森達也『悪役レスラーは笑う──「卑劣なジャップ」グレート東郷』
森達也『悪役レスラーは笑う──「卑劣なジャップ」グレート東郷』(岩波新書、2005年)
もう40年ほど昔のこと、テレビが娯楽の主役となりつつある頃、プロレスは人気番組の一つとしてかなりの視聴率をかせいでいた。そうした中、プロレス中継を見ていた老人が相次いでショック死したと報じられた。ブラウン管には、外人レスラーに噛み付かれて額から血を噴出させながらニタニタと不気味に笑うグレート東郷の姿が映っていた。
私はプロレスには全く興味がない。だから、グレート東郷という名を見るのは初めてだったが、今では一般的にも知名度はゼロに近いようだ。日系二世、第二次世界大戦の余韻がまだおさまらぬアメリカのプロレス界で悪役を張り、しこたま稼いだらしい。なぜか、力道山と仲が良かったという。
力道山が北朝鮮出身ということはもはやタブーとはされていない。在日の彼が繰り出す空手チョップが外人レスラーたちをバッサバッサと薙ぎ倒す姿に拍手喝采し、敗戦のトラウマを解消しようとした日本人観客の熱狂。現在の後知恵だから言えることではあるが、そこには奇妙なねじれが見られる。日本人にとっても、そして力道山自身にとっても。
同様のねじれがグレート東郷にもあった。著者は、もはや数少ないかつての関係者や事情通のもとを訪ね歩きながら東郷の人物像に迫ろうとするのだが、「彼は日系ではない、中国系だ」「そんな話聞いたことないな、彼は韓国系だよ」と異なる情報が錯綜し、混乱してしまう。結局、結論は出ない。だが、出自を東郷がひた隠しにしたこと、敢えて“卑劣なジャップ”として悪役に徹したことも含め、なかなか剥がせない仮面の内側に潜んでいたであろう何かを予想させ、それだけ人間的な生々しさを感じさせる。
プロレスという、ある種のいかがわしさを売り物とする娯楽の裏に秘められたナショナリティーの葛藤に光を当てたところに本書の面白さがある。ただ、やたらと政治批判に結び付けようとする筆運びには少々白けてしまう。森達也の着眼点には本当に感心しているだけにもったいない。
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