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2007年7月

2007年7月28日 (土)

正宗白鳥のこと

 私は、生きることが素晴らしいなどとは全く思っていない。たまたまこの世に生まれたから、死ぬときまでやむを得ず生き続けるだけのこと。“夢”や“希望”など抱かない代わりに、“絶望”もない(と言い切れればいいのだが、凡愚の迷妄、いまだ捨て去ること能わず)。たとえば、辻潤や、ちょっと毛色は違うが正宗白鳥といった人たちがそんなスタンスを取っていた。どこか恬淡と枯れた感じがする、しかし決して投げやりではなく鷹揚な余裕すら感じさせる、そうしたタイプのニヒリストに私は引き付けられるようだ。

 何で読んだのか、今すぐには典拠を引けないが、正宗白鳥がこう記していたのを覚えている。「私は本当につまらない人間である。しかし、つまらないなりに、一つだけ消極的ながら良いことをしたと思うことがある。それは子孫を残さなかったことだ」。素直な人だと思った。

 正宗白鳥の小説は正直言って面白いとは思わない。そもそも白鳥自身がつまらないと言っているのだが、自然主義文学全盛の頃は売れっ子だったらしい(白鳥自身は“自然主義”と括られてしまうのをイヤがっていたが)。私は彼の作品よりも、人となりの方に興味がある。

 『小林秀雄対話集』(講談社文芸文庫、2005年)に小林と白鳥との対談「大作家論」が収録されているほか、河上徹太郎との対談「白鳥の精神」でも白鳥についての思い出話をしている。読んでみると、あの小林秀雄が白鳥に軽々と手玉に取られている感じで、思わず笑ってしまった。相手の言葉をさらりと受け流してしまう白鳥のシニシズムの前では、小林が青くさく見えてしまう。本当にくえない爺さんだ。しかし、決して嫌味ではない。別に茶化しているわけではなく、白鳥なりに真面目に答えているだけなのだから。小林も白鳥のことは心から尊敬していた。

 『小林秀雄全作品 別巻2』(新潮社、2005年)に「正宗白鳥の作について」という小林秀雄の絶筆が収められている。この巻は、小林自身が失敗作だから出版してはいけないと言い残していたベルグソン論「感想」との二本立て。「正宗白鳥の作について」も、これが小林の文章かと疑いたくなるくらいに精彩を欠き、そればかりか話題の前ふりで終わって肝心の白鳥その人についてはまともに論じられないまま。体力がすっかり衰えた死の床で筆を取っていたのだろう。正宗白鳥という人は正面きって論じようにもなかなか正体をつかみづらい。しかし、死ぬ前にきちんと書き残しておきたい、そうした執念を抱かせるほど小林にとって気にかかる存在だったようだ。

 白鳥の感覚を簡単にまとめると「フン、人生なんてつまらんさ」となってしまう。しかし、こんな一言では収まりきれないだけの奥深い襞がこの爺さんにはあった。そうした微妙な感性を描き出すのは難しい。伝記研究やテクスト解釈でアプローチしてもつまらなくなってしまうだけ、自身の感性から内面的にコミットできる文学者でなければまず無理だろう。小林秀雄の手にすらあまったこの爺さん、うまく料理できる人が現われたら是非とも読んでみたい。

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2007年7月27日 (金)

選挙について適当に

 私は国政選挙の開票特別番組が大好きで、投票日当日は真夜中までテレビにかじりついてチャンネルをカチャカチャ変えている。それこそ、選挙権のない中学生のときからだ。夕方を過ぎる頃にはジュースやお菓子を、今はビールとおつまみをそろえてスタンバイ。野党が得票をのばすと手を打って面白がる。別に自民党が嫌いなわけではない。それどころか、色々と問題があっても自民党が一番まともな政党だとすら思っているのだが、票を投じたことは一度もない。天邪鬼なもんで。

 選挙は大好きでも、投票を通じた民意の反映などという原則論を素朴には信じていない。投票のたびに思い出すのはルソー『社会契約論』にあるこんな言葉。「イギリス人は選挙キャンペーン中は自由である。しかし、選挙が終わった途端にすべては奴隷となる」。ルソーの口ぶりは非難がましい。だが、議会制民主主義とはそもそも社会体制の革命を防止するために設計されている。人々の不満をガス抜きするためのアブソーバーに過ぎない。そして、それはそれで悪いこととは私は思っていない。

 “政治”の定義は色々とあるが、一つの要素として支配・被支配の関係が挙げられる。明示的にせよ、黙示的にせよ、複数の人間が集まれば必ずこの関係が現われるが、力ずくで行なわれれば専制と呼ばれ、当事者の同意があればリーダーシップと呼ばれる。選挙とは、“民主主義”という名目の下、この支配関係に正当性を与える手続的なセレモニーである。

 二十世紀初頭の社会学者ロベルト・ミヘルスは“寡頭制の鉄則”を指摘した。彼はドイツ社会民主党の分析を通して、“民主的”といわれる政党であればあるほど、むしろ党幹部の専制的指導力が強くなるという逆説を剔抉し、政治学史に独特な位置を占めている(ミヘルス(南・樋口訳)『現代民主主義における政党の社会学』木鐸社、1990年)。

 民主主義とは、一面において個人主義とイコールである。封建時代の桎梏を脱し、自由の空気を味わいつつある近代人にとって、自分以外の誰かに支配されるということは、たとえ実害がなかったとしても、そのこと自体がプライドを傷つける。だが、政治は、一定の支配関係を形成することで秩序を守らなければならない。この矛盾をどのように考えるか?

 二十世紀における法哲学・憲法学の泰斗ハンス・ケルゼンは、投票による代表制を通じて“民意”という抽象的な権威を形成し、具体的な誰かに支配されているわけではないと有権者が納得する、そうした一連のフィクショナルな手続きとして議会制民主主義を擁護する(ケルゼン(西島訳)『デモクラシーの本質と価値』岩波文庫、1966年)。

 フィクションというのは非常に大切だ。我々は自由である、かのように思う。民意は政治に反映される、かのように思う。その他もろもろの“かのように”の積み重ねによって辛うじて我々の社会生活は成り立っている。こうした立場を西洋哲学史では新カント主義というらしいが、詳しいことは知らない。ハンス・ファイヒンガー〟Die Philosophie des Als Ob〝(“かのように”の哲学)の邦訳はないが、このエッセンスを森鴎外が紹介してくれている(森「かのように」、『阿部一族・舞姫』新潮文庫、1968年、所収)。

 日本で普通選挙法が制定されたのは1925年。当時、高畠素之という思想家がいた。マルクス『資本論』を邦語で初めて全訳したことで知られるが、翻訳と同時にマルクスを批判して国家社会主義を提唱。戦後の左翼全盛の歴史学界ではほぼ黙殺に近い扱いを受けた。高畠はその頃、シニカルで辛口の社会時評でも名前を売り出しており、議会制度についても容赦なく本質を衝く。彼はドイツ語が堪能で、ミヘルスやケルゼンもしっかりと読み込んでおり、議会制度とは指導者支配を有権者多数による政治とみせかける擬制であると喝破した上で次のように述べている。

「羊頭狗肉、言い換えれば、羊の皮を着た狼である。国民の自我意識が或る程度まで進むと、こんな手練手管も支配上の必要不可避な条件となって来る。必然の悪だ。」「議会政治、政党政治は、斯くの如き羊頭狗肉の実を示す限りに於いてのみ存在の意義を有つ。」「節制あるデモクラシー国民は、デモクラシーの本分的限界を忘れないから、議会政治を葬る必要をも感じない。デモクラシーをオートクラシーの仮面として利用する国民のみが、議会政治を無難に維持し得るのである。」(高畠「議会政治の正体と将来」、『論・想・談』人文会出版部、1926年、所収)

 自民党が負けようが、民主党が勝とうが、たいした問題ではない。どちらが政権を担当したところで、妥協の積み重ねを通して国民誰もが満足できない、だけど不満をできるだけ軽減する、そうした形で政治は進む。そういうものだ。肝心なのは、選挙を通して政治に関与している、かのようなフィクションにどれだけ国民が馴染んでいるかどうかだ。選挙というフィクションそのものに対する正当性を測るという意味で、選挙結果なんかよりも投票率の方がはるかに重要だと私は思っている。

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2007年7月26日 (木)

森達也『悪役レスラーは笑う──「卑劣なジャップ」グレート東郷』

森達也『悪役レスラーは笑う──「卑劣なジャップ」グレート東郷』(岩波新書、2005年)

 もう40年ほど昔のこと、テレビが娯楽の主役となりつつある頃、プロレスは人気番組の一つとしてかなりの視聴率をかせいでいた。そうした中、プロレス中継を見ていた老人が相次いでショック死したと報じられた。ブラウン管には、外人レスラーに噛み付かれて額から血を噴出させながらニタニタと不気味に笑うグレート東郷の姿が映っていた。

 私はプロレスには全く興味がない。だから、グレート東郷という名を見るのは初めてだったが、今では一般的にも知名度はゼロに近いようだ。日系二世、第二次世界大戦の余韻がまだおさまらぬアメリカのプロレス界で悪役を張り、しこたま稼いだらしい。なぜか、力道山と仲が良かったという。

 力道山が北朝鮮出身ということはもはやタブーとはされていない。在日の彼が繰り出す空手チョップが外人レスラーたちをバッサバッサと薙ぎ倒す姿に拍手喝采し、敗戦のトラウマを解消しようとした日本人観客の熱狂。現在の後知恵だから言えることではあるが、そこには奇妙なねじれが見られる。日本人にとっても、そして力道山自身にとっても。

