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2007年7月20日 (金)

外地にいた祖父母のこと(1)

 先日、実家が引っ越すというので荷物の整理に行った時のこと。祖母が「こんなのが出てきたのよ」と言いながら古びた紙片を見せてくれた。祖母が女学校を卒業した後に作られた同窓会名簿だった。ほとんどが東京在住者ばかり。2名ほど中国からの留学生がいて、中華民国済南市、蘇州市といった地名が見える。

 祖母の名前の下を見ると、満州国奉天市大和区○○町××となっていた。現在の遼寧省瀋陽である。父親(つまり、私の曽祖父)が満州で仕事をしていたので、祖母もしばらく奉天で暮らしていたのだ。近くに奉天医科大学があったという。

 東京から奉天へ向かうには、まず下関まで行き、関釜連絡航路で釜山に出る。あとは朝鮮鉄道・満鉄直通の汽車で奉天まで一本で来られた。祖母が「前の席に飯沼飛行士が座っていたのよ」と楽しそうに言うのだがピンとこない。後で調べたところ、昭和12年に東京からロンドンまでの連続飛行で世界記録を樹立した「神風号」の飯沼正明飛行士のことだと分かった。飛行機の名前のせいで戦後は色々と誤解があったのだろう、いつしか忘れられてしまった人物である。当時としては誰もが名前を知っている、時代のヒーローだったらしい。いわば日本のリンドバーグというべき存在だ。

 祖母によると、奉天はとにかく凍てつくように寒かったが、雪の印象はないという。ロシア人の経営するレストランが割合とあって、たまには外食でもしようという折に行ったそうだ。オムレツが大きくておいしかったと懐かしげだった。曽祖父は器用な人だったようで、ロシア料理の味をすぐに覚えて自分でも作っていたらしい。

 「現地の中国人が満鉄警備隊にひどく殴られているのを見て、いたたまれない思いをしたことがある。日本は本当にひどいことをしたものだ」とも語る。聞きながら、何となく武藤富男の名前を思い浮かべていた。祖母は明治学院長だった武藤に感激してわざわざ会いに行き、自身の長男(つまり、私の伯父)を明治学院に入れていた。武藤は官僚出身で満州国では甘粕正彦の側近となったが、戦後は前非を悔い、クリスチャンとなって反戦平和を唱えていたことで知られる。

 祖母の長兄(私の大伯父)は奉天の平安小学校の出身である。満映の大スター、李香蘭こと山口淑子も学年は違うがここの同窓で、彼女が日本人であることは早くから知っていたという。

 なお、大伯父は学徒動員組である。雨が降る神宮球場で行なわれた壮行会の映像は昭和史のドキュメンタリー番組でよく取り上げられるが、あの中にいた。女学校在学中だった祖母も見送りに行った。宇品の暁部隊に配属され(丸山眞男もここにいた)、原爆投下直後の広島に入った。この時に被爆したらしく、毛が抜けたり出血したりという症状がしばらく続いたという。被爆者手帳はもらっていない。戦後すぐ共産党に入党したため会社で冷遇されたこともあり、酒びたりの大荒れの時期があったと聞く。

 祖父母が父方・母方ともにいわゆる“外地”にいたということが、私には不思議なほどに関心をそそられる。

 満州にいたのは母方の祖母である。結婚したのは戦後だが、祖父も大陸にいた。祖父は旧制の高等農林学校を卒業した後、就職先がなかったので学校で理科を教えていたらしい。いわゆる“でもしか教師”である。間もなく朝鮮総督府に職を得た。一年間ほど京城(ソウル)にいてから、北京にあった満鉄の子会社・華北交通に移る。北京で現地応召されたが、すぐに爆弾で吹き飛ばされて本土に戻され、敗戦を迎えた。体内に爆弾の破片が死ぬまで埋め込まれたままだった。

 滅多に昔話をしない人だったが、測量技師として張家口など黄河北岸あたりの調査旅行に参加した時の話を晩年になって聞いたことがある。当時の中国の農村ではどんな家畜飼育をしていたのかなど語ってくれたが、詳しいことは覚えていない。メモしておけばよかったと今さらながらに思う。中国語の通訳が朝鮮人だったらしく、日本語・中国語ともに堪能だったことに感心していた。「よその国に支配されてしまって、生き残るために必死だったんだろうなあ」と目を細めていたのが印象に残っている。

 父方の祖父母は台湾にいた。祖父は台北の旧制中学で教員をしており、やはり現地応召されて戦車部隊に配属されたと聞いている。日本人生徒と現地の生徒とで差別的な扱いをしなかったので慕われたらしく、戦後も昔の教え子たちからたびたび招待されて台湾に行ったという。鬼籍に入ってから十年以上経つが、色々と話を聞いておけばよかったと後悔している。祖母も台北で女学校を出ており、訪ねていくと得意料理のビーフンを作ってくれたものだ。

(続く)

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