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2007年7月16日 (月)

満鉄調査部について

 草柳大蔵『実録 満鉄調査部』(朝日文庫、1983年)は、当時の政治情勢の動向に絡ませながら、南満州鉄道株式会社設立以来の調査部の軌跡を、人物群像を軸に描き出す。満鉄調査部出身で戦後は九州大学教授となった具島兼三郎が自身の環境の変化について述べた「近代的な大工場から家内工業の工場に放り込まれたような感じ」という感想が紹介されている。この言葉に表れているように、日本の歴史でこれほどスケールの大きなシンクタンクは後にも先にも珍しい。

 満鉄調査部はもともと初代満鉄総裁・後藤新平の発案になるが、実際には第二代総裁・中村是公の時、大連本社に調査部、東京支社に東亜経済調査局として発足した。その後、何回かの改組を経て名称も変わっているが、取りあえずまとめて満鉄調査部と呼ぶ。

 満鉄調査部の特徴をまとめると、第一に自由主義。とにかく自由闊達な社風で、上司・部下の関係もゆるやかだった。社員の顔触れを見ても、たとえば東亜経済調査局には大川周明、笠木良明、綾川武治といった国家主義運動に連なる人々がいた一方で、嘉治隆一、伊藤武雄、波多野鼎、佐野学など東大新人会出身でマルクス主義の洗礼を受けた人々も入社した。大連本社の方にも、堀江邑一、石堂清倫、細川嘉六、伊藤律、尾崎秀実といった名前が散見される。中には、満鉄マンから脱サラして歌手となった東海林太郎のような変り種もいた。こうした雑多な人々が集まっても、議論こそ盛んだったが、イデオロギー上の派閥抗争はなかった。

 図書館の充実度は当時としては相当なものだった。内地では治安維持法でひっかかるマルクス・レーニン主義の文献も多数所蔵されており、自由に読むことができたという。また、イスラム研究の世界的碩学・井筒俊彦は、大川周明の集めたアラビア語文献を好きなように使わせてくれたので研究の基礎固めができたと語っている(井筒俊彦・司馬遼太郎「二十世紀末の闇と光」、司馬遼太郎『十六の話』(中公文庫、1997年)所収)。なお、大川自身も『回教概論』を著しており、邦語としては初めての体系的なイスラム研究として評価が高い(たとえば、山内昌之「イスラムの本質を衝く大川周明」『AERA Mook 国際関係学がわかる』朝日新聞社、1994年。鈴木規夫『日本人にとってイスラームとは何か』ちくま新書、1998年)。

 満鉄調査部の第二の特徴は、フィールドワーク重視。とにかく「事実に聞く」のが基本で、実証的な研究が求められた。新入社員は初めの二年間は徹底的な資料の読み込みが必須とされたが、それから現地調査に出かける。テーマは各自で決める。怠ける奴はそれだけ自分にはねかえってくる、と放っておいたらしい。戦局がおしつまってくるとそうもいかなくなったようだが、こうしたあたりにも満鉄調査部のリベラルな雰囲気がうかがえる。

 すでに触れたように、満鉄調査部にはマルクス主義の前歴者も多数入社している。彼らの研究能力は高いため、実力本位に立って前歴にはこだわらず採用していた。彼らは『資本論』の読書会を開いたりもしており、こうした気運を小林英夫は“満鉄マルクス主義”と呼んでいる(小林英夫『満鉄調査部──「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊』平凡社新書、2005年)。

 フィールドワークに基づく具体的な数字と、史的唯物論による合理的な分析は大きな成果をあげた。たとえば、「支那抗戦力調査」は中国経済の基本構造や社会関係を明らかにした上で、軍事力で中国全土を制圧するのは難しく、政治的な解決を図るしかないと結論付け、政府や軍部にも大きな波紋を投げかけた(なお、満鉄調査部員の中にはソ連や中国の共産党と関係を持つ者もいて、そうした情報ネットワークもこの研究には駆使されたらしい)。

 数字に基づく分析なので反論は難しい。このレポートを踏まえて大陸政策の転換を促す動きもあったが、その一方で、たとえば辻政信のように観念論先行の軍人たちは面白くない。憲兵隊が動き出し、1942年、満鉄調査部員43名が一斉検挙された。いわゆる満鉄調査部事件である。日本の敗戦による満鉄の解散に3年先立って、調査部は事実上消滅した。前年の1941年には東京でも企画院調査官の稲葉秀三、和田博雄、勝間田清一らが“アカ”の容疑で逮捕された、いわゆる企画院事件が起こっている。いずれにせよ、観念論先行の国策決定に対してブレーキをかけるべき合理的な調査活動が封殺されてしまったことは一つの悲劇としか言いようがない。

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