 同様のねじれがグレート東郷にもあった。著者は、もはや数少ないかつての関係者や事情通のもとを訪ね歩きながら東郷の人物像に迫ろうとするのだが、「彼は日系ではない、中国系だ」「そんな話聞いたことないな、彼は韓国系だよ」と異なる情報が錯綜し、混乱してしまう。結局、結論は出ない。だが、出自を東郷がひた隠しにしたこと、敢えて“卑劣なジャップ”として悪役に徹したことも含め、なかなか剥がせない仮面の内側に潜んでいたであろう何かを予想させ、それだけ人間的な生々しさを感じさせる。

 プロレスという、ある種のいかがわしさを売り物とする娯楽の裏に秘められたナショナリティーの葛藤に光を当てたところに本書の面白さがある。ただ、やたらと政治批判に結び付けようとする筆運びには少々白けてしまう。森達也の着眼点には本当に感心しているだけにもったいない。

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2007年7月25日 (水)

「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」

 「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を観た。監督はCMディレクター出身の吉田大八。渋谷のシネマライズ、日曜日の最終上映回は1,000円均一ということで割合と混んでいた。観客層は若い。

 緑色があざやかに映えた田んぼが広々と続く、のどかな風景。しかし、澄伽(佐藤江梨子)の眼には、ねっとりと足にまとわりつく、振り捨てたくてもなかなか離れない過去の呪縛そのものとしか映らないようだ。両親が事故で死に、葬儀に合わせて澄伽が東京から戻ってくる、そう聞かされた妹の清深(佐津川愛美)の表情はくもり、ぜんそくをこじらせた。

 自分は女優になるしかないと思い込んで上京した澄伽。だけど、うまくいかないのは、みんなが「私の特別さ」を理解しないから。ジコチューもここまで徹底されると妙にすごみがある。とりわけ、澄伽の空回りっぷりをマンガに描いた妹への憎悪はすさまじい。姉がねちねちと繰り返す八つ当たりに清深はじっと耐えている、かのようでいて、実は彼女もまた結構アブナイ。両親がトラックに轢き殺され、グチャグチャになった死体を目の当たりにして、悲しいのに再び創作意欲をかき立てられていた。荒れる姉を尻目に上京するときの一言、「お姉ちゃんは自分の面白さが全然わかってないよ」

 見ようによっては陰惨な話なのだが、キャラクターそれぞれのテンションが高くてなかなか面白い。佐藤江梨子のスラリとした肢体、佐津川愛美のオタクっぽい暗さとちぐはぐなかわいらしさも良かったが、妙にとぼけた兄嫁・待子を演じた永作博美の年齢不詳なあどけなさが特に目を引いた。他に、兄の役で永瀬正敏も出演。

 この映画では澄伽vs.清深の姉妹対決が軸で、待子はそのまわりを右往左往、笑いをとる役回り。本谷有希子の原作(講談社文庫、2007年)では、澄伽の“自分”オーラ全開と、待子の“ごめんなさい”マイナス・オーラとの対比がもっと際立っていたように思う。

 映画と原作小説とではラストも違う。映画では、澄伽が「私の面白さを最後まで見届けなさいよ」と言って、姉妹対決が延々と続きそうな予感の中で終わる。原作では、あまりの自意識過剰をもてあました澄伽が、無邪気な待子の声援を受けて、人類の滅亡を願って呪いの人形に釘を打ちつけるという、結構シュールというか、グロテスクな終わり方。

 本谷有希子は、自意識過剰のあまり自爆してしまう人間のぶざまな心理の動きを、意地悪に茶化しつつ、残酷なまでに解剖していく。おそらく本谷自身も己の中に見出したものなのだろうな、と思いながら、かく言う私も本谷のメスさばきにマゾヒスティックに共感して、おもいっきりツボにはまってしまった。

 『ぜつぼう』(講談社、2006年)は、売れなくなったひきこもりの元芸人がムダにめぐらす“絶望感”を完膚なきまでに茶化してしまう。一つの“悩み”が頭に浮かんで、しかしそれを裏読みすると本当に“悩み”なのかどうか分からなくなってしまう、そうした突き詰め方がなかなか意地悪。

 『遭難、』(講談社、2007年)で本谷は鶴屋南北戯曲賞を受賞。学校の職員室を舞台に、クールで身勝手な女教師が自分を守るために次々と他人を陥れていこうとする筋立て。これがまた毒気たっぷりで面白い。誰か映画にでもしてくれないかな。

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2007年7月24日 (火)

梅佳代、新刊立て続け

 書店の芸術書フロアをふらついていたら、梅佳代の新刊が立て続けに刊行されたようでフェアが組まれていた。そんなに特別なファンという自覚はないのだが、やはり梅の写真は面白いのでついつい手に取ってしまう。

 『うめ版』(三省堂、2007年)は『新明解国語辞典』から抜き出した言葉に梅の写真を添えるという構成。組み合わせの妙に思わず顔がほころぶ。オビにある2枚の写真が良い。腕組みしてふてぶてしく横目にこちらを睨みつける少女に付けられた言葉は「ライバル」。「恋」という言葉が添えられた、うら若き女性のいかにもせつなそうな表情も良い。

 中をパラパラめくっていると、階段にちょこんと座ってこっちを見ている猫の写真に「おう」とあるのには爆笑した。「世の中」には、なぜかオープンカーに乗ったピーポくん(警視庁のマスコット)。つながりがよくわからんが、無理やり納得。そういえば『うめめ』でも、夜の交差点で踊っているピーポくんの写真が唐突に出てきて、妙にシュールで笑ったな。「陰謀」の写真の舞台は、新宿のクラシック喫茶、「らんぶる」だろう。時々行くことがある。…と、いちいち挙げてたらキリないな。

 『男子』(リトルモア、2007年)は、小学生男子がおバカに暴れまわる生態を撮り集めた写真集。“男子(だんし)”という音の響きが、イメージとして確かにピッタリする。これも面白いんだけど、こきたねえガキンチョの写真にわざわざ金を払うのも…、と変なわだかまりが湧き起こって購入はせず。

 今月出たばかりの『SWITCH』No.8でも梅佳代の写真で特集。テーマは「十代のいま、十代のころ」、被写体は新垣結衣。表紙を見た瞬間、一秒たりとも迷わずに買った。恥ずかしながら、ポッキーのCMで元気にピョンピョン飛び跳ねているのを見て以来、ガッキーの大ファン。単に見栄えがかわいいというだけでなく、表情がコロコロ変わるところがとにかく目を引く。そんな新垣の魅力を梅のユーモラスなアングルはよく捉えている。

 ところで、私にはアイドルの写真集を買うという習慣がそもそもない。今回はカルチャー系の雑誌だし、あくまでも梅佳代の写真だから、と言い訳しながら(誰に?)レジへと向かった。店員さんと目が合ったとき、見透かされたような気がしたが、思い過ごしだろう。と言うか、別にエロ本買ってんじゃないんだから、何を動転してるんだ、オレは。

 関係ないが、画集コーナーの新刊で、会田誠の作品集成『MONUMENT FOR NOTHING』(グラフィック社、2007年)が積まれていた。以前から会田の作品集は手許に置いておきたいと思ってはいたのだが、やはり5,000円はつらいなあ。迷っている。なお、会田の作風を知っている人に断っておくが、私は変態ではありません、念のため。

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2007年7月23日 (月)

「街のあかり」

アキ・カウリスマキ監督「街のあかり」

 ヘルシンキで夜間警備員を勤める青年、コイスティネンはいつも一人。同僚からも上司からも疎んじられ、酒場に行っても話し相手はいない。うつむき加減に視線をあらぬ方にやる、もの憂い彼の表情が印象的だ。不満げとか、悲しげとかいうのではなく、気持ちのすき間が満たされない漠然としたさびしさ。

 そんな彼が休憩時間、いつものようにコーヒーをすすっている前に突然現われた女性、ミルヤ。実は、コイスティネンの「犬のように従順で、ロマンティックなバカ」という性格を見抜いたマフィアの親分が送り込んだ罠だった。コイスティネンは彼女にぞっこん。しかし、彼が警備を担当していた宝石店のカギを盗まれ、強盗の嫌疑までかけられる。職場はクビになった。転落の人生。

 裏切られたことを知ってもコイスティネンの表情はいつものようにもの憂げなまま変わらず、怒りを露わにすることはない。親分の差し金で再訪したミルヤが彼の部屋にカギを隠すのに気付いても放っておいた。直後に警官が踏み込み、彼は刑務所に送られる。自分に降りかかる災いの一切を、そういうものだとあたかも予見していたかのような態度で淡々と受け入れていく。

 今回の作品のテーマは“孤独”ということらしい。たび重なる不運を見ていると気持ちはどんよりとくもってくる。だが、不条理にうちひしがれた人生を描きつつもちゃんと救いを用意してくれるカウリスマキ映画のスタイルはこの「街のあかり」でも踏襲されている。コイスティネンはマフィアにボコボコに殴られて重傷を負う。そこに、それまで邪険にしていたソーセージ屋の女性が駆けつけ、彼の手をにぎる。彼が弱々しくもしっかりとにぎり返したところで終幕となる。

 コイスティネンの打たれ強さ。もちろん、彼の誠実さの表われだが、もう一面において“鈍感”としか思えない。こう言ってしまうと身もふたもないが、人生には希望も喜びも本来的にあり得ないと私は思っている。かりそめの“希望”、かりそめの女性の“愛”、そういったものを鼻先にぶら下げて、直面した耐え難さから目を背ける。それは、敢えて“鈍感”に生きるため、人間が本能的に働かせる一つの智慧だと私は思っている。カウリスマキの意図には反するかもしれないが、そんなことを考えながらコイスティネンの憂いを帯びた静かな表情をじっと見ていた。

