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2007年7月 2日 (月)

滝沢誠『権藤成卿』

滝沢誠『権藤成卿』(ぺりかん社、1996年)

 学生の頃、権藤成卿『自治民範』を手に取ったことがある。制度学という、漢学的語彙を以て展開される異様に晦渋な文体を前にして私は両手を挙げて降参するしかなかった。戦後になって刊行された『権藤成卿著作集』の第一巻であったが、版元は黒色戦線社。アナキストの出版社として知られている。オーソドックスな政治思想史のテキストでは“農本ファシスト”と分類される権藤の著作にアナキストが関心を持っていたということが私の目を引いた。

 右翼と左翼が行動的ラディカリズムにおいて紙一重ということは多少なりとも政治学になじんだ人ならば常識であろう。右翼/左翼という二分法は指標として便利ではある。ただ、政治思想の内在的な質、言い換えると個々の人物の感性に奥深く根ざした何ものかの発露として思想を把握しようとする場合、こうした形式的二分法は往々にして見る者の目をくもらせてしまう。“分類”の発想にはその社会における定型的な見方が反映している。そうした定型を崩しながら、思想家たちのそれぞれに個性的で複雑な機微に分け入っていくことは、それ自体がスリリングな作業であるばかりでなく、読み解こうとするこちら側の感受性が核心的なところから試されるという緊張感に身が引き締まる。

 国家観というのは、突き詰めると人間観に行き着く。たとえばホッブズは、“個人”として析出された人間が様々な契機を以て争い合う可能性に留意して、いわば“性悪説”的な人間観から国家を弁証し、近代的な政治学の始祖とされた。『リヴァイアサン』では、そうした人間の性質を事細かに箇条書きした目録がページの多くを占めている。人間が自分勝手にルールを乱すことを織り込んだ上で政策対応を組み立てるのが社会科学的思考方法の第一の特徴と言っても過言ではあるまい。

 ただし、人間観というのは各自の人生体験に応じて滲み出てくるもので、正解はない。人間というのは本来助け合うものだ、ただ様々な社会的矛盾がそうした人間の本性を不自然に引き裂いてしまったのだ、という考え方もあり得る。この点で、権藤や、あるいはトルストイアンから始まって権藤と同様に農村自治論へと進んだ橘孝三郎たち農本主義者とアナキストとは相通ずる思想的基盤を持っていた。権藤は黒龍会系の右翼人脈に属する一方で、大杉栄とも親しくしていた(なお、関東大震災後、甘粕による大杉殺害を内田良平が称賛したため、権藤はそれまで付き合っていた内田と絶交したという)。また、農本思想に共鳴する人々が集まって結成された日本村治派同盟に、権藤や橘らと共に白樺派の武者小路実篤の名前が見えるのも決して奇異なことではない。

 権藤の思想のキーワードは“社稷”。一人ひとりの素直な思い遣りの気持ちが歴史的に積み重なって生成した自治的な地域共同体を指す。ところが、明治政府の中央集権化、資本主義による経済システムの拡大という政治・経済の両面において露わとなった権力という暴力によって、農村に残っていた社稷の慣習が崩されつつある。そうした危機意識が国家革新運動へのモチベーションとなった。明治政府への反感には、玄洋社以来、自由民権運動に源流を持つ黒龍会の雰囲気をうかがわせる。

 一言で“右翼”とくくられてしまう思想の中でも、権力を以て体制をまとめ上げようとする国家主義と、逆に権力の行使は民族の情緒的一体感を崩してしまうとして反権力主義を取る流れと、両方が混じりあっている点には留意する必要がある。

 権藤は『南淵書』なる古典を持ち出してくる。南淵請安が中大兄皇子や中臣鎌足に説いた政治の本義が示されているらしいが、蘇我氏の専横によって崩れかけた社稷を回復した大化の改新に権藤は一つのモデルを見出す。蘇我入鹿暗殺は、“君側の奸を討つ”という昭和維新クーデターを正当化するアナロジーとして働いた。現状変革を正当化する権威を歴史に求めるのは中国の古典に特徴的な論法である。『論語』にも「述べて作らず。信じて古を好む」という言葉がある。権藤と同時代、清朝の光緒帝を動かして変法自強運動を進めた康有為の公羊学もやはり同じ論法を取っている。

 権藤の思想の特徴として、もう一つアジア主義が指摘できる。若い頃、黒龍会の内田良平や武田範之、杉山茂丸、一進会の李容九、宋秉畯らと共に日韓合邦運動に加わっていた。一進会には“鳳の国”なるプランがあったらしい。朝鮮半島を軸に東は沿海州、西は万里の長城の北側へと両翼をのばす形が鳳に似ているのでこう呼ばれたそうだが、この領域をかつての“大高麗国”の版図であったとみなし、朝鮮人の入植活動を進めようという構想である。これが日韓合邦運動と連動していたというのは本書で初めて知った。

 なお、一進会については、日本側がでっち上げたダミー団体であったという説と、朝鮮側の自発的な動きで結成されたという説との両方が錯綜しているが、後者を取るのが正しそうだ。対等合併を目指していたにも拘わらず、結果として日本側に騙される形になり、運動を進めた人々も裏切り者とされてしまったのは何とも言えずさびしい。ただ、欧米に対抗しようという目的があったにせよ、自分の国を他国と一緒にしてしまおうという動きの内在的なロジックが私にはどうにも得心がいかず、戸惑っている。

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コメント

権藤成卿のことについて読ませていただきました。ありがとうございました。ご指摘のように、社稷が危機に瀕する中で、左と右の対立が急速に薄れ、それ以上に連携する動きがみられるようになったと感じています。

投稿: Orwell | 2007年7月14日 (土) 15時24分

コメントをありがとうございました。つたないまとめ方で恐縮です。権藤の表現では社稷となりますが、共同体的なつながりが崩れつつあるのは現在進行形の出来事で、そうした観点で権藤を読み直してみると面白そうに感じています。なかなか原典を手にとるわけにはいかないのが難しいところですが…。

投稿: トゥルバドゥール | 2007年7月16日 (月) 23時34分

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