の品格』(新潮新書、2005年)は異例のベストセラーとなったが、文化論としてはあちこち粗が目立ち、あまり良い本とは思っていない。ただ、論理的思考の基礎は情緒にある、そして情緒は歴史や風土の中で育まれるという藤原の年来の主張は傾聴に値する。

 この藤原のアイデアにはタネ本がある。岡潔(1901~1978年)である。藤原と同様に数学者で文化勲章も受章している。研究テーマは「多変数解析函数論」ということだが、何のことやらさっぱり分からない。ドストエフスキーの愛読者。若い頃、「計算も論理もない数学をやりたい」と言って周囲から怪訝に思われたそうだ。

 岡は随筆でよく知られた。『春宵十話』(光文社文庫、2006年)では、数学もまた自らの情緒を外に表現する一つの形式だとした上でこう記している。「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと言って来た」。なかなか良い感じ。

 私が岡潔の名前を初めて意識するようになったきっかけは、昨年、日本経済新聞に掲載された辻原登のエッセー「四人の幻視者(ボワイヤン)」(2006年1月22日)。そこでは、「ロシア・ソビエトSFの父」ツィオルコフスキー、独特な日本語学者・三上章、戦争末期にボルネオのジャングルで姿を消した文化人類学者・鹿野忠雄と共に、岡潔について触れていた。岡のめぐらした不思議な日本民族論を辻原はこうまとめている。

われわれ日本民族は三十万年ほど前に他の星から地球にやってきて、マライ諸島あたりに落下した。一万年くらい前に黄河の上流にいた。それから南下して、八千年くらい前にペルシャ湾からマライ諸島を回っていまの日本諸島にたどり着いた。ところが、われわれはそのことを忘れている。他の星の住人だったことも忘れている。しかし、忘れているということを知っている。知っているがどうしても思い出せない。この狂おしいばかりのなつかしさ。

 岡の原文で読みたければ、『春宵十話』所収の「ある想像」や『日本の国という水槽の水の入れ替え方』(成甲書房、2004年)所収の「日本民族の心」を参照のこと。

 なお、岡は熱烈なナショナリストでもあった。日本民族滅亡の危機を憂え、時折猛り狂って極論へと暴走してしまう。日本民族起源論のファンタスティックなイメージも含めて岡は大真面目なのだが、そこがかえって無邪気でかわいらしい。しかし、前掲した『日本の国という水槽~』の編集方針は“憂国の随筆集”。岡の猪突猛進を真に受けてしまうと何だか妙な違和感がある。

 岡と小林秀雄との対談が「人間の建設」というタイトルでまとめられている(『小林秀雄全集第十三巻』新潮社、2001年)。奔放に飛躍しかねない岡から、小林はバランスよくたくみに言葉を引き出しており、読みやすい。小林は、岡の話は理論ではなくビジョンとして非常に面白い、と評している。まさに岡は言語で表現しがたいレベルの問題をイメージで語ろうとしており、誤解されかねない危うさそのものもひっくるめて興味深い。

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