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2007年7月28日 (土)

正宗白鳥のこと

 私は、生きることが素晴らしいなどとは全く思っていない。たまたまこの世に生まれたから、死ぬときまでやむを得ず生き続けるだけのこと。“夢”や“希望”など抱かない代わりに、“絶望”もない(と言い切れればいいのだが、凡愚の迷妄、いまだ捨て去ること能わず)。たとえば、辻潤や、ちょっと毛色は違うが正宗白鳥といった人たちがそんなスタンスを取っていた。どこか恬淡と枯れた感じがする、しかし決して投げやりではなく鷹揚な余裕すら感じさせる、そうしたタイプのニヒリストに私は引き付けられるようだ。

 何で読んだのか、今すぐには典拠を引けないが、正宗白鳥がこう記していたのを覚えている。「私は本当につまらない人間である。しかし、つまらないなりに、一つだけ消極的ながら良いことをしたと思うことがある。それは子孫を残さなかったことだ」。素直な人だと思った。

 正宗白鳥の小説は正直言って面白いとは思わない。そもそも白鳥自身がつまらないと言っているのだが、自然主義文学全盛の頃は売れっ子だったらしい(白鳥自身は“自然主義”と括られてしまうのをイヤがっていたが)。私は彼の作品よりも、人となりの方に興味がある。

 『小林秀雄対話集』(講談社文芸文庫、2005年)に小林と白鳥との対談「大作家論」が収録されているほか、河上徹太郎との対談「白鳥の精神」でも白鳥についての思い出話をしている。読んでみると、あの小林秀雄が白鳥に軽々と手玉に取られている感じで、思わず笑ってしまった。相手の言葉をさらりと受け流してしまう白鳥のシニシズムの前では、小林が青くさく見えてしまう。本当にくえない爺さんだ。しかし、決して嫌味ではない。別に茶化しているわけではなく、白鳥なりに真面目に答えているだけなのだから。小林も白鳥のことは心から尊敬していた。

 『小林秀雄全作品 別巻2』(新潮社、2005年)に「正宗白鳥の作について」という小林秀雄の絶筆が収められている。この巻は、小林自身が失敗作だから出版してはいけないと言い残していたベルグソン論「感想」との二本立て。「正宗白鳥の作について」も、これが小林の文章かと疑いたくなるくらいに精彩を欠き、そればかりか話題の前ふりで終わって肝心の白鳥その人についてはまともに論じられないまま。体力がすっかり衰えた死の床で筆を取っていたのだろう。正宗白鳥という人は正面きって論じようにもなかなか正体をつかみづらい。しかし、死ぬ前にきちんと書き残しておきたい、そうした執念を抱かせるほど小林にとって気にかかる存在だったようだ。

 白鳥の感覚を簡単にまとめると「フン、人生なんてつまらんさ」となってしまう。しかし、こんな一言では収まりきれないだけの奥深い襞がこの爺さんにはあった。そうした微妙な感性を描き出すのは難しい。伝記研究やテクスト解釈でアプローチしてもつまらなくなってしまうだけ、自身の感性から内面的にコミットできる文学者でなければまず無理だろう。小林秀雄の手にすらあまったこの爺さん、うまく料理できる人が現われたら是非とも読んでみたい。

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