 カウリスマキ・ファンは着実に増えつつあるようで、上映館はほぼ満席に近い盛況だった。

【データ】
原題:Laitakaupungin valot
(英題:Lights in the Dusk)
2006年/フィンランド/78分

(2007年7月22日、渋谷、ユーロスペースにて)

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2007年7月22日 (日)

「A」「A2」

 1995年に起こった地下鉄サリン事件を発端とした一連のオウム騒動はいまだに記憶に生々しい。森達也監督の「A」(1997年)は教団の荒木・広報副本部長を中心に、「A2」(2001年)は日本各地に暮らすオウム信者たちの拠点を訪ね、教団内部への取材を通してオウム真理教をめぐる問題を描き出したドキュメンタリーである。

 直接的か間接的かはともかく、オウム真理教に題材をとった映画は割合と製作されている。是枝裕和監督「ディスタンス」(2001年)は、教団入りした家族が修行していた場所を、残された人々が事件の一年後に訪ね、夫婦・兄弟といった最も親しい関係だったにも拘わらず話をしても互いに理解不能となってしまった困惑を思い返し、捉え返そうとする姿を描いていた。

 「A」の初めに、信者たちへ質問するシーンがある。彼らは問われたことに対してとにかく滔々と語る。きちんと理屈だっているのだが、よどみないところがかえって不自然な感じ。カメラを意識して構えているのかもしれないが、前提として共有された感覚がなければ論理なんてものも意外に無効なことを思い知らされる。

 ところが興味深いのは、信者と近隣住民との関係の変化だ。住民たちは「オウムは出て行け!」とシュプレヒコールを繰り返し、テント小屋を張って検問までしていた。しかし、長い時間顔を合わせていると互いに情がうつるようで、いつしか信者と反対住民とが和気藹々と談笑するようにまでなった。信者たちが退去する時にはさびしそうな表情で「脱会したらまたここに来いよ。受け入れるよ」と声をかけていた。子供ほどの年齢のオウム信者たちは本当に生真面目なので好意を持ったのだろう。オウム反対運動は、それまで他人同士として暮らしてきた地域住民自身にとっても交流の場としての機能を果たしたらしい。ひとつの事件を通して、それこそオウム信者という敵も含めて、情緒的な一体感が生まれるプロセスは社会学的に面白いテーマではないか。

 公安が信者に難癖をつけて逮捕してしまうシーンもリアルに映像に収められている。それにしても公安というのは、口ぶりといい、目つきといい、本当に憎ったらしいな。それが彼らの仕事だから仕方ないとは思うのだが。もみあって偶発的(?)に転んだ瞬間をとらえて、「逃走を図ったので阻止を試みた、公務執行妨害で逮捕」とあっという間に進めてしまう手際の良さには驚く。転ばされたのは信者の方なのだが。

 “報道の自由”を大義名分とした報道陣の取材攻勢の押し付けがましさも目に付く。無論、教団側の説明が一方的で我々には納得しがたいものであったことも事情としてあるにせよ、テレビでニュースを見る時の視線と、ブラウン管の向こう側とのズレが随所で浮き彫りにされ、マスコミ報道の問題も提起されている。

 「A2」では、各地で暮らす信者たちの小コミュニティーにも取材をしている。彼らの生活を見ながら、塩田明彦監督「カナリア」(2004年)を思い出した。社会的にバッシングを受ける中、寄りそって暮らす信者たち。それは信仰の共同体というよりも、当面生きていくために必要な生活共同体という描き方だった。西島秀俊が演じた取りまとめ役の温厚で物静かな青年に私はとても好感を持った。

 「A2」にこんなシーンがあった。ある女性信者がキティーちゃんグッズを持っていて、「えっ、教義に反しないの?」と突っ込まれても屈託なく笑っている。隣の信者も「仕方ないのよねえ」と苦笑しているのが印象に残っている。大きな閉鎖的共同体に教祖として君臨していた麻原という重石がはずれ、細分化された個々の小共同体では、以前のようにリゴリスティックなしめつけは薄れているのだろうか。

(2007年7月21日、DVDで)

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2007年7月21日 (土)

外地にいた祖父母のこと(2)

(承前)

 断片的に聞いた話を思い出して整理しながら、私が一番興味をひかれるのは満州にいた母方の曽祖父だ。

 仮にKと呼ぶことにしよう。何でも、若い頃、伊達順之助の不良仲間だったらしい。伊達は檀一雄『夕日と拳銃』のモデルで、満州で馬賊の親玉となったことで知られる(と言っても、ある年代以上の人にしか分からないだろうが)。敗戦後は戦犯として上海で処刑された。

 Kは英語がよくできたので横浜の貿易会社に勤めていた。ところが、関東大震災の余波でこの会社が倒産したため(この時、祖母は曾祖母のお腹の中にいて、地震のショックで予定日よりも早く生まれたそうだ)、伊達を頼って満州に行った。Kはなかなかやり手だったようで、満州興商?(未確認)とかいう会社の重役におさまったらしい。重役室の大きな机の前に座って執務している彼の写真を大伯父から見せてもらったことがある。

 Kはいわゆる大陸浪人タイプだったのだろう。家族はほったらかしで、大伯父も祖母もKについて詳しいことを知らない。伊達とのつながりで満州に来たのなら、やはり裏工作に従事していたようにも思われる。奉天という土地柄を考えると、たとえば奉天特務機関の土肥原賢二、さらには甘粕正彦や里見甫をはじめ、ひとくせもふたくせもある輩とも関係があったのか、そういった想像をたくましくしてしまう。

 戦争中の1943年、Kは50歳になるかならないかのまだ働き盛りの年齢で病没した。戦後まで生きていたら、ひょっとしたら戦犯として拘留されたかもしれない。Kの死により一家は日本に引き上げたので、満州国崩壊・ソ連侵攻という混乱には巻き込まれずにすんだ。Kは相当な金額の遺産を残してくれたらしいが、曾祖母が世間知らずで才覚が働かず、敗戦ですべて紙くずになってしまった。

 Kは器用というか、多趣味な人だった。前にも触れたように料理が好きで、外で食べた味を自分なりに工夫して再現するなんてこともしていた。カメラも趣味で、特急アジア号の前に立つ秩父宮をKが撮影した写真が大伯父のもとにあった。

 そうした中の一枚であろう、Kの姉、仮にTと呼ぼうか、彼女が写った写真を私の母が大伯父から譲り受けて大切に保管している。セピア色の変色が時の経過を感じさせる写真だ。Tは布団の上で半身起き上がり、絵筆を取っている。病床なのに、どことなくハイカラな雰囲気が伝わってくる。彼女は女子美術学校に通っていた。大正時代、女子美がまだ本郷菊坂にあった頃だろう。

 Tは結核に冒されており、在学中に亡くなった。Kはそうした薄倖の姉を、その死後もずっと慕っていたらしい。曾祖母とはあまり仲がしっくりしていなかったようなのだが、一つにはKの姉への想いに曾祖母が嫉妬していたのではないかともいう。

 私の母はもちろんTに会ったことなどない。ただ、病床で絵筆を取るTの凛々しい姿を見て憧れを抱き、大伯父にせがんでこの写真をもらってきたそうだ。

 ルーツ探し、というほど大げさなことは考えていない。私はもともと日本とアジアの現代史には関心があった。少し話を聞いただけでも、そうした現代史の背景知識とのつながりが一応はわかる。そうやって腑分けしながらたどっていくと、歴史の中に翻弄された一人ひとりそれぞれにとっての人生のドラマが窺えるし、それが自分にもつながっているというのが不思議に面白い。私は中学・高校生の頃、モンゴルに憧れていた時期があったのだが、外地にいた祖父や曽祖父からの血が呼び覚ましたのかとも話をこじつけたくなる。存命のうちにもっと話を引き出しておけばよかったという後悔を今さらながらに感じている。

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2007年7月20日 (金)

外地にいた祖父母のこと(1)

 先日、実家が引っ越すというので荷物の整理に行った時のこと。祖母が「こんなのが出てきたのよ」と言いながら古びた紙片を見せてくれた。祖母が女学校を卒業した後に作られた同窓会名簿だった。ほとんどが東京在住者ばかり。2名ほど中国からの留学生がいて、中華民国済南市、蘇州市といった地名が見える。

 祖母の名前の下を見ると、満州国奉天市大和区○○町××となっていた。現在の遼寧省瀋陽である。父親(つまり、私の曽祖父)が満州で仕事をしていたので、祖母もしばらく奉天で暮らしていたのだ。近くに奉天医科大学があったという。

 東京から奉天へ向かうには、まず下関まで行き、関釜連絡航路で釜山に出る。あとは朝鮮鉄道・満鉄直通の汽車で奉天まで一本で来られた。祖母が「前の席に飯沼飛行士が座っていたのよ」と楽しそうに言うのだがピンとこない。後で調べたところ、昭和12年に東京からロンドンまでの連続飛行で世界記録を樹立した「神風号」の飯沼正明飛行士のことだと分かった。飛行機の名前のせいで戦後は色々と誤解があったのだろう、いつしか忘れられてしまった人物である。当時としては誰もが名前を知っている、時代のヒーローだったらしい。いわば日本のリンドバーグというべき存在だ。

 祖母によると、奉天はとにかく凍てつくように寒かったが、雪の印象はないという。ロシア人の経営するレストランが割合とあって、たまには外食でもしようという折に行ったそうだ。オムレツが大きくておいしかったと懐かしげだった。曽祖父は器用な人だったようで、ロシア料理の味をすぐに覚えて自分でも作っていたらしい。

