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2007年6月15日 (金)

政治家ネタで二冊

 政治ゴシップものは意外と嫌いではない。床屋政談にふけるほど暇ではないが、酒の肴がわりに読むにはちょうどいい。

 ここのところ、出版界での佐藤優の目立ちぶりが尋常ではない。『国家の罠』を一読して以来心酔している者として歓迎してはいるが、少々食傷気味のきらいがないでもない。私としては、ナショナリズムを軸とした日本近代思想の読みかえやキリスト教神学について正面から取り組んだ本を期待しているのだが、どうしたって準備に時間がかかるだろう。マスメディアを使って勝負をかけている佐藤としては、とにかく世論から忘れられない、飽きられないのが肝心だ。彼の視点の取り方や知識の蓄積はどんなテーマにも応用をきかせているので、粗製濫造には目をつぶり、新刊に気付き次第チェックしている。

 そういうわけで、佐藤優・鈴木宗男の対談『反省──私たちはなぜ失敗したのか?』(アスコム、2007年)を早速読んだ。一言でいえば、外務省の内部がここまで腐っているのに何も手を打てなかったのを反省しています、という趣旨。いわゆる“ムネオハウス”問題のあたりでは当時追及側にいた元共産党・筆坂秀世も飛び入り参加。内容としては、以前に佐藤が『週刊新潮』や『月刊現代』などで書いていた暴露ものの延長線上にある。ゴシップといってしまえばそれまでだが、その話題をきっかけとして政治や外交の微妙な機微を語っているのが面白い。外務省の悪口満載だが、谷内正太郎・事務次官を高く評価して希望をつないでいるのが目を引いた。

 村上正邦・平野貞夫・筆坂秀世『参議院なんかいらない』(幻冬舎新書、2007年)も読みようによっては面白い。自民党参院のドン、小沢一郎の智慧袋、共産党の論客とそれぞれ立場の異なった元参議院議員三人による座談。前半は過去の出来事を振り返りながら政治放談。後半では、参議院議員として仕事をしながら直面した問題意識を踏まえて参議院改革案を提示する。予算は衆議院にまかせ、参議院は決算で独自性を持たせるという提案は興味深い。

 だが、私が本当に面白いと思ったのはこの本の内容ではなく、村上・平野・筆坂という三人が顔をそろえて一冊の本を作ったこと。平野は引退しただけだが、村上はKSD事件で逮捕された。筆坂はセクハラ疑惑で辞職に追い込まれ、後に離党。失脚した身ではあっても彼らは泣き言をもらさない。

 その人の実際がどうであるかよりもイメージ的なものが当落に直結してしまう風潮が強まっている中、疑惑をかけられて失脚した政治家が復活するのは至難の業だ。“国策捜査”はむしろそれを狙って、政治的なパージを汚職にすりかえるという方法を取っている。鈴木宗男が復活できたのは、一つには佐藤優のおかげもあるだろう。佐藤が示した“国策捜査”という論点をきっかけに、本来ならば表面化しない事情で足をすくわれた可能性に我々は注目するようになった。

 「盗人にも一分の理」なんていうと語弊があるかもしれないが、宗男側にも言い分がある。かつてならマスコミは政界の悪を追及するという姿勢で歯牙にもかけなかっただろう。しかし、佐藤が展開する議論の説得力は、彼いうところの“思考する世論”に非常なインパクトを与え、「盗人」側の言い分も聞いてみようかという雰囲気をつくった。読書家の間でも関心を持って読む人々が現われる。売れる。従って、出版社は失脚した政治家の本を出しても十分に採算がとれる。

 最近、本書の村上正邦や筆坂秀世にせよ、あるいは民主党の山本譲司にせよ、失脚した政治家たちが興味深い本を出している。敗者にも主張する舞台が保障されている点で健全なことだ。単に憲法の条文に言論の自由が規定されていることと、マスコミを通して反論の機会が得られることとの間には天と地ほどの開きがある。おおげさな言い方かもしれないが、そうした雰囲気づくりという点で、佐藤優は日本の民主主義を成熟させるのに大きな貢献をしているように思う。

 松岡利勝農水相にしても、死ぬ必要はなかった。政治家としての生命は絶たれたかもしれないが、考え方を切り替えればこうした人々のように違う舞台で発言できる可能性もあったはずだ。

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コメント

佐藤優氏への感想は全く同感です。佐藤氏に深く共感をおぼえながらも、外務省批判・自己言及による正当化の「しつこさ」に少々うんざり気味でもあります。
 アウシュビッツを生き延びた元囚人が「みんなからうんざりされても、どうしても、繰り返し体験を語ってしまう。アウシュビッツ以降の人生は執りつかれてしまっている」と独白したように、佐藤氏もそうなのでしょう。それに公判代6000万の費用のこともあるし、手っ取り早く求められるまま発言しているのだと思います。
 ただ、彼自身、国策捜査に陥ってしまった要因は、たとえ国益を追求したものとは言え公務員の権限を逸脱した政治への擦り寄りが度を過ぎていたためではないかと、それに対して案外彼は脇が甘かったのではないかと感じます。それには彼自身の過剰な性向があるのではないかと、ファンとしては、戦略として現在のマスコミへの彼の擦り寄りが、ミイラ取りがミイラにならなければいいなあと危惧しています。
 母上の出身である沖縄の地政学的なテーマに取り組んでいるようですが、琉球王国という独特なポジショニングを佐藤氏がどう切るか興味があり、期待してます。
 猫好き男性に弱いというのと、食べ物に対する執着に非常に共感できる(笑)のとで、どうしても評価が甘くなってしまいます。

投稿: ミキ | 2007年6月17日 (日) 18時03分

 いま、ジュンク堂書店池袋店で“佐藤優書店”をやっていますね。その人のおすすめ本を並べるコーナーで、初代の谷川俊太郎から前回の赤瀬川原平に続き、佐藤は九代目。猫関連のテーマも立てられているようです。ジュンク堂のホームページにアクセスすれば、エプロン姿ではにかんでいるちょっとかわいらしい優ちゃん(笑)が見られますよ。幻冬舎新書のポスターのいかにも総会屋風のふてぶてしい貫禄とは対照的。

 『獄中記』刊行記念の講演を聴きにいったとき、食べ物の話題が随分と出ていました。食べ物がらみで『獄中記』に収録していないことも結構あるらしいです。冗談めかして、東京拘置所グルメ本を出してみたい、なんて言ってましたから、とびついた出版社もあるかもしれません。今の佐藤優は出せばとにかく売れますから。まあ、食慾をそそられるかどうかは分かりませんが…。

投稿: トゥルバドゥール | 2007年6月18日 (月) 09時48分

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