« 角田房子『甘粕大尉』、他 | トップページ | 斐昭『となりの神さま』 »

2007年7月 5日 (木)

佐藤優『地球を斬る』

佐藤優『地球を斬る』(角川学芸出版、2007年)

 私自身も含めて一般読者の多くにとって外交問題、インテリジェンスの問題は直接には関係してこない。国際情勢の裏事情を知ったところでやじ馬的興味に終わるだけ。しかし、自分が普段なじんでいるのとは様相の全く異なる言説空間の中で頭を動かしてみるのは貴重な思考訓練となる。

 相手があって初めて外交という営みが必要とされる。本書は『フジサンケイビジネスアイ』紙で2006年に連載された時事コラムに現時点での検証と解説キーワードを付して構成されている。具体的な国際問題を取り上げながら、相手から様々な形で出されてくるシグナルの気付き方、そして相手の内在的ロジックの読み取り方を、いわば練習問題をこなすように分析してくれる。個々の分析の正否はたいした問題ではない。著者がどんな場合にどんなロジックを武器として活用しているのかを追体験すること自体が知的ゲームとして刺激的だ。

 相手を理解不能な狂信者と決めつけて思考停止に陥ってしまうようでは、その時点ですべてが終ってしまう。理解可能なカギを見つけ出し、それをきっかけに相手の内在的論理をたぐりだしていく必要がある。北朝鮮については、敗戦直前の日本国民の精神状況を思い起こせば想像的理解は困難ではない。イスラム世界での自爆テロリストを経済合理性で分析するところなど面白い。

 相手の内在的論理を個別に把握した上で、それが国際情勢の大きな枠組みの中でどのように位置づけられるのか。視点を柔軟に移動させ、複層的な理解を組み立てながら、より認識の精度を高めていく。著者によると、こうした認識方法はヘーゲルから学んだそうだ。

 どんな仕事でもそうだが、人は所与の条件の中でもがくしかない。そこに文句をつけたところで無意味だろう。相手の内在的論理を捉えるには、結果として出てきた言動は自分の理解を超えているかもしれないが、自分に与えられたのとは異なる条件の中で相手も相手なりの筋を通そうとしている、そうした想像力を凝らした敬意が不可欠となる。このように緊張感のはらんだ無言のダイアローグは翻って、それでは自分は自分に与えられた条件の中で自分なりの筋を通しているのかという謙虚な自己反省にもはねかえってくる。これは人生論としてばかりでなく、政治的に言うならナショナリズムの多元性を保証する倫理に直結する。こうした意味での倫理が著者の佐藤優という人物のめぐらす思考の根底に一貫しており、そこに私は魅力を感じている。

|

« 角田房子『甘粕大尉』、他 | トップページ | 斐昭『となりの神さま』 »

政治」カテゴリの記事

コメント

私も毎週木に更新されるサンケイビジネスアイの佐藤優氏の連載を楽しみに読んでいます。
 その時々の外交事象を、インテリジェンスの知識を駆使して、相手側の内在的論理を読み解く手法には毎回うなるものがあります。
 外交の世界はリスクヘッジを原理とし、つまり、何事もなく過ぎていくことがインテリジェンスの目的だと思います。だから、その時々に世界各国の情勢のなかで、ぽろっとこぼれ落ちて私たちに触れてしまう事件はいわばインテリジェンスの失敗。それをインテリジェンスの手法によって説明する佐藤氏の解説によって、見えざるリスクの存在が明らかになります。興味深いです。

投稿: ミキ | 2007年7月 6日 (金) 17時57分

フジサンケイビジネスアイ本紙を読んだことは一度もなかったのですが、ホームページで読めるんですね。初めて知りました。私は新聞の国際面はいつも目を通しているのですが、一見つながりの見えない個々の出来事にも脈絡をつけて読み込んでいく佐藤優の読み方はとても勉強になりますね。

投稿: トゥルバドゥール | 2007年7月 9日 (月) 10時21分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 佐藤優『地球を斬る』:

« 角田房子『甘粕大尉』、他 | トップページ | 斐昭『となりの神さま』 »