 「現地の中国人が満鉄警備隊にひどく殴られているのを見て、いたたまれない思いをしたことがある。日本は本当にひどいことをしたものだ」とも語る。聞きながら、何となく武藤富男の名前を思い浮かべていた。祖母は明治学院長だった武藤に感激してわざわざ会いに行き、自身の長男(つまり、私の伯父)を明治学院に入れていた。武藤は官僚出身で満州国では甘粕正彦の側近となったが、戦後は前非を悔い、クリスチャンとなって反戦平和を唱えていたことで知られる。

 祖母の長兄(私の大伯父)は奉天の平安小学校の出身である。満映の大スター、李香蘭こと山口淑子も学年は違うがここの同窓で、彼女が日本人であることは早くから知っていたという。

 なお、大伯父は学徒動員組である。雨が降る神宮球場で行なわれた壮行会の映像は昭和史のドキュメンタリー番組でよく取り上げられるが、あの中にいた。女学校在学中だった祖母も見送りに行った。宇品の暁部隊に配属され(丸山眞男もここにいた)、原爆投下直後の広島に入った。この時に被爆したらしく、毛が抜けたり出血したりという症状がしばらく続いたという。被爆者手帳はもらっていない。戦後すぐ共産党に入党したため会社で冷遇されたこともあり、酒びたりの大荒れの時期があったと聞く。

 祖父母が父方・母方ともにいわゆる“外地”にいたということが、私には不思議なほどに関心をそそられる。

 満州にいたのは母方の祖母である。結婚したのは戦後だが、祖父も大陸にいた。祖父は旧制の高等農林学校を卒業した後、就職先がなかったので学校で理科を教えていたらしい。いわゆる“でもしか教師”である。間もなく朝鮮総督府に職を得た。一年間ほど京城(ソウル)にいてから、北京にあった満鉄の子会社・華北交通に移る。北京で現地応召されたが、すぐに爆弾で吹き飛ばされて本土に戻され、敗戦を迎えた。体内に爆弾の破片が死ぬまで埋め込まれたままだった。

 滅多に昔話をしない人だったが、測量技師として張家口など黄河北岸あたりの調査旅行に参加した時の話を晩年になって聞いたことがある。当時の中国の農村ではどんな家畜飼育をしていたのかなど語ってくれたが、詳しいことは覚えていない。メモしておけばよかったと今さらながらに思う。中国語の通訳が朝鮮人だったらしく、日本語・中国語ともに堪能だったことに感心していた。「よその国に支配されてしまって、生き残るために必死だったんだろうなあ」と目を細めていたのが印象に残っている。

 父方の祖父母は台湾にいた。祖父は台北の旧制中学で教員をしており、やはり現地応召されて戦車部隊に配属されたと聞いている。日本人生徒と現地の生徒とで差別的な扱いをしなかったので慕われたらしく、戦後も昔の教え子たちからたびたび招待されて台湾に行ったという。鬼籍に入ってから十年以上経つが、色々と話を聞いておけばよかったと後悔している。祖母も台北で女学校を出ており、訪ねていくと得意料理のビーフンを作ってくれたものだ。

(続く)

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2007年7月19日 (木)

季武嘉也『選挙違反の歴史』

季武嘉也『選挙違反の歴史──ウラからみた日本の100年』(吉川弘文館、2007年)

 選挙の季節がやってまいりましたので、とりあえずこんな本を。

 明治23(1890)年の帝国議会開設以来、衆議院議員選挙における違反者数の推移を手がかりに、選挙事情を通じてその背景をなす日本の社会的変化を本書は読み取ろうとする。

 世界最大の民主主義国インドでは今でも総選挙のたびに死者が出るが、明治期の日本の選挙でも吏党と民党に分かれての暴力沙汰は当たり前だった。ただし、それは今で言う政府与党と野党との対立とは事情が異なる。ムラ内部にもともとあった対立関係が、選挙の際に吏党・民党という形を取ってエキサイトしたということらしい。その後、日清・日露戦争での全国的な興奮をきっかけに、ムラそれぞれで団結しようという雰囲気が生まれてこうした騒擾もおさまり、地元の名望家を軸とした選挙システムとして安定するようになった。

 周知の通り、戦前の日本は制限選挙であった。当初、選挙資格は国税15円以上の納税者に限定されたため、弁は立つが貧しく過激な士族不満層や、“お上”に唯々諾々と盲従する封建的な気性の抜け切れない一般庶民層は除外され、土着の温厚篤実で安定志向の名望家層が有権者を構成することになった。この国税15円という基準の設定に当たっては、イギリスのジェントリー(郷紳)を想定していたのではないかとの指摘が興味深い。

 “名望家秩序”といっても、いわゆるボス支配を意味するわけではない。選挙資格のない庶民層も(騒擾という暴発もあったように)選挙のたびにアクティブに動き回っていた。地元の名望家はいわば地域共同体の投票代理人的な性格を持っており、その意味では選挙権の有無に拘わらず、実際には多くの国民が選挙に関与していたと言えるそうだ。

 選挙違反で最も多いのは買収であろう。しかし、買収されたからといって、有権者は自分の意に反する候補者に投票したわけではない。むしろ、他よりは好意的な候補者からカネをもらうケースが大半であった。言い換えると、買収には、有権者を投票所に動員し、投票率を高める機能を果たす側面があったとも言える。

 戦後から現在にかけてみると、とりわけ都市部では有権者の投票行動は個人単位に細分化されてきた。地縁的なつながりが薄れつつある中、買収は効率が悪いため減少し、イメージ選挙が中心となった。従って、候補者レベルでみると、選挙違反者数も、選挙に要する費用も大幅に減少してきている。その代わり、政党レベルでは宣伝費を中心に費用はむしろ莫大なものとなった。

 選挙にまつわる地域事情を踏まえて、足もとから見上げる形で日本の政治史を読みかえてみようと意欲的な論点が多数提示されており、面白い研究だ。

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2007年7月18日 (水)

「殯の森」

「殯(もがり)の森」

 見終わってすぐに浮かんだ印象は、緑のやわらかなてのひらにあたたかく包み込まれた感じ、と言ったらいいだろうか。

 河瀨直美監督初の長編「萌の朱雀」がカンヌでパルムドールを受賞してからもう十年が経つのか。早いものだ。この作品は本当に好きだった。吉野の緑深い山村を舞台に、父の自殺を契機として家族が静かに崩れていく姿を描き出していた。息子の義母に寄せる想い、妹の兄に寄せる想い、それぞれの淡い気持ちもすべて山の鬱蒼たる木々の中に包み込まれている、そうしたイメージがとにかく胸にやさしくしみわたってきた。父親役の國村隼以外はすべて素人を起用していたが、この作品に出演したのをきっかけに尾木真千子は女優を目指したという。素朴にかわいらしく思っていたが、今回、「殯の森」では大人に成長しつつある姿を見せてくれる。

 「萌の朱雀」の後も、河瀨監督が「火垂」(2000年)、「沙羅双樹」(2003年)と新作を発表するたびにきっちりとチェックしていた。ただ、情念的なものが濃すぎて、私にはちょっと入り込めないなあと戸惑ったことを覚えている。

 今回の「殯の森」は、「萌の朱雀」と同様の吉野の山あいに舞台が戻った。幼い子供を死なせてしまったという負い目を抱えた真千子は、慣れない手つきでグループホームの老人たちの世話をしている。しげきというクセの強い老人とトラブルを起こすが仲直りし、彼の外出の付き添いをすることになった。

 しげきの妻が亡くなって三十三年が経つ。彼の亡き妻への想いは余人には窺い知れぬほどに強い。三十三回忌は仏になってこの世を離れるときだと和尚さんから聞き、妻の墓へ行こうと道なき山道をはいつくばるようにして進む。雨に打たれ、寒さに震え、暖を取るため真千子は裸になって肌を密着させる。それは決してエロチックな姿ではない。人と人とのつながりを手応えとして実感する姿として、たとえば「火垂」に見られるように濃厚な情念が良い形でこの姿に流れ続けているように思う。

 茶畑でしげきと真千子が隠れんぼをするシーンが印象深い。朗らかな明るさというだけではない。二人の姿を俯瞰するように映し出すと、背景の山が大きくせり出してくる。風にさわめく木々の緑の中に、二人の姿も包み込まれる。時に山のせせらぎは濁流に変貌し、冷たい雨で人間を打つ。しかし、様々な想いを抱えた人間の生き死にを、時には厳しくとも、全体としておおらかに包み込んでくれる。その中で、人は人とのつながりを、そしてもっと大きなものとのつながりをかみしめる。吉野の山々のおかげもあろうが、こうしたイメージを静かに説得的に描き出してくれる作り手を他に知らない。

 上映館は満席で見づらい席に座らされたし、隣の変な兄ちゃんは落ち着きなく持っているビニール袋をさかんにガサガサいわせてうるさかったし、プログラムは売切れだし、と、かなり不愉快な状況の中で観た。でも、いまこうやって反芻していると気持ちが落ち着いてくる。それだけ魅力的な作品だった。

【データ】
監督・脚本:河瀨直美
2006年/日本・フランス/97分
(2007年7月16日、渋谷シネマ・アンジェリカにて)

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2007年7月17日 (火)

「ルネッサンス RENAISSANCE」

「ルネッサンス RENAISSANCE」

 近未来都市というとどんな光景を思い浮かべるだろうか。私はやはり、リドリー・スコット監督「ブレードランナー」の雑然とした貧民窟をイメージしてしまう。岩井俊二監督「スワロウテイル」もこれを意識していたな。あるいは、アニメで言うと「攻殻機動隊」なども思い浮かぶ。東京オリンピックをリアルタイムで見た世代に聞くと、首都高速の立体交差を見て、これこそ未来都市だ!と感じたらしい。そういえば、アンドレイ・タルコフスキー監督「惑星ソラリス」の初めのあたり、車に乗って移動するシーンでまさに東京の首都高速が背景に使われていた。もっと上の世代に聞くと、小松崎茂のイラストをあげるかもしれない。

 「ルネッサンス」の舞台設定は2054年のパリ。現代の我々からすると半世紀後の近未来。予告編は思わせぶりでカッコよかった。今はなき香港の九龍城を洗練させたように壮麗な建造物を上方から俯瞰し、アングルが徐々に下がるにつれて人々の動きが少しずつ見えてくる。都市の重層的な巨大さを印象付ける。人物の微細な動きまで再現した、モノクロームで鋭角的にスタイリッシュなアニメーションを見せつけられ、これは絶対に観に行かねばと興奮した。

 しかし、ストーリーがしょぼい。不老不死の秘密を突き止めた美人研究者が誘拐されて、アヴァロン社なる巨大企業の野望が背景にあって、破天荒なアウトロー的捜査官が美人研究者の姉と唐突に恋に落ちて、とやたらにくどい展開の割には基本線はありきたりで単純。目が疲れやすい映像なんだから、もっと簡潔にまとめろよ。早老症の人物の顔はどうしても大友克洋監督「AKIRA」を連想してしまうな。映像はとにかくカッコいいので一見の価値はあると思うが、上映終了後、あちこちから「ああ眠かった…」とため息がもれていたことも付け加えておく。

【データ】
監督・デザイン原案:クリスチャン・ヴォルクマン
声の出演:ダニエル・クレイグ、イアン・ホルム、ジョナサン・プライス他
2006年/フランス・イギリス・ルクセンブルク/106分
(2007年7月16日、シネセゾン渋谷にて)

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2007年7月16日 (月)

満鉄調査部について

 草柳大蔵『実録 満鉄調査部』(朝日文庫、1983年)は、当時の政治情勢の動向に絡ませながら、南満州鉄道株式会社設立以来の調査部の軌跡を、人物群像を軸に描き出す。満鉄調査部出身で戦後は九州大学教授となった具島兼三郎が自身の環境の変化について述べた「近代的な大工場から家内工業の工場に放り込まれたような感じ」という感想が紹介されている。この言葉に表れているように、日本の歴史でこれほどスケールの大きなシンクタンクは後にも先にも珍しい。

 満鉄調査部はもともと初代満鉄総裁・後藤新平の発案になるが、実際には第二代総裁・中村是公の時、大連本社に調査部、東京支社に東亜経済調査局として発足した。その後、何回かの改組を経て名称も変わっているが、取りあえずまとめて満鉄調査部と呼ぶ。

 満鉄調査部の特徴をまとめると、第一に自由主義。とにかく自由闊達な社風で、上司・部下の関係もゆるやかだった。社員の顔触れを見ても、たとえば東亜経済調査局には大川周明、笠木良明、綾川武治といった国家主義運動に連なる人々がいた一方で、嘉治隆一、伊藤武雄、波多野鼎、佐野学など東大新人会出身でマルクス主義の洗礼を受けた人々も入社した。大連本社の方にも、堀江邑一、石堂清倫、細川嘉六、伊藤律、尾崎秀実といった名前が散見される。中には、満鉄マンから脱サラして歌手となった東海林太郎のような変り種もいた。こうした雑多な人々が集まっても、議論こそ盛んだったが、イデオロギー上の派閥抗争はなかった。

 図書館の充実度は当時としては相当なものだった。内地では治安維持法でひっかかるマルクス・レーニン主義の文献も多数所蔵されており、自由に読むことができたという。また、イスラム研究の世界的碩学・井筒俊彦は、大川周明の集めたアラビア語文献を好きなように使わせてくれたので研究の基礎固めができたと語っている(井筒俊彦・司馬遼太郎「二十世紀末の闇と光」、司馬遼太郎『十六の話』(中公文庫、1997年)所収)。なお、大川自身も『回教概論』を著しており、邦語としては初めての体系的なイスラム研究として評価が高い(たとえば、山内昌之「イスラムの本質を衝く大川周明」『AERA Mook 国際関係学がわかる』朝日新聞社、1994年。鈴木規夫『日本人にとってイスラームとは何か』ちくま新書、1998年)。

 満鉄調査部の第二の特徴は、フィールドワーク重視。とにかく「事実に聞く」のが基本で、実証的な研究が求められた。新入社員は初めの二年間は徹底的な資料の読み込みが必須とされたが、それから現地調査に出かける。テーマは各自で決める。怠ける奴はそれだけ自分にはねかえってくる、と放っておいたらしい。戦局がおしつまってくるとそうもいかなくなったようだが、こうしたあたりにも満鉄調査部のリベラルな雰囲気がうかがえる。

 すでに触れたように、満鉄調査部にはマルクス主義の前歴者も多数入社している。彼らの研究能力は高いため、実力本位に立って前歴にはこだわらず採用していた。彼らは『資本論』の読書会を開いたりもしており、こうした気運を小林英夫は“満鉄マルクス主義”と呼んでいる(小林英夫『満鉄調査部──「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊』平凡社新書、2005年)。

 フィールドワークに基づく具体的な数字と、史的唯物論による合理的な分析は大きな成果をあげた。たとえば、「支那抗戦力調査」は中国経済の基本構造や社会関係を明らかにした上で、軍事力で中国全土を制圧するのは難しく、政治的な解決を図るしかないと結論付け、政府や軍部にも大きな波紋を投げかけた(なお、満鉄調査部員の中にはソ連や中国の共産党と関係を持つ者もいて、そうした情報ネットワークもこの研究には駆使されたらしい)。

 数字に基づく分析なので反論は難しい。このレポートを踏まえて大陸政策の転換を促す動きもあったが、その一方で、たとえば辻政信のように観念論先行の軍人たちは面白くない。憲兵隊が動き出し、1942年、満鉄調査部員43名が一斉検挙された。いわゆる満鉄調査部事件である。日本の敗戦による満鉄の解散に3年先立って、調査部は事実上消滅した。前年の1941年には東京でも企画院調査官の稲葉秀三、和田博雄、勝間田清一らが“アカ”の容疑で逮捕された、いわゆる企画院事件が起こっている。いずれにせよ、観念論先行の国策決定に対してブレーキをかけるべき合理的な調査活動が封殺されてしまったことは一つの悲劇としか言いようがない。

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2007年7月15日 (日)

佐野眞一『カリスマ──中内功とダイエーの「戦後」』

佐野眞一『カリスマ──中内功とダイエーの「戦後」』(新潮文庫、2001年)

※功=「工+刀」

 ちょっと必要があって、中内功『わが安売り哲学』(日本経済新聞社、1969年)なる本にざっと目を通したことがある。もう40年近く前、彼がダイエーを立ち上げてから10年あまり、東京進出をねらっていた時期に刊行された本だ。そこでは、供給側の事情で定価を決めて売りつけるやり方は軍国主義の時代の統制経済と全く変わらないと主張。消費者の声をじかに聞いている小売業・流通業のイニシアチブで価格決定権を奪回し、大手メーカー主導の経済慣行に対して革命を起こしてやると鼻息が荒い。

 面白いことに、中内はしばしば毛沢東を引用する。農村から都市へと攻め込む中国共産党の革命路線に、“消費者の反乱”をあおり立て東京へいざ攻め込まんとする中内自身の姿をなぞらえているかのようだ。論旨明解で熱気のある文章だった。あまり気乗りせずにページをめくり始めたのだが意外と読ませる。実はこの本、「戦後日本思想大系」第八巻『経済の思想』(伊東光晴・長幸男編、筑摩書房、1971年)にも抄録されている。

 あくなき拡大路線を無謀にも突き進み、自転車操業的な借金体質がついにはダイエーを破綻させたことは周知の通りである。経営トップの座にいつまでもしがみつこうと老醜をさらした晩年もまた毛沢東を連想させる。

 マネジメントのノウハウを中内から汲み取ろうとしても徒労に終わるだけだろう。だが、戦後日本のある側面を体現した人物として、経済界の中では彼ほど興味深い男も少ない。本書『カリスマ』は、戦後史という文脈において中内ダイエーはどのように位置づけられるのかという問題意識をもとに丹念な取材を積み重ねている。

 中内の生涯にはいつまでも戦争の影がつきまとう。『わが安売り哲学』はフィリピン戦線で彼の味わった極限的な飢餓体験を吐露してしめくくられていた。無謀な戦争に駆り出されて地獄に投げ込まれた不条理は、“お上”に対する不信感として彼の意識の中に底流する。捕虜となり、アメリカ軍の圧倒的な物量を目の当たりにした彼は「何よりもまず食うことが先決だ」と思い知らされた。その後のダイエーの果てることのない拡大路線は、あたかも中内の絶対に満たされることのない飢餓感というブラックホールに次々と資金を放り込んできたかのようにさえ見えてくる。

 南方戦線での人肉食の噂は戦争の酷さを思い知らされる。中内はこう記している。フィリピンで飢餓線上をさまよっていた時、なかなか眠ることができなかった。眠ると仲間に殺されて食われてしまうかもしれないからだ。しかし、体力がもたず、眠ってしまう。目が覚める。俺は生きているし、殺された仲間もいない。ホッとした。生きていくには人間を信じることが何よりも大切だ、と。

 逆説的な言い回しがかえって印象に強い。本書『カリスマ』を読んでいると、ダイエーの経営再建に取り組む部下たちを中内が次々と経営中枢から追放するパターンが繰り返されてきたことに驚く。彼らが力をつけると自分の寝首を掻かれると猜疑心を募らせたからだ。

 戦場で味わった言い知れぬ不条理。それが徒手空拳で一大流通帝国を築き上げる駆動力として働いた一方で、自滅の心理的背景をもなしていた。戦争の影にいつまでも呪縛され続けた中内の姿には、どこか哀しさすら感じさせる。

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2007年7月10日 (火)

最近読んだ本

 ここ最近読んだ本を適当に。気分が鬱屈してくると小説に逃げているのが分かるな。

保坂和志『この人の閾(いき)』(新潮文庫、1998年)

 芥川賞を受賞した表題作の他、「東京画」「夏の終わりの林の中」「夢のあと」と計四編を収録。保坂和志の書く作品にストーリーとしての起伏はない。登場人物たちが、彼らの生活範囲の中で目にした出来事についてさり気なく語り合うだけ。ふと思いついたことを言葉に移しかえていくのだが、よく思索が練られている。構成上の計算がされているということではなくて、単なる思いつきで終らせていないというか、じっくり熟成したのちに出てくる言葉という感じ。文章の運びは一見淡々としているようでいて、実は意外と理屈ばってねちっこい。だけど、私は結構好きだ。

長嶋有『猛スピードで母は』(文春文庫、2005年)

 芥川賞を受賞した表題作と「サイドカーに犬」の二編を収録。後者は最近映画化され、その感想はこのブログでも書いた。「サイドカーに犬」の洋子さんにしても、「猛スピードで母は」のお母さんにしてもキャラクターの輪郭がくっきりしていて結構読ませる。芥川賞を取った時にはふざけたタイトルだと思っていたが、読んでみると情感がしっとりとあって私は嫌いではない。

吉田修一『パークライフ』(文春文庫、2004年)

 芥川賞を受賞した表題作と「flowers」の二編を収録。特にこれといった抵抗感もなくスイスイと読み進めたが、これといった読後感もなし。たぶん私と感性が合わないのだろう。

木村紅美『風化する女』(文藝春秋、2007年)

 デビュー作、文學界新人賞を受賞した表題作と「海行き」の二編を収録。「海行き」は何だか独りよがりな感じがして好きになれなかった。「風化する女」は、一人で死んだ四十代の女性の遺品整理を押し付けられた同じ会社の女性が、死んだ女性の人生を垣間見る話。他人の人生の意外な側面を知った素朴な驚きと共感がよく描かれていて、こちらは悪くないと思う。

白川道(とおる)『終着駅』(新潮文庫、2007年)

 盲目だがそれだけ感受性の鋭い少女(二十代半ばの設定だがピュアな感じでどうしても少女のイメージになってしまう)と暴力団幹部とのプラトニックな交流を軸に、裏社会の騒ぎや彼自身の複雑な過去へのこだわりが錯綜する。白川道の小説には過去の呪縛と葛藤する様を描いているものが多い。単にアウトロー小説というだけでなく身を入れて読み進めてしまう。

樋口有介『風少女』(創元推理文庫、2007年)

 主人公は東京で暮らす大学生。故郷に帰省し、初恋の女性が死んだことを知る。事件を探るうちに、かつての同級生たちの変わってしまった現実を見せつけられるという筋立て。話がちんまりちっちゃくまとまっている感じで、読みながらあくびが出た。

ユベール・マンガレリ(田久保麻理訳)『しずかに流れるみどりの川』(白水社、2005年)

 白地にモヤっと緑がかった装幀に目が引かれて手に取った。著者はフランスの児童文学者らしい。大きくなってしまえば何とも思わないが、子供の頃、身の回りの一つ一つの光景がやたらに恐かったり、あるいはいとおしかったり、大きな感情の振幅を以て受け止めていた。そんな視線で子供心に映った心象風景を追体験させてくれる。

小泉義之『レヴィナス──何のために生きるのか』(日本放送出版協会、2003年)

 「哲学のエッセンス」シリーズの一冊。何のために生きるのか?と問われてどう答えるか。「それをこそ考えるために生きるのだ」とか、「答えなどないのだから、目の前のことに懸命に取り組め」といったありがちな正論をばっさり捨てた所から説き起こそうとする点で本書は意欲的だ。しかし、最後まで読んでもどうにもピンとこない。著者は誠実に書こうとしているのはよく分かるので悪口は言いたくないのだが、レヴィナスの考えていたことの勘所が伝わらないというか、そもそもレヴィナスの思想が著者自身の中で血肉としてこなれていないのではないか。これは知識でテクスト解釈できるかどうかではなく、肌身に感じるかどうかというレベルの問題なので仕方ないとは思うが。

呉智英『言葉の常備薬』(双葉文庫、2007年)

 薀蓄オヤジが放つシニカルな逆説のパンチはなかなか痛快。旧制一高の寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」はある年代以上の人にはよく知られているが、本来の意味は私も初めて知った。こういう本は酒の肴にうってつけ。

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2007年7月 9日 (月)

なつかしい本

 実家が引っ越すことになり、置きっぱなしにしていた荷物を整理しに行った。無味乾燥な典型的な郊外住宅地。正直言ってあまり好きな土地ではなかった。しかし、4歳の頃から20年以上暮らした年月の重みはひしと感ずる。

 それにしてもよくためこんだものだ。私が、ではなく、母が、だが。図工の作品やら、作文やら、テストの答案やら、とにかくざっくり捨てた。小学生の頃、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズが大好きで、その影響を受けてだろうが、冒険小説だか推理小説だかよく分からない代物を書いていたのが結構出てきた。中には原稿用紙100枚以上の大作(?)もあった。すっかり忘れていた。家族から笑われながら捨てた。高校生の頃の日記は笑いごとではない。家族の眼に触れる前にいち早く確保。焼却処分も考えたが、取り合えず保存しておくことにした。色々とあったんでね。

 小さい頃に読んでいた本はやはり捨てがたい。懐かしいばかりでなく、今読んでもなかなか面白いのだ。ポプラ社の江戸川乱歩シリーズはすべて読破した。大半は図書館で読んだが、7冊ほど私の“蔵書”にもあった。大正・昭和初期の風景的イメージは乱歩で最初に形成されたことに改めて気付かされる。ちなみにこのシリーズ、第26巻『二十面相の呪い』までは少年探偵団ものだが、第27巻『黄金仮面』以降はもともと大人向け。時折、エロチックなシーンがあって胸をドキドキさせたのを思い出す。『人間椅子』『芋虫』といった本格的なエロ・グロものを読むのはもっと大きくなってから。

 絵本もなかなか楽しい。『ぐりとぐら』『だるまちゃんとてんぐちゃん』シリーズはいまだに続編が量産されている。スロヴァキア民話をもとにした『十二の月のおくりもの』の絵柄は記憶に鮮明に残っていた。丸木俊の絵筆になるが、今になって振り返ると、全体的に黒っぽいトーンは「原爆の図」と同じだな。ネパール民話『プンク・マインチャ』は絵が恐くて夢にうなされながら、それでも繰り返しページをめくっていたのをよく覚えている。秋野亥左牟という人が描いた絵だ。よほど強烈な印象を感じたようだ。それから、私は全く覚えていなかったのだが、母から聞いたところ、『よかったねネッドくん』という絵本が私の大のお気に入りで毎月一回は必ず図書館から借りていたらしい。これは教文館「ナルニア国」へ行くと今でも平積みしてある。児童書の息の長さには本当に驚く。

 何よりも大好きだったのは『東洋童話集』。創元社「世界少年少女文学全集」のうちの一冊だ。奥付をみると昭和29年の刊行。執筆者として金田一京助(アイヌ学)、松村武雄(神話学)、服部四郎(言語学)、魚返善雄(言語学)など当時の碩学が名前を連ねている。イマジネーションを豊かに刺戟してくれて、今でも読後の余韻を思い出せるほどに印象深い本だ。大叔父から母のもとに渡り、それを私が読んでいた、いわば受けつがれてきた本。ボロボロだが、こういう本こそ捨てられない。

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2007年7月 8日 (日)

早瀬圭一『大本襲撃──出口すみとその時代』

早瀬圭一『大本襲撃──出口すみとその時代』(毎日新聞社、2007年)

 以前にも触れたことがあるが、高橋和巳『邪宗門』は大好きな小説のひとつだ。大本教をモデルとした教団「ひのもと救霊会」に集う人々を軸に、戦前の宗教弾圧、そして敗戦直後の教団の自滅を描き出し、大河ドラマとして面白いばかりでなく、国家と宗教との緊張関係、とりわけ近代的知性と土着的感性との葛藤がおのずと浮き彫りにされているのが魅力的だった。

 『邪宗門』第一部は国家権力による弾圧によって教団がいったん壊滅するシーンでしめくくられる。原因不明の出火で本部施設が炎につつまれ、消火活動もむなしくすべてが灰燼に帰す。包囲していた警官隊は本部が燃え尽きるのを見届けてからやおら動き出し、呆然と立ちつくす教団の人々をゴボウ抜きに検挙していく。昭和10(1935)年の第二次大本事件を踏まえた描写である。実際には、その後の公判中に教団の土地が政府に収用された上で施設の解体作業が行なわれた。

 本書『大本襲撃』は、この第二次大本事件で陣頭指揮を取った杭迫軍二(くいせこ・ぐんじ)特高課長の動向から説き起こされる。大本の教義には世界の“立て替え”という表現が出てくるが、個人の心の救済と社会改革とを結びつけるロジックが内包されている。昭和初期という時代には社会全般に不安な心理状況がみなぎり、左右両翼を問わず国家革新を求める動きが顕著となっていた。そうした中、出口王仁三郎が立ち上げた昭和神聖会に頭山満や内田良平など右翼系の人士が出入りし、軍人の間にも大本の信者が増えていたため、治安当局は神経をとがらせていたようだ。大本教団検挙の第一の根拠は治安維持法。しかし、「国体を変革する目的をもって結社を組織」したとは言えないため該当せず。不敬罪で有罪の判決を受けるが、係争は十年にわたり、結局、敗戦後、不敬罪は消滅したので裁判も終わった。

 公判で出口王仁三郎が示した才気縦横な語り口は裁判長をも感嘆させた。しかし同時に、教祖・出口なおの娘で王仁三郎夫人の出口すみの不思議な存在感も人々の注目を集めたらしい。無実の罪で何年も獄につながれたにも拘わらず恨み言ひとつこぼさない天真爛漫な明るさは教団の人々の気持ちを落ち着かせたという。なおや王仁三郎のカリスマ的な存在感は早くから注目を集めて伝記的研究も出されている。浅野和三郎については心霊主義という点で関心を寄せる専門家もいる。しかし、すみのおおらかな包容力こそ教団をまとめ上げる扇の要であったとして、今まで目立たなかった彼女を主役に据えたところに本書の特色がある。

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2007年7月 6日 (金)

斐昭『となりの神さま』

斐昭『となりの神さま』(扶桑社、2007年)

 私は小田急沿線の郊外に育ったので、代々木上原のモスクはなつかしい。あのドームと尖塔の堂々たる姿は、都心に出てくる時のシンボルというくらいに鮮やかな印象を幼い眼に焼き付けていた。いつしか消えてしまい、さびしく感じていた。老朽化のため1986年に取り壊されたらしい。しかし、2000年に再建され、本書のカバー写真にあるように美しい威容を再び見せてくれている。

 日本にやって来た外国人たちについて意外と何も知らないことに改めて気付かせてくれた。ニコライ堂にエチオピア正教会の信徒も来ることは初めて知った。イグナチオ教会には礼拝日ともなるとフィリピーナ向けの露店が出て賑わうらしいが、2時間もすると警官が外国人登録証のチェックを始めて、客を追い払ってしまうそうだ。群馬県の工業地帯に日系ブラジル人の労働者が集まっていることはよく知られているが、実はムスリムも来ている。半裸になってサンバを踊る女性の際どい姿に、ムスリム男性の視線が釘付けになっている様子を思い浮かべてつい吹き出してしまった。

 よるべない異国の地にやって来て不安な中、宗教的コミュニティーは言わば生きる智慧として不可欠なものだろう。精神的な拠り所というだけでなく、日常の具体的なトラブルについて相談するために。一つの場所ができれば、日本人も含め様々な人々が集まってくる。草の根の異文化交流の場となるが、諍いまじりのマイナスの交流とならなければいいのだが。

 彼ら彼女ら一人ひとりの事情を深く突っ込んでいるわけではないが、写真をふんだんに織り交ぜており、臨場感はあって面白い。

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2007年7月 5日 (木)

佐藤優『地球を斬る』

佐藤優『地球を斬る』(角川学芸出版、2007年)

 私自身も含めて一般読者の多くにとって外交問題、インテリジェンスの問題は直接には関係してこない。国際情勢の裏事情を知ったところでやじ馬的興味に終わるだけ。しかし、自分が普段なじんでいるのとは様相の全く異なる言説空間の中で頭を動かしてみるのは貴重な思考訓練となる。

 相手があって初めて外交という営みが必要とされる。本書は『フジサンケイビジネスアイ』紙で2006年に連載された時事コラムに現時点での検証と解説キーワードを付して構成されている。具体的な国際問題を取り上げながら、相手から様々な形で出されてくるシグナルの気付き方、そして相手の内在的ロジックの読み取り方を、いわば練習問題をこなすように分析してくれる。個々の分析の正否はたいした問題ではない。著者がどんな場合にどんなロジックを武器として活用しているのかを追体験すること自体が知的ゲームとして刺激的だ。

 相手を理解不能な狂信者と決めつけて思考停止に陥ってしまうようでは、その時点ですべてが終ってしまう。理解可能なカギを見つけ出し、それをきっかけに相手の内在的論理をたぐりだしていく必要がある。北朝鮮については、敗戦直前の日本国民の精神状況を思い起こせば想像的理解は困難ではない。イスラム世界での自爆テロリストを経済合理性で分析するところなど面白い。

 相手の内在的論理を個別に把握した上で、それが国際情勢の大きな枠組みの中でどのように位置づけられるのか。視点を柔軟に移動させ、複層的な理解を組み立てながら、より認識の精度を高めていく。著者によると、こうした認識方法はヘーゲルから学んだそうだ。

 どんな仕事でもそうだが、人は所与の条件の中でもがくしかない。そこに文句をつけたところで無意味だろう。相手の内在的論理を捉えるには、結果として出てきた言動は自分の理解を超えているかもしれないが、自分に与えられたのとは異なる条件の中で相手も相手なりの筋を通そうとしている、そうした想像力を凝らした敬意が不可欠となる。このように緊張感のはらんだ無言のダイアローグは翻って、それでは自分は自分に与えられた条件の中で自分なりの筋を通しているのかという謙虚な自己反省にもはねかえってくる。これは人生論としてばかりでなく、政治的に言うならナショナリズムの多元性を保証する倫理に直結する。こうした意味での倫理が著者の佐藤優という人物のめぐらす思考の根底に一貫しており、そこに私は魅力を感じている。

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2007年7月 4日 (水)

角田房子『甘粕大尉』、他

「大ばくち もとも子もなく すってんてん」

 日本の敗戦直後、ソ連軍が刻一刻と迫りつつある中、甘粕正彦は青酸カリをあおって自ら命を絶った。その時、満映理事長室の黒板に甘粕の筆跡で書かれていた辞世の句がこれである。

 私が角田房子『甘粕大尉』を初めて読んだのは中学生の頃。最初の単行本は1975年に中央公論社から刊行されている。緑色の装幀に厚みのあるビニールカバーのかかった古びた本を親の本棚から引っ張り出して読んだ。それは今でも私の手許にある。初めて読んだ時からこの甘粕という人物に不思議な魅力を感じていたが、今回、ちくま文庫の増補改訂版(2005年)を読み返し、そうした気持ちを新たにしている。

 無論、彼を好き、とは言えない。天皇崇拝にも日本至上主義にも私は違和感があり、思想的には共感できない。ただ、政治的な考え方は別として、屈折した人生を強いられながらも、その中で自分なりの筋を通さざるを得なかった姿には、人の視線を否応なく引付けるだけのすごみがある。日本から満洲国に渡った人々はみな一様に「これが噂の大杉殺しか」という目で見る。甘粕にもそれが痛いほどによく分かっている。だが、そうした甘粕に批判的な人であっても、彼の実際の風貌に接して、単なる人殺しとは違った印象を受け止めているのが不思議というか面白い。

 私が甘粕を最初に意識したのはベルトルッチの「ラストエンペラー」を観た時だ。中学一年生の時、それまでのドラえもんとかハットリくんとかを卒業して初めて大人の映画を観たのがこれだった。坂本龍一の演じたなかなかダンディーな甘粕は、これはこれで悪くない。ただ、陰影の奥行きを感じさせる屈折した暗さはイメージとして共通するものの、実際の甘粕はもっと愚直で泥くさい。何よりも、憲兵出身だからか、彼の持ち前の性格なのか、原則論を盾に一切の妥協を許さない苛烈な厳しさがあった。自分自身の中で明瞭に完結した判断基準があり、相手が誰であろうと、それこそ関東軍の将軍だろうと、ムッソリーニやヒトラーだろうと関係なく率直にものを言う態度は、どことなく石原莞爾にも似ている。二人の仲は悪かったらしいが。

 そうした厳しさにも拘わらず、一方でふざけた辞世の句を残すような甘粕の別の側面が目を引く。遺書にも笑ってしまった。満映は中国側に引き渡される手はずとなっていたが、その管理費用が足りず、満洲興業銀行から不足分を借りる約束になっていた。遺書3通のうちの1通がその依頼状で、「二百万円貸してください。貸さないと死んでから化けて出ます。」

 甘粕とじかに接した人々の回想では、人それぞれに印象が異なるのが興味深い。厳しい人、怖い人、陰険な謀略の人、権力主義者と芳しからぬ評判の一方で、気遣いの人、根はやさしい感情家という印象を漏らす人々も少なくない。度重なる屈折がつくり上げた幾重にも複層的なパーソナリティー。裏の世界に生きるしか彼の道はなかった。

 屈折、というのは具体的には何よりも大杉栄、伊藤野枝、橘宗一殺害の負い目を指す。だが、この事件の真相はいまだに判明していない。武藤富男や古海忠之など甘粕の身近に仕えた人々も初めは「この手で大杉を殺したのか…」と不審げな視線をやって彼を忌避していた。しかし、しばらく付き合っているうちに「この人は殺していないな」と確信するようになる。ただし、あくまでも心証に過ぎず、甘粕自身も事件については貝のように口を閉ざしたまま。著者の角田も「甘粕の意思による殺人ではなかった」ことをほぼ確信した筆致で書き進めながらも、確証がないため結論は出していない。

 真相がどうであろうと、大杉殺しの烙印は甘粕にいつまでも付きまとう。太田尚樹『満州裏史』(講談社、2005年)は甘粕と岸信介の二人に焦点を合わせて満洲国の背景を読み取ろうとしたノンフィクションだが、甘粕に出会う誰もが例外なく「これが大杉殺しか」という好奇の眼差しを、ある者は暗黙のうちに、またある者は公然と向けるシーンを繰り返し描いているのが目に付く。そうした執拗なまでに追いまとう呪縛に抗うように、普段は謹厳な職務精励ぶりを示す彼が、夜には爆発して荒れ狂うのが印象に強く残った。(なお、『満洲裏史』の甘粕に関する記述の多くは角田書に負っており、それほど新味のある作品ではない。ただ、岸を絡めたところに特徴があり、読み物としては読みやすい)

 なお、角田書の増補改訂版では王希天殺害事件について『甘粕大尉』執筆後に分かり得たことをメモ的に書き足している。関東大震災の際、朝鮮人ばかりでなく中国人労働者も多数殺されたという事件があったことはあまり知られていない。この労働者たちのまとめ役となっていたのが王希天である。角田さんはもう九十歳を超えるご高齢にも拘わらず、まだ執筆活動を続けておられ、『秀吉の朝鮮侵略』を現在のテーマとしているそうだ。本当に頭が下る。

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2007年7月 2日 (月)

滝沢誠『権藤成卿』

滝沢誠『権藤成卿』(ぺりかん社、1996年)

 学生の頃、権藤成卿『自治民範』を手に取ったことがある。制度学という、漢学的語彙を以て展開される異様に晦渋な文体を前にして私は両手を挙げて降参するしかなかった。戦後になって刊行された『権藤成卿著作集』の第一巻であったが、版元は黒色戦線社。アナキストの出版社として知られている。オーソドックスな政治思想史のテキストでは“農本ファシスト”と分類される権藤の著作にアナキストが関心を持っていたということが私の目を引いた。

 右翼と左翼が行動的ラディカリズムにおいて紙一重ということは多少なりとも政治学になじんだ人ならば常識であろう。右翼/左翼という二分法は指標として便利ではある。ただ、政治思想の内在的な質、言い換えると個々の人物の感性に奥深く根ざした何ものかの発露として思想を把握しようとする場合、こうした形式的二分法は往々にして見る者の目をくもらせてしまう。“分類”の発想にはその社会における定型的な見方が反映している。そうした定型を崩しながら、思想家たちのそれぞれに個性的で複雑な機微に分け入っていくことは、それ自体がスリリングな作業であるばかりでなく、読み解こうとするこちら側の感受性が核心的なところから試されるという緊張感に身が引き締まる。

 国家観というのは、突き詰めると人間観に行き着く。たとえばホッブズは、“個人”として析出された人間が様々な契機を以て争い合う可能性に留意して、いわば“性悪説”的な人間観から国家を弁証し、近代的な政治学の始祖とされた。『リヴァイアサン』では、そうした人間の性質を事細かに箇条書きした目録がページの多くを占めている。人間が自分勝手にルールを乱すことを織り込んだ上で政策対応を組み立てるのが社会科学的思考方法の第一の特徴と言っても過言ではあるまい。

 ただし、人間観というのは各自の人生体験に応じて滲み出てくるもので、正解はない。人間というのは本来助け合うものだ、ただ様々な社会的矛盾がそうした人間の本性を不自然に引き裂いてしまったのだ、という考え方もあり得る。この点で、権藤や、あるいはトルストイアンから始まって権藤と同様に農村自治論へと進んだ橘孝三郎たち農本主義者とアナキストとは相通ずる思想的基盤を持っていた。権藤は黒龍会系の右翼人脈に属する一方で、大杉栄とも親しくしていた(なお、関東大震災後、甘粕による大杉殺害を内田良平が称賛したため、権藤はそれまで付き合っていた内田と絶交したという)。また、農本思想に共鳴する人々が集まって結成された日本村治派同盟に、権藤や橘らと共に白樺派の武者小路実篤の名前が見えるのも決して奇異なことではない。

 権藤の思想のキーワードは“社稷”。一人ひとりの素直な思い遣りの気持ちが歴史的に積み重なって生成した自治的な地域共同体を指す。ところが、明治政府の中央集権化、資本主義による経済システムの拡大という政治・経済の両面において露わとなった権力という暴力によって、農村に残っていた社稷の慣習が崩されつつある。そうした危機意識が国家革新運動へのモチベーションとなった。明治政府への反感には、玄洋社以来、自由民権運動に源流を持つ黒龍会の雰囲気をうかがわせる。

 一言で“右翼”とくくられてしまう思想の中でも、権力を以て体制をまとめ上げようとする国家主義と、逆に権力の行使は民族の情緒的一体感を崩してしまうとして反権力主義を取る流れと、両方が混じりあっている点には留意する必要がある。

 権藤は『南淵書』なる古典を持ち出してくる。南淵請安が中大兄皇子や中臣鎌足に説いた政治の本義が示されているらしいが、蘇我氏の専横によって崩れかけた社稷を回復した大化の改新に権藤は一つのモデルを見出す。蘇我入鹿暗殺は、“君側の奸を討つ”という昭和維新クーデターを正当化するアナロジーとして働いた。現状変革を正当化する権威を歴史に求めるのは中国の古典に特徴的な論法である。『論語』にも「述べて作らず。信じて古を好む」という言葉がある。権藤と同時代、清朝の光緒帝を動かして変法自強運動を進めた康有為の公羊学もやはり同じ論法を取っている。

 権藤の思想の特徴として、もう一つアジア主義が指摘できる。若い頃、黒龍会の内田良平や武田範之、杉山茂丸、一進会の李容九、宋秉畯らと共に日韓合邦運動に加わっていた。一進会には“鳳の国”なるプランがあったらしい。朝鮮半島を軸に東は沿海州、西は万里の長城の北側へと両翼をのばす形が鳳に似ているのでこう呼ばれたそうだが、この領域をかつての“大高麗国”の版図であったとみなし、朝鮮人の入植活動を進めようという構想である。これが日韓合邦運動と連動していたというのは本書で初めて知った。

 なお、一進会については、日本側がでっち上げたダミー団体であったという説と、朝鮮側の自発的な動きで結成されたという説との両方が錯綜しているが、後者を取るのが正しそうだ。対等合併を目指していたにも拘わらず、結果として日本側に騙される形になり、運動を進めた人々も裏切り者とされてしまったのは何とも言えずさびしい。ただ、欧米に対抗しようという目的があったにせよ、自分の国を他国と一緒にしてしまおうという動きの内在的なロジックが私にはどうにも得心がいかず、戸惑っている。

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2007年7月 1日 (日)

「それでも生きる子供たちへ」

 「殯の森」を観るつもりで渋谷に出た。上映館の前まで来て、今日は映画サービスデーで1,000円均一であることに気付く。前売り券を買ってあったので、500円損するというけちくさい計算が働き、別の映画を観ようと移動。「それでも生きる子供たちへ」を観ることにした。

 世界中の子供たちの直面する問題に焦点を合わせて七人の監督が撮った作品をオムニバス形式で集めた映画である。ユニセフやWFPが後援に入っている。以前にも書いたことがあるが、ヒューマニズムを前面に押し出した作品というのが私は好きではない。正論を真っ向から振りかぶられると、その有無を言わせぬ暗黙の高圧にかえってうさんくささを感じてしまうからだ。それで、実はこの映画も観ようかどうしようか迷っていた。結論から言うと、観て良かったと思う。子供をテーマとしながら映像作りの工夫が凝らされており、それぞれの密度があまりにも濃くて上映終了時にはだいぶ疲れてしまったが。

 冒頭のメディ・カレフ監督「タンザ」が題材に取り上げたのはルワンダの少年兵。時限爆弾のカチカチ…という音をリズムとして少年がまどろむ姿が、穏やかな笑みを湛えた寝顔だけに余計に哀しい。

 エミール・クストリッツァ監督「ブルー・ジプシー」は、おそらくユーゴ内戦後のすさんだ状況を踏まえているのだろうか、少年院を出たり入ったりする子供に焦点を当てる。クストリッツァの作品としては他に「アンダーグラウンド」を観たことがあるが、ブランスバンドがブカブカ鳴る中みんなが忙しげに騒ぎまわるのが特徴的。コメディータッチのバカ騒ぎと少年の抱えたものとの対照には、かえってやるせない気持ちになってしまう。

 スパイク・リー監督「アメリカのイエスの子ら」の主人公はエイズに感染した少女。湾岸戦争帰りでヤケッパチになった父、その影響でヤク中となった母。両親とも娘のことを真剣に思っているのだが、悪循環に陥ってなす術がないのがつらい。少女が、エンカウンター・カウンセリングであろうか、自身の心を打ち明けて孤立感から脱け出せそうな場に入ることができたところで何とか希望をつなぐ。

 カティア・ルンド監督「ビルーとジョアン」、ステファノ・ヴィネルッソ監督「チロ」は両方ともストリート・チルドレンを取り上げる。暗い話が多い中、「ビルーとジョアン」はめげそうになっても前向きなところがあってホッとした。「チロ」は影絵とパーカッション・アンサンブルとの組み合わせなど映像の演出がおもしろい。

 ジョーダン・スコット&リドリー・スコット監督「ジョナサン」。ジョーダンはリドリーの娘らしい。神経症になった報道カメラマンが、戦場で子供たちと一緒になる幻想を見るという話。森の中を駆け抜けていく時の弦楽合奏が素晴らしくて耳に残った。

 最後はジョン・ウー監督「桑桑(ソンソン)と小猫(シャオマオ)」。貧富の格差が広がった中国において、金持ちだが両親の離婚に翻弄される桑桑と、育ての親を事故で失ってしまった捨て子の小猫とを対比させる構図。泣き所は用意してあるものの、ありがちなストーリー構成であまり感心しない。二人の少女の愛くるしさが、境遇の違いに応じてそれぞれよく引き出されていたのでよしとしよう。

【データ】
英語タイトル:All the Invisible Children
イタリア・フランス/2005年/130分
(2007年7月1日、渋谷、シネマライズにて)

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