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2007年6月 3日 (日)

印刷博物館「美人のつくりかた──石版から始まる広告ポスター」

印刷博物館「美人のつくりかた──石版から始まる広告ポスター」

 “美人のつくりかた”といっても、もちろん整形美容とかいう話ではない。

 印刷工場を何回か見学したことがあるにも拘わらず、理解力不足のせいか、印刷の技術的工程がいまだにピンとこなくて実にもどかしい。それでも、着実な技術的改良が積み重ねられており、かつて一つ一つの工程に相当な手間をかけられていた苦労は想像できる。写真製版が普及する前は画工の手作業にかかっていた。原画を丹念にトレースし、多色刷ポスターの場合には色ごとに版を作らねばならないが、その一つ一つを写しこんでいく。当時用いられていた石版を見るのは初めてだ。いずれにせよ、そうした職人技やその後の技術的改良の中で、いかに美人の“色合い”を出すのに工夫をこらしてきたのかを教えられた。

 この展示では技術の話だけではなく、明治から昭和初期にかけてのポスターの歴史を一望できる。日本の商業ポスターのルーツは木版印刷の引札にあるらしい。明治期のポスターは錦絵のような感じ。当時から複製絵画として鑑賞されるのを前提としていたので、型崩れしないよう金属縁がつけられていた。題材は、商品の如何に関係なく美人画がほとんど。

 大正期に入ると画風のヴァラエティーが豊かになってくる。アルフォンス・ミュシャを意識したアール・ヌーボー風のものや未来派の東郷青児が活躍する一方で、鏑木清方や伊東深水の美人画も人気を集めていた。有名な赤玉ポートワインのセミヌード・ポスターもこの頃だ。広告の図案を懸賞で募集する試みも行なわれた。“政治的に正しく”消された、あの黒人がストローを吸うカルピスのデザインも懸賞に応じたドイツ人の手になるそうだ。

 海外向けにも色々なポスターが作られている。欧米向けの観光客誘致のポスターはいかにもオリエンタルな雰囲気が強調されてあまり面白みがない。輸出商品のポスターでは、味の素、金鳥の蚊取り線香、ビール、森永の練乳、中将湯のものが展示されており、言語も英語ばかりでなく中国語、ハングル、ロシア語、インドネシア語、ポルトガル語と多彩。旧満州国や南洋など日本の勢力圏に向けての売り込みが活発だったのがうかがえる。李香蘭を起用した資生堂の高級クリームの中国語ポスターがあった。「ぜいたくは敵だ!」という風潮の中、日本国内では化粧品広告は全面的に禁止されていた。そこで、企業は海外に活路を求め、政府も大陸での商業利権拡大のため奨励していたらしい。

 商業用ポスターは人目をひくよう作られているわけで、デザインの変遷をたどるのはそれ自体が絵画鑑賞のように楽しい。同時に、ポスターが作られた時代背景を読み取っていくのも興味深い作業だ。

 なお、この展示とは直接には関係ないが、ポスターを含め、戦時下のデザインにちょっと興味がある。以前、昭和館で行なわれた戦時下の国民生活をテーマとした展示で「空襲の心構え」を示したパンフレットを見かけたことがある。サーチライトが空を照らすのを鋭角的に図案化した表紙が目を引いた。泥臭いスローガンの割にはデザインが洗練されており、そのギャップがなおさら印象的だった。大正期に未来派やダダなど西欧発のアヴァンギャルドに触れたが、食うために職業デザイナーになった人々がいる。戦時体制下のソ連でも、政治的には全体主義的な締め付けが強まったが、パンフレットやポスターのデザインにはロシア革命前後に流行った未来派の影響が強く残っていたように記憶している。デザイン、とりわけタイトル・ロゴをみると、戦前の日本とスターリン時代のソ連とで何となく似ているような感じもする。このあたりを掘り下げた文献はたぶんあるんだろうけど、手頃なものを見つけられないでいる。

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