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2007年8月15日 (水)

中島岳志『パール判事』

 昨晩、NHKスペシャル「パール判事は何を問い掛けたか──東京裁判 知られざる攻防」を見た。東京裁判は必ずしも初めに結論ありきで行なわれたわけではなく、判事の間でも激しい論争があって判決も流動的であり得た様子を描き出しており、興味深かった。ディレクターの高木徹は『戦争広告代理店』(講談社文庫、2005年)『大仏破壊』(文春文庫、2007年)といった素晴らしいノンフィクション作品で記憶している。

 この番組のキーパーソンの一人、オランダ出身のレーリンク判事のことが気にかかった。確か、『レーリンク判事の東京裁判』(小菅信子訳、新曜社、1996年)が本棚にあったはずだと探したのだが、東京裁判関連の文献はまとめて実家に預けっぱなしのようで見つからない。

 レーリンクは飛行機上から広島の廃墟を目撃し、あまりのことに心を動かされたという。日本に同情したということではなく、勝者の裁きの不毛を実感し、その点でインド出身のパール判事の意見に共鳴した。判決に際しては多数派意見とは別に少数意見を提出、“人道に対する罪”“平和に対する罪”は事後法として否定、ただし通例の戦争犯罪としての残虐行為は重く見て軍人9名に死刑を求めた。多数派意見で死刑とされた中で唯一の文官であった広田弘毅については無罪としている。

 先日買い求めたばかりの中島岳志『パール判事──東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社、2007年)を通読した。本書は、田中正明『パール判事の日本無罪論』(小学館文庫、2001年)や映画「プライド」(伊藤俊也監督、1998年)をはじめ、日本に都合よく強引に解釈されてきたパールの論理を読み直そうと意図している。

 パール判事による東京裁判批判の第一点は、「法によらない正義」をあたかも「法による正義」であるかのように押し付ける偽善へ向けられている。罪刑法定主義に照らすと、国際法に依拠しない“人道に対する罪”“平和に対する罪”を以て被告の責任を問うことはできない。政治的意図で法をまげるのは単なる報復であり、下手すると戦争に勝ちさえすればやりたい放題ということになりかねず、将来の戦争防止につながらない。また、日本は無条件降伏したとはいえ、国家主権を全面的に委譲することはあり得ない。従って、占領統治にもおのずと一定の制限があるはずで、事後法で裁いてよいという理屈にはならない。パリ不戦条約では自衛権の判断が曖昧で国際法として機能しておらず、現時点で戦争そのものを違法として裁くべき根拠はどこにもない。

 張作霖爆殺をはじめとした一連の軍事行動、とりわけ南京事件やバターン死の行進など個々の事件に関しては通例の戦争犯罪としての事件性を認定している。ただし、被告の責任を問うには証拠不十分であり、すべてを“共同謀議”として結び付けてしまうのは強引に過ぎるとしている。

 ここで注意すべきなのは、パール意見のポイントは、道義的な戦争責任と法的な戦争犯罪とを別個の次元で捉えていることだ。裏返せば、日本の道義的責任を免罪しているわけではない。

 同時にパールが問うているのは、その道義的責任というのは日本だけに限られるものなのかという点だ。日本は確かに侵略戦争を行なった。しかし、たとえば満州国を保護国としたやりくちなどを見ても、他ならぬ西欧諸国の真似である。しかし、これまで世界各地で植民地戦争をふっかけてきた西欧諸国の行為は国際法上の犯罪とはみなされていない。日本の帝国主義を断罪する一方で、自らの植民地を手放そうとはしない、それどころか新たな植民地戦争を行ないつつある(当時、日本敗北後の空白を埋めるようにフランス軍がインドシナ半島へ、オランダ軍がインドネシアへ戻り、独立運動を軍事制圧しようとしていた)。このように、西欧帝国主義の欺瞞に対する非難が込められている点が第二の特徴としてあげられる。

 第三に、国際法遵守を促すための国際機構として世界連邦という理想に触れていることは判決意見書としては異例である。

 パールの思想の根幹にはガンディーの非暴力主義、“真理の把握”がある。パールは戦後、4度にわたって訪日しているが、そのたびに日本がアメリカに依存し、アメリカの言うがままに再軍備へと舵をきろうとしていることに対して警告を発していた。「悪を制するに悪を以てする」発想で戦争という“悪”にコミットすることへのラディカルな批判である。

 また、広島に行った時のこと。原爆慰霊碑の銘文「安らかに眠ってください 過ちは 繰返しませぬから」を見てパールは激昂したという。「まつられているのは原爆の被害者であり、原爆を落としたのは日本人ではない。落としたものの手はまだ清められていない。…過ちを繰返さないということは将来武器を取らないことを意味するなら非常に立派な決意だ。日本がもし再軍備を願うなら、これは犠牲者の霊を冒涜するものである。」著者はこれを、原爆の責任の所在を曖昧にし、アメリカの顔色をうかがう日本人への苛立ちと解している。

 なお、アメリカを一つの象徴に見立てた物質文明批判という点では、パールと同様に、日本でも大川周明が早くからガンディーの思想に注目していたことが思い出される(たとえば、大川周明『復興亜細亜の諸問題』(中公文庫、1993年)を参照)。本書の著者も示唆しているが、パールと大川との比較論というのも興味深いテーマだ。

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受信: 2007年9月 9日 (日) 20時53分

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