佐野眞一『カリスマ──中内功とダイエーの「戦後」』
佐野眞一『カリスマ──中内功とダイエーの「戦後」』(新潮文庫、2001年)
※功=「工+刀」
ちょっと必要があって、中内功『わが安売り哲学』(日本経済新聞社、1969年)なる本にざっと目を通したことがある。もう40年近く前、彼がダイエーを立ち上げてから10年あまり、東京進出をねらっていた時期に刊行された本だ。そこでは、供給側の事情で定価を決めて売りつけるやり方は軍国主義の時代の統制経済と全く変わらないと主張。消費者の声をじかに聞いている小売業・流通業のイニシアチブで価格決定権を奪回し、大手メーカー主導の経済慣行に対して革命を起こしてやると鼻息が荒い。
面白いことに、中内はしばしば毛沢東を引用する。農村から都市へと攻め込む中国共産党の革命路線に、“消費者の反乱”をあおり立て東京へいざ攻め込まんとする中内自身の姿をなぞらえているかのようだ。論旨明解で熱気のある文章だった。あまり気乗りせずにページをめくり始めたのだが意外と読ませる。実はこの本、「戦後日本思想大系」第八巻『経済の思想』(伊東光晴・長幸男編、筑摩書房、1971年)にも抄録されている。
あくなき拡大路線を無謀にも突き進み、自転車操業的な借金体質がついにはダイエーを破綻させたことは周知の通りである。経営トップの座にいつまでもしがみつこうと老醜をさらした晩年もまた毛沢東を連想させる。
マネジメントのノウハウを中内から汲み取ろうとしても徒労に終わるだけだろう。だが、戦後日本のある側面を体現した人物として、経済界の中では彼ほど興味深い男も少ない。本書『カリスマ』は、戦後史という文脈において中内ダイエーはどのように位置づけられるのかという問題意識をもとに丹念な取材を積み重ねている。
中内の生涯にはいつまでも戦争の影がつきまとう。『わが安売り哲学』はフィリピン戦線で彼の味わった極限的な飢餓体験を吐露してしめくくられていた。無謀な戦争に駆り出されて地獄に投げ込まれた不条理は、“お上”に対する不信感として彼の意識の中に底流する。捕虜となり、アメリカ軍の圧倒的な物量を目の当たりにした彼は「何よりもまず食うことが先決だ」と思い知らされた。その後のダイエーの果てることのない拡大路線は、あたかも中内の絶対に満たされることのない飢餓感というブラックホールに次々と資金を放り込んできたかのようにさえ見えてくる。
南方戦線での人肉食の噂は戦争の酷さを思い知らされる。中内はこう記している。フィリピンで飢餓線上をさまよっていた時、なかなか眠ることができなかった。眠ると仲間に殺されて食われてしまうかもしれないからだ。しかし、体力がもたず、眠ってしまう。目が覚める。俺は生きているし、殺された仲間もいない。ホッとした。生きていくには人間を信じることが何よりも大切だ、と。
逆説的な言い回しがかえって印象に強い。本書『カリスマ』を読んでいると、ダイエーの経営再建に取り組む部下たちを中内が次々と経営中枢から追放するパターンが繰り返されてきたことに驚く。彼らが力をつけると自分の寝首を掻かれると猜疑心を募らせたからだ。
戦場で味わった言い知れぬ不条理。それが徒手空拳で一大流通帝国を築き上げる駆動力として働いた一方で、自滅の心理的背景をもなしていた。戦争の影にいつまでも呪縛され続けた中内の姿には、どこか哀しさすら感じさせる